穴守稲荷神社

Last-modified: 2013-09-08 (日) 12:24:34
 

穴守稲荷神社
あなもりいなりじんじゃ
あなもりいなり.jpg
(参拝日:平成25年5月1日)
住所:東京都大田区羽田5-2-7mapionlogo.gif
主祭神:豊受姫命
社格:村社
主な祭礼:11月3日(例大祭)
webサイト:穴守稲荷神社

あなもりいなり1.jpg
↑参道↑
(由緒:パンフレットより)
社殿に云う。文化元年の頃(西暦一八〇四年頃)鈴木新田(現在の空港内)開墾の際、
沿岸の堤防しましば激浪のために害を被りたり。

或時堤防の腹部に大穴を生じ、これより海水侵入せんとす。
ここにおいて村民等相計り堤上に一祠を勧請し、祀る処稲荷大神を以てす。
これ実に当社の草創なり。爾来神霊の御加護あらたかにして風浪の害なく五穀豊穣す。

その穴守を称するは「風浪が作りし穴の害より田畑を守り給う稲荷大神」という心なり。

そもそも稲荷大神は、畏くも伊勢の外宮に斎き祀られる豊受姫命にましまして、
衣食住の三要を守り給える最も尊き大神なり。
吾等一日たりともこの大神の恩顧を蒙らぬ日はなく、実に神徳広大なり。

殊に当社は明治以来、大正・昭和を通じて、最も隆昌に至った。
参拝の大衆日夜多く境内踵を接する如く社頭又殷賑を極め、崇敬者は国内は勿論遠く海外にも及べり。
然るに昭和二十年八月終戦にのぞみ、敗戦と云う未曾有の大混乱の中、米軍による羽田空港拡張の為、
従来の鎮座地(東京国際空港内)より四十八時間以内の強制退去を命ぜられた。

同年九月、地元崇敬者有志による熱意の奉仕により境内地七百坪が寄進され、仮社殿を復興再建。
現在地(大田区羽田五丁目二番)に遷座せり。

爾来崇敬者各位の協力により、社殿・奥宮・神楽殿・社務所・展示場・神輿庫・納札所等復興し、
目下境内整備を実施中にて、漸次昔日の面影を取り戻しつつある次第なり。

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↑社殿↑
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↑神楽殿↑
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↑鳥居群↑

(以下、余談)
東京湾に羽田空港がある大田区にある羽田の鎮守社です。
当初は現在の空港のある場所(昔の鈴木新田)にあり、新田開拓を行った鈴木氏の土地にある祠に過ぎませんでした。
1884年(明治17年)暴風雨により倒壊し、翌年に再建しました。潮干狩りができ、温泉がわくことから、周辺は賑わいました。

明治・大正・昭和と賑わいを見せた穴守稲荷ですが、終戦後に米軍が空港拡張のため土地を接収し、強制退去を迫られました。
空港空港には、場違いな赤鳥居が残されています。撤去しようとすると、祟りが起きたそうです・・・

今日は平日のある日、駅へ向かう人が急ぎ足で次々と、鳥居を潜り抜けていきました。
温泉や潮干狩りといった賑わいはありませんが、地域の生活に密着しているようですね。

ここの御守は空港が近いこともあり、「旅行安全」「航空安全」祈願のものが授与されます。
まずは最初に、ここで安全祈願をしまして、神奈川県は三浦半島に足を進めました。