日吉大社

Last-modified: 2013-12-08 (日) 22:10:15
 

日吉大社
ひよしたいしゃ
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(参拝日:平成25年9月22日)
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住所:滋賀県大津市坂本5-1-1mapionlogo.gif
主祭神:西本宮(大己貴神)、東本宮(大山咋神)
主な祭礼:4月12-15日(山王祭)
関連:摂社(日吉東照宮唐崎神社)
webサイト:日吉大社

(由緒:パンフレットより)
日吉大社は東西両本宮を中心に社殿が鎮座している。

全国三千八百余社の分霊社があり、その総本社。

世にいう山王二十一座とは上七社・中七社・下七社の総称であり、
なかでも上七社の西本宮・東本宮・宇佐宮・牛尾宮・白山宮・樹下宮・三宮宮は、
「山王七社」としてその重要な位置を占めている。

境内地は八王子山(牛尾山)を含む十三万坪。
国宝社殿として東西両本宮二殿、そして重要文化財として十七棟。
かつては境内百八社・境外百八社と称され、境内及び坂本の町々が一大拠点であった。

東本宮の御祭神・大山咋神は、
古事記上巻に「此の神は近淡海国の日枝山に坐まします。」と記載されているように、
神代の昔より比叡山に鎮座する地主神である。

御神名の「クイ」というのは、
山の樹木やその麓の田畑の五穀をグイグイと伸ばし育てて下さる御神徳を指したものである。

その兄弟神には竈神・庭の神・玄関の神・土の神があり、
その御両親の神が大年の神(稲の神)と水の神であることから
五穀豊穣から家庭日常生活の守り神として広く信仰されている。
 

一方、西本宮の御祭神・大己貴神は天智天皇七年(六六八年)大津京遷都にあたって、
大和国三輪山(大神神社)より御神霊を御迎えし、大津京を始め国家鎮護の神として祀られた。

この神は、国土を開拓・統治なされた神である。

 
都が平安京に遷り、京都が日本の中心となると、当社が都の表鬼門(東北)に当ることから、
国民並びに都の鬼門除け更には国家の鎮護、方除け、魔除け、災難除けの祈願の社とされ、
延久三年(一〇七一)後三絛天皇の行幸がなされ、以来歴代の慣例となるほどとなった。

土木建築の守護神として武家の崇敬も篤く、武家が一国の城主に封ぜられると、
その城及びその封ぜられた国の鎮護の神として分霊を遷し奉られた。

伝教大師が比叡山に天台宗の延暦寺を建立し開宗されると、天台宗の護法神、
あるいは伽藍神として仏教とも深い関係を持つに至り、
「日吉茶園」(京阪石坂線坂本駅隣)にて栽培され、産茶の起源となった。

延暦寺の勢力が強大になるにつれ神仏習合が進み、本地垂迹説により寺院の様に扱われ、
また朝廷への強訴の際には僧兵により神輿が担ぎだされた。

建物及び神輿は、織田信長の焼き討ちによって総て灰燼に帰し、
それ以後の再建であり桃山・江戸初期のものである。

又、明治の神仏分離に伴う廃仏毀釈により仏教施設が除かれて、現在の景観となった。

中世以前の古絵図には広い神域に根本多宝塔、彼岸所等が描かれており、
当時の姿をうかがい知ることができる。

(以下、余談)
「日吉」と書いて戦前は「ひえ」と読みましたが、現在は「ひよし」を正式名称としています。
全国に約2200社ある日吉・日枝・山王神社の総本社です。境内は非常に広く400,000m²あります。
東京の日枝神社や富山の日枝神社も山王信仰に基づき勧請した神社です。

牛尾山頂に磐座があり、牛尾神社・三宮神社の奥宮があります。ここが原初の信仰の場と考えられています。
現在の東本宮は、崇神天皇7年に牛尾神社の里宮として創祀されたものと伝えられています。
ちなみに、三宮神社に対する里宮は境内にある樹下神社と考えられています。

近江京遷都の翌年の天智天皇7年、王城鎮護のため大神神社から神霊を勧請しました。
以降、元々の神である大山咋神よりも大己貴神の方が上位と見做され、「大宮」と呼ばれました。

最澄が比叡山に延暦寺を建立し、比叡山の地主神である当社を守護神として崇敬しました。
中国の天台宗の本山「天台山国清寺」で祀られていた山王元弼真君に倣い、山王権現と呼ばれます。
中世には、比叡山の僧兵が強訴のために日吉大社の神輿を担いで山を下りました。
天台宗が全国に拡がると共に、山王信仰に基づいた日枝神社が全国に勧請・創建されました。

当社では「猿」を神の使いとしています。神猿舎や西本宮楼門の彫像、猿岩などがあります。
織田信長の比叡山焼き討ちにより神社も灰燼に帰しましたが、後に豊臣秀吉は当社の復興に尽力しました。
秀吉の幼名「日吉丸」、あだ名が「猿」だったことから、特別な神社と考えたのでしょうか。

明治の神仏分離令により仏教色が排され、東本宮と西本宮の御祭神を入れ替えました。
すなわち、西本宮の大山咋神を主祭神とし、大物主神を祀る東本宮は摂社・大神神社に格下げしました。
昭和初年に元の形(西本宮:大己貴神、東本宮:大山咋神)に復しました。
大神神社の由緒では、大国主神が自らの和魂を大物主神として祀ったとあります。
日枝神社では大物主神を大比叡、大山咋神を小比叡と呼びます。また、山王は二神の総称です。

写真の枚数も必然的に多くなりますので、今回は初の2ページに分割しました。