諏訪神社
住所:山梨県富士吉田市新屋神社河原1230![mapionlogo.gif mapionlogo.gif](https://cdn.wikiwiki.jp/to/w/goshuin/%E5%B3%B6%E6%A0%B9%E7%9C%8C/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E5%A4%A7%E7%A4%BE/::ref/mapionlogo.gif?rev=e9966ff0d287467f74ea54afedba226a&t=20120403220359)
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主祭神:建御名方神、八坂刀売神
主な祭礼:8月26-27日(吉田の火祭)
関連:北口本宮冨士浅間神社
webサイト:北口本宮冨士浅間神社
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↑鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
勧請年代は不詳であるが古くから当社一帯の森を「諏訪の森」と呼ぶことや
『甲斐國志』巻之七十一神社部第十七上(諏方明神)の記述からも相当の古社であることが伺える。
勧請年代は不詳であるが古くから当社一帯の森を「諏訪の森」と呼ぶことや
『甲斐國志』巻之七十一神社部第十七上(諏方明神)の記述からも相当の古社であることが伺える。
元々は当地域の氏神であったが明治維新の際に北口本宮の摂社となる。
例祭である「鎮火祭」は日本三奇祭の一つに数えられる「吉田の火祭り」のことで、
勇壮な神輿の渡御や高さ三メートルにも及び大松明八十本余の焚き上げ等、例年大勢の参詣客で賑わう。
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↑下諏訪社・子安社↑
(以下、余談)
吉田の火祭りは北口本宮冨士浅間神社との両社の祭りですが、もとは諏訪神社の例祭であったと言われています。
吉田の火祭りは北口本宮冨士浅間神社との両社の祭りですが、もとは諏訪神社の例祭であったと言われています。
伝承によると「諏訪の神様が追われて逃げていた際のある夜、当地住民が手に松明を持ってお迎えしたのを、
追手は援軍と見間違えて退却した」ので、諏訪の神様は当地にしばらく滞在なさりました。
それで当地を「諏訪の森」と呼び、神社を祀ったとされています。
住民が手に持った大松明を焚き上げ、諏訪の神様を称えたのが火祭りの起こりとされています。
地主神として鎮座しましたが、江戸時代の富士信仰の広まりとともに、浅間神社の摂社となりました。
創祀の詳細は不明ながらも、相当の古社であるようです。