高岡関野神社

Last-modified: 2013-05-10 (金) 23:24:53
 

高岡関野神社
たかおかせきのじんじゃ
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(参拝日:平成25年1月6日)
住所:富山県高岡市末広町9-56mapionlogo.gif
主祭神:国常立尊、保食神、天照皇大神、稲荷大神、菅原道真公、前田利長公
社格:式内小社、県社
主な祭礼:5月1日(高岡御車山祭)

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↑鳥居↑
(由緒:wikipediaより)
高岡関野神社は、江戸時代までは加久彌神社(神明社)、関野神社(熊野社)、高岡神社(稲荷社)の3社で、
あわせて関野三社と呼ばれていた。

加久彌神社は、関野郷上関村(現在の高岡市上関)にあった式内小社であったとされる。
ただし、加久彌神社の論社は現在の氷見市神代にもあり、当社が「加久彌」の扁額を掲げようとした所、
氷見の加久彌神社の氏子がおしかけて、その扁額を使わせないようにしたという話が伝わっている。

関野神社は、一六〇四年(慶長九年)、射水郡水戸田(現在の射水市水戸田)の密蔵寺より分霊して熊野宮と称したのに始まる。

高岡神社は、一六一〇年(慶長十五年)、前田利長が高岡城を築城する際に稲荷大神を勧請して城の鎮守としたのに始まる。
加賀藩主前田家の崇敬を受け、明治時代には前田利長の霊が合祀された。

一八〇六年(文化三年)、加久彌神社、関野神社、高岡神社が現在地に遷座し、同一の境内で祀られるようになった。
明治に入り、加久彌神社は関野神社に合祀され、郷社に列した。高岡神社は県社となった。
一九一九年(大正8年)、関野神社に高岡神社を合祀し、県社高岡関野神社となった。

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↑社殿↑
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↑大国社↑
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↑白梅・撫で牛↑
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↑シモクレン↑
(以下、余談)
JR高岡駅北西500m程の繁華街の中にある神社です。高岡の開祖・前田利長公をお祀りしています。
いくつかの神社が合祀されて現在の姿になったようです。

高岡は鋳物の町で知られ、狛犬も石ではなくブロンズ像でした。
神社仏閣の調度品が高岡の町工場で造られる様子がテレビで時々紹介されてますね。

ネットで調べていると、他の人の御朱印がまったく違うデザインなのが気になります。
薄らと押印されている文字は「高岡関野神社」ですが、他に社殿を模した絵柄の印を押したものもあるようです。

毎年5月1日に7基の曳山が旧市街地を巡行する春季例祭・高岡御車山祭が行われます。御車山は10の「山町」が保有します。
この「山町」は前田利長公が高岡に築城した際、城の周囲に配された武家屋敷から西に一段下がって町割された地区にあり、
富山・守山・木舟の旧城下や、前田家ゆかりの美濃・近江・越前から移住してきた町民が居住したのが始まりです。
高岡城は一国一城令により廃されましたが、3代藩主・前田利常公は高岡の産業振興に心血を注ぎ、
加賀藩では金沢に次ぐ商工業都市として発展しました。「山町」の町民はその経済発展を担い、御車山を誇りにしました。

高岡の繁栄と御車山祭には、意外な関係がありますね。