玉井宮東照宮

Last-modified: 2013-04-28 (日) 07:35:47
 

玉井宮東照宮
たまいぐうとうしょうぐう
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(参拝日:平成24年12月22日)
住所:岡山県岡山市中区東山1-3-81mapionlogo.gif
主祭神:豊玉比売命、彦火火出見命、玉依比売命、徳川家康公
社格:県社
主な祭礼:7月30日(夏祭・輪くぐり祭)

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↑鳥居↑
(由緒:現地案内板より)
玉井宮はもと児島郡光明崎(今は岡山市米崎)に鎮座していましたが、応徳二年(一〇八五年)の頃、
毎夜社頭より発する光が海面を照し魚が寄りつかず漁師達は不漁で困りました。

そこで神前でお伺いをたてたところ御神前の御幣が舞上り飛んでゆき落ちる、そこに鎮座せよとのご神託がありました。
その御幣が落ち立った所が此処です。故にこの山を幣立山と言います。

正保二年(一六四五年)藩主池田光政公がこの地に東照宮を勧請せられ、玉井宮は前の広場に移築されました。
初は豊玉比売命一柱がお祀されていましたが、其後、彦火々出見命と玉依比売命の二柱が合祀されました。
明治十四年県社となり、再びこの地に帰り東照宮と合祀され、社名も玉井宮東照宮と改められました。

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↑拝殿↑
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↑神門↑
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↑坂中荒神社↑
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↑戦前の鳥居残欠↑
(以下、余談)
もとは児島半島東端の小串村光明崎(現在の岡山市南区小串)にありましたが、応徳2年(1085年)に現在地へ移りました。

この遷宮については、次のような伝承があります。
社頭より夜ごと怪しい光が発せられ、このため魚が寄りつかなくなり漁師は不漁で困っていました。
そこで神前にお伺いを立てたところ、「御幣が舞い上がり、飛んで立ったところに遷座するようにとの御神託があり、
御幣が立ったところを幣立山と呼び、この宮を「玉井宮」または「玉の宮」と呼ぶようになりました。

太平洋戦争の岡山空襲では焼夷弾が落下し、社殿や鳥居に被害が出ました。
鳥居の残欠が保存されており、当時の様子を物語っています。