
本神社は古来、生目八幡宮(活目とも書く)と称えていましたが、
明治維新に至り、生目神社と改称せられた。(旧県社)
◎(御霊験のこと)昔より眼疾に霊験あらたかなりとして崇敬殊に厚く、「日向の生目八幡様」として、
広く知られ、九州はもとより、北は北海道、本州から直参祈願される参詣者も多い。
◎(御創建のこと) 本神社の創建に関しては、元亀、天正の兵火で古書、棟札等が焼失し尽し
詳ではないが、「宇佐大鑑」には天喜四年(西暦一〇五六年)に既に之の八幡社が建立されて
あったと記され、尚僅かに遺された棟札によっても、宝徳二年五月(西暦一四五〇年)に
遷宮祭が行なわれた事が知られる。
下って弘治二年(西暦一五五六年)には既に多くの社領神田を有していた旨の旧記あり。
これらの事実は本社が実に貴きお方々を御祭神として奉祀している所以で
古くから世の崇敬厚かったことを物語っている。
◎(いくめの起源)種々の説があり何れを真ともなしえないが、一説には景清公、日向下向に際し
居を此地に撰び閉居され生を卒えられた。公の歿後、公の活けるが如き霊眼を斉き祀ったと。
一説には当地は古より霊地として眼疾患者を活かすに不思議に著しき霊験あり古人其神徳を
辱み奉り生目(活目)八幡宮と称え奉ったと。
一説には活目入彦五十狭茅尊(垂仁天皇)を奉斉した社であると。
蓋し、御子景行天皇熊襲征伐の途、御父君垂仁天皇の御命日に偶々之の地にて
神霊祭を御営みになられたのを住民等歓迎し聖地として永く奉斉し活目八幡宮と称え奉ったと。



平景清がくり抜いて空に放り投げた自らの目が落ちた場所と云われています。すごいエピソードですね・・・
本殿の裏山にはその目が引っ掛かったという「目かけの松」があります。
「いきめ」神社と読みます。眼病に霊験がある神社として広く信仰されています。
実は、神社の御神水は眼薬に使用されるホウ酸が含まれています。
また、商売人からは「めがでる」神様として信仰を集めています。
境内は色んな樹木が茂り、眼にいいとされる?ブルーベリーまで植えられています。
眼病平癒のお守りが社務所にありました。どこまでも眼の神様の神社でした。
