素盞嗚神社

Last-modified: 2013-04-28 (日) 07:02:55
 

素盞嗚神社
すさのおじんじゃ
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(参拝日:平成24年12月23日)
住所:広島県福山市新市町大字戸手1-1mapionlogo.gif
主祭神:素盞嗚尊
一宮:備後国一宮
社格:式内社(小社)、県社
主な祭礼:7月15日(祇園祭)
webサイト:素盞嗚神社

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↑鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
天武天皇御宇(六七二~六八六)の創祀して、
醍醐天皇御宇(八九六~九三〇)に再営されたと伝えられています。

『延喜式』深津郡一座の須佐之袁神社は当神社であります。また、備後国三祗園の一社です。

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↑随神門↑
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↑絵馬殿↑
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↑拝殿↑
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↑蘇民神社↑
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↑戸手天満宮↑
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↑相方城門↑
(以下、余談)
奈良時代のはじめに編纂された『備後風土記』に旧称・疫隈国社が登場します。
蘇民将来の伝説(後述)も風土記に登場します。

後に、祇園社、天王社、江熊祇園牛頭天王社と呼ばれ、明治時代に現在の社名に改称されました。

備後国逸文によると「昔、北海に坐す武塔神が南海の神女のもとに行かれる途中、
日が暮れ一夜の宿を求めて当地で富み栄えていた弟の巨旦将来の所へ行ったが断られ、
貧しかった兄の蘇民将来は快く宿をお貸ししました。年を経て、命は八人の王子をつれて還られた時、
蘇民将来の家に立ち寄られ「吾は速須佐能神なり、後の世に疫病あらば、汝は蘇民将来の子孫と云いて、
茅の輪を以って腰に着けたる人は免れるであろう」といわれ、巨旦を誅滅された伝説が残っています。

この故事から茅の輪くぐりの神事が日本各地で行われ、
「蘇民将来子孫ノ家」と書かれた札が軒先に出されるようになります。

その発祥地とされる神社が境内にある蘇民神社です。

相方城の城門2棟が現存しています。建築年代は16世紀末~17世紀初頭のものとされています。
ほかに、1970年代まで櫓が現存していましたが、火災により焼失しました。