百濟王神社

Last-modified: 2013-06-02 (日) 17:36:43
 

百濟王神社
くだらおうじんじゃ
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(参拝日:平成25年4月29日)
住所:大阪府枚方市中宮西之町1-68mapionlogo.gif
主祭神:百済王神、進雄命
主な祭礼:10月15日(例祭)

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↑鳥居↑
(由緒:現地案内板より)
祭神は百済王・須佐之男命(牛頭天王)。

百済国王の禅広は、新羅・唐連合軍によって祖国が滅亡した際、日本に亡命してきた。
やがて朝廷に仕えることとなり、百済王氏という姓を賜り、難波の地に居住した。

陸奥守百済王敬福は、聖武天皇の東大寺大仏鋳造に際し、陸奥国で産出した金を献上し、
その功により河内守に任ぜられた。敬福は中宮の地を賜り、氏寺として百済寺、氏神として百済王神社を造営し、
一族ともどもこの地に住みついたと考えられている。

やがて百済王氏一族は、皇室や高級貴族と姻戚関係をもち、朝廷内での地位を高めていった。
特に桓武天皇は交野ヶ原の地をしばしば訪れ、百済王氏と親交を深めた。

その後、度重なる火災により、壮大な伽藍は灰燼に帰し衰退した。
やがて奈良興福寺の支配を受け、再興が図られた。今ある本殿は、奈良春日大社の本社本殿を移築した「春日移し」である。

なお、拝殿にかかる「百済国王 牛頭天王」の木版額は、当社が百済王氏の祖霊を祀る神社であることを明らかにする。

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↑拝殿↑
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↑旧拝殿↑
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↑浮島神社↑
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↑境内地図(クリックで拡大)↑
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↑山車庫↑
(以下、余談)
京阪宮之阪駅付近の坂道に面して鎮座しています。入口は少々わかりづらいです。
隣接して百済寺跡があり、全国初として史跡公園の整備が行われました。特別史跡に指定されています。

百済最後の王である善光は日本に亡命し、朝廷に仕えることになったことから、百済王氏の姓を賜り難波に居住しました。
10世紀頃までは摂津国難波京に「百済寺」「百済尼寺」が残っていたと言われています。
その後、陸奥国小田郡の黄金900両を天皇に献上したことから、従三位宮内卿・河内守に任ぜられます。
拠点を当地に遷して、百済寺や神社を整備しました。のちに、朝廷は百済王の祀廟を建立させました。

数度の火災により百済寺・百済王神社は衰退しましたが、奈良の興福寺の支配下で再興が図られた。
現在の本殿は、興福寺と関係が深い春日大社の本殿を移築したものです。

百済王氏のその後の経過は詳しくありませんが、百済からもたらされた渡来人の技術は恩恵を与えたのでしょう。
黄金というのは砂金のことでしょうか。そういえば、聖武期の奈良大仏は黄金で装飾されていたのですね。