羽黒神社

Last-modified: 2013-04-28 (日) 07:36:07
 

羽黒神社
はぐろじんじゃ
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(参拝日:平成24年12月24日)
住所:岡山県倉敷市玉島中央町1-12-1mapionlogo.gif
主祭神:玉依姫命
社格:郷社
主な祭礼:10月第2土・日曜日(秋季例大祭)

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↑鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
羽黒神社の鎮ります羽黒山は、もと瀬戸内の海上に浮かぶ小さな島でありましたが、
万治元年(一六五八)備中松山(高梁)の城主、水谷伊勢守勝隆公が玉島地方の干拓を行うに際し、
水谷家累世の氏神、出羽国羽黒山の出羽神社(現在の三山神社)の神霊をこの地に勧請し奉り、
この地に移祀されて、当地開墾の成就を祈願せられ、且つ末永く、
氏神土地の守護神として宮柱太しく建てられたのであります。

徳川時代、瀬戸内第1の商港として繁栄しました。
玉島に居住する人々はもとより、船によって港に出入した北海道北陸を始め四国九州の商人達が
寄進した玉垣に当時の人々の崇敬の篤い人柄がしのばれます。

実に羽黒神社は玉島発祥の基地と云えます。

二代水谷左京亮勝宗公も、先代の志を継いで、寛文五年(一六六五)社殿を改築し、
毎年社領米九石一斗を寄進し、歴代の領主も又崇敬篤く社領米を寄進し、御祈願所と定められました。

現在の本殿は嘉永三年(一八四五)、幣拝殿は安政四年(一八五二)に再建されたものであります。

「羽黒神社御鎮座三百年祭」は昭和三十三年玉島全市を挙げてが盛大に斉行され、
記念館が建築されております。

又昭和四十五年より四十八年にかけては、大東亜戦時掘られました防空壕処理の為、
境内復旧事業として羽黒神社会館が出来、その屋上を境内として復旧したのであります。

「羽黒神社御鎮座三百五十年祭」は平成二十年五月に盛大に斉行されました。
記念事業として御本殿屋根替、四末社改築、随神像修復等々行い、後世への引継ぎも新たになりました。

「民の戸をまもるや世々の羽黒山 かげしく海の ふかきちかひに」澄月
(澄月は玉島出身、徳川中期、平安和歌四天王の一人と称された大歌人である)
(献詠二百年を記念して平成七年八月東参道に歌碑が建立されました)

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↑拝殿↑
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↑むすびの松↑
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↑六角石灯籠↑
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↑水谷神社↑
(以下、余談)
神社は玉島にありますが、当地は水谷伊勢守勝隆公が干拓を行うまでは瀬戸内海に浮かぶ島でした。
江戸時代は、岡山藩や備中松山藩の外港として栄えました。
現在は、火力発電所や工場などが立ち並ぶ工業地帯です。

神社はコンクリート造りの建物の上にあります。
これは防空壕処理のため、羽黒会館の上を境内として復旧したのでこのようになっているようです。
本殿には経ノ巻瓦という特殊な瓦が使われています。近代的なコンクリの地盤とは対照的ですね。