塩崎神社

Last-modified: 2013-04-28 (日) 07:05:02
 

塩崎神社
しおざきじんじゃ
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(参拝日:平成24年12月24日)
住所:広島県福山市曙町5-32-22mapionlogo.gif
主祭神:上筒之男命、中筒之男命、底筒之男命、大帯姫命
主な祭礼:10月1日(例祭)

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↑鳥居・拝殿↑
(由緒:現地案内板より)
この曙・新涯の地は、明治維新の前夜、慶応三年(1867年)、当時の福山藩政府が、
十万余両の巨費を投じて、川口沖の海中に、三方の大堤防を築造し、
続いて内部の用・悪水路を通じ、道路・橋梁を完成して、出来たものである。

以来三百数十町歩の水田を開発し、逐年入植した我々祖先の粒々辛苦は、三十年を経ずして既に、
太古以来の広々とした青海原を変じて、黄金なす美田となした。

草創以来百二十一年、今や大道路縦横に、住宅・会社・工場櫛比する、大市街地と化したのである。

この住民街の心の拠り所として、更にこの大神涯の平安を願って、いち早く築堤潮止めを期して、
塩崎神社を唐樋の地に、次いで八幡神社・荒神社・賀茂神社等を勧請し、夫々別々に奉記していたが、
明治三十一年(1898年)此の地を相して、合祀したのである。

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↑砲弾↑
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↑御神木↑
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↑賀茂神社・荒神社↑
(以下、余談)
福山港が近い新涯という場所に神社があります。明治維新の頃、この周囲が埋め立てられたそうです。
当時は水田地帯でしたが、現在は工場や住宅が林立する福山市街地の一角を成しています。
明治31年(1898年)に八幡神社・荒神社・賀茂神社などを合祀して現在の姿になりました。

なぜか境内には砲弾がありますが、これは帝政ロシアのバルチック艦隊との戦闘を記念したものです。
新涯町5丁目出身の縄稚徳治郎氏は、戦艦富士の下士官砲手として参戦し、凱旋帰郷の際に神社に奉納しました。

境内のマツやモッコク、アラカシなど16種類41本の樹木が、2005年に福山市の保護樹木に指定されました。
海風が強い場所ですが、様々な樹木が生い茂っているのですね。