福山八幡宮

Last-modified: 2013-04-28 (日) 07:03:54
 

福山八幡宮
ふくやまはちまんぐう
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(参拝日:平成24年12月24日)
住所:広島県福山市北吉津町1-2-16mapionlogo.gif
主祭神:応神天皇、神功皇后、比売大神
社格:別表神社
主な祭礼:7月30日(例祭)
webサイト:福山八幡宮

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↑中央拝殿↑
(由緒:パンフレットより)
福山八幡宮は、大坂夏の陣の後、元和五年(1619)水野氏が外様の抑えとして備後に入封、
西国鎮衛の城を築き、領内を整備し、福山と名付けた城下を整えた後、久松城の真北・松廼尾山に、
まさに画龍に眼を点ずるが如く、天和三年(1683)四代藩主勝慶により、
備後福山総鎮守の杜として福山藩を挙げて建立された。

東西に並立する社殿は、同一の形式、全ておなじ規模につくられ、両社のご本殿にそれぞれ八幡大神を
お祀りする全国的にも大変珍しい形式の神社である。

一般に「両社八幡」とも呼ばれ、厚い信仰と親しみをこめ「東の宮」「西の宮」とならび称される
両社の創祀の年代は不詳であるが、古くより穴の海と呼ばれた波静かな内海に近い
樫木谷、松山に別々にお祀りされていた。

もと「惣堂八幡」「延広八幡」とよばれた東御宮は承保年中(1074~)宇佐八幡宮よりの勧請。
もと「若宮八幡」「野上八幡」とよばれた西御宮は永享年中(1429~)鶴岡八幡宮よりの勧請と伝えられ、
神辺城主杉原氏また毛利輝元・福島正則らの信仰も厚く、神田の寄進など、相当古くより崇敬をあつめていた。

福山藩初代藩主水野勝成公が、大和郡山より転封、あらたに常興寺山一帯を城地に定め、
城域にあった現東御宮を、神島下市(宮の小路)に遷座。

その後二代藩主勝俊の時、大火にあい明暦年中(1655~)新町にお遷しした。

寛文二年(1622)頃水野家中に騒動がおこり、社名のそうどうの音を嫌い、
「延広八幡」と改称され福山町家の産土神と信仰された。

現西御宮は、野上にあったものを天文年中(1532~)神辺城主杉原盛茂が松山にお遷しし、
勝成公築城に際し、再び野上(古地)泉龍寺南側大杉へ遷座した。

「野上八幡」と申し上げ、藩士及び野上多治木の産土神と信仰された。

ようやく城下も整った天和二年(1682)松廼尾山に在った筆頭家老上田玄蕃の下屋敷を社地に選び、
家老上田四郎左衛門を執行とし、新庄市太左衛門を惣奉行に任じ、普請奉行を鈴置茂左衛門・鎌田與七左衛門・
本庄三木左衛門、作事奉行に坂田弥左衛門を命じた。

三月工を起こし、山をならし今に残る六十九級の石段を築き、
十一月釿始め、翌天和三年三月立柱祭、四月上棟祭と工事は進み、参道の石畳、鳥居を始め
木々の緑に色映えて建つ朱の門、瑞垣も完成。

柱・垂木は彩色され翠簾を吊り、宝鏡を懸けたご本殿、拝殿が堂々とならび立つ
備後福山総鎮守両社八幡のお社が竣工した。

西御宮は八月一日、東御宮は八月七日八つ時(午前二時頃)町内門戸を閉じた浄闇の中、
両社をそれぞれ新宮へ厳粛にお遷しした。

また八月十五日には従2位大納言勧修寺経慶・従五位下勧修寺尹隆より神前に弊帛が奉られ
盛大に両社八幡宮ご鎮座奉祝の祭礼が奉仕され、落慶の能楽が連日催されるなど、
近郷近在より多くの参拝者が訪れ境内は大変な賑わいを呈した。

阿部家二代藩主正�轌(正福)の時、藩命により享保二十年(1735)四月起工した元文四年(1739)の
両社大修理など、社殿の営繕はもとより、阿部家の世子の元服には絵馬と頭髪を奉納するなど、
水野氏改易後も歴代藩主の崇敬殊の外厚く、廩米の寄進が続いた。

明治維新後、神社制度の改変により明治五年(1872)、現東御宮は、「延広八幡神社」。
現西御宮は「野上八幡神社」と改称し、郷社に列格。
明治四十年(1907)神饌幣帛料供進神社に指定され、昭和三年(1928)には県社に昇格された。

終戦後、社格制度は廃止され、あらたに制定された宗教法人法により神社本庁所属の
宗教法人「延広八幡神社」宗教法人「野上八幡神社」となった。

昭和四十四年(1969)両社の法人格を合併し、御社名も宗教法人「福山八幡宮」ちおし、
神社本庁の別表に掲げる神社(特別待遇)に加列した。

その後、昭和五十九年(1984)御鎮座三百年大祭を記念し、
東御宮のお屋根葺き替えを始め、中央拝殿の新築、駐車場が整備され、
平成二十一年(2009)三百二十五年式年大祭記念事業として、西御宮のお屋根葺き替え、
ご本殿ほか彩色錺金具が往時のままに復元され、
天和の気概を今に伝え備後福山総鎮守と称える威風堂々たるご社殿が色鮮やかに甦った。

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↑東御宮入口↑
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↑東鳥居↑
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↑東随神門↑
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↑東御宮↑
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↑西御宮入口↑
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↑西鳥居↑
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↑西随神門↑
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↑西御宮↑
(以下、余談)
この神社を見たとき、鳥居・随神門・社殿がまるでシンメトリーのように並んでいると思いました。
しかし、よくよく観察してみると、東と西のそれぞれについて違いがあることがわかります。

神社を並列して祀る場合、どちらかに統一することが一般的ですが、
ここでは東西同一規模・様式の建造物が並びます。
1969年までは東御宮は延広八幡宮、西御宮は野上八幡宮と呼ばれ別法人でしたが、この年に統一されました。

予備知識なしで訪れたので、あまりの規模の広さに驚いてしまいました。
全体が映った写真がないので伝わりづらいかもしれませんが、実際に歩いてみるとその社殿配置に圧倒されます。