八代神社

Last-modified: 2013-10-05 (土) 19:34:00
 

八代神社
やつしろじんじゃ
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(参拝日:平成24年9月17日)
住所:熊本県八代市妙見町405mapionlogo.gif
主祭神:天之御中主神、國常立尊
社格:県社
主な祭礼:11月22-23日(妙見祭)

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↑鳥居↑
(由緒:現地案内板より)
八代神社は明治4年(1871)まで妙見宮と呼ばれ、
文治2年(1186)に検校散位大江朝臣高房がこの地に創建したと伝えられています。

祭神は北極星と北斗七星を神格化した天之御中主神と国常立尊です。

南北朝時代から戦国時代の混乱期を過ぎ、加藤氏による八代城完成と同年の元和8年(1622)に社殿が、
また、寛永13年(1636)には細川三斎公によって神輿と神輿屋、脇殿、拝殿などが再興されました。

その後も元禄12年(1699)と寛延2年(1749)に、城主松井氏によって修復がなされ現在に至っています。

社殿は、屋根は入母屋造り、正面に 千鳥破風があり、数多くの緻密な彫刻が随所に施され、
江戸時代中期から後期の社寺建築の特徴がよく表わされています。

11月22・23日の秋季例大祭である妙見祭は九州を代表する都市例祭で、
「八代妙見祭の神幸行事」として国の重要無形民俗文化財に指定されています。

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↑神門↑
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↑拝殿↑
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↑樟↑
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↑妙見祭の面 火王・水王・風王↑
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↑六地蔵幢↑
(以下、余談)
もともとは妙見宮でしたが、明治の神仏分離により八代神社になった経緯をもつ神社です。
福島の相馬妙見、大阪の能勢妙見と並び、日本三大妙見の一つとされたそうです。
八代宮と名前がややこしいですが、神社の由緒はまったく別物です。

境内には樹齢600年以上のクスノキがあります。
豊臣秀吉の家臣・小西行長が八代を統治していた時代、妙見宮の建物や書物などが破壊され、
御神体とこのクスノキの幹の南側だけが焼け残りました。

クスノキには、人吉城主・相良義陽の逸話が伝わっています。
島津氏の支配下に入った義陽が、盟友の御船城主・甲斐宗運を討つことを命じられ、苦悩の末に決意します。
出陣前に妙見宮で戦勝祈願したところ、戦旗がクスノキの枝にひっかかってとれなくなりました。
不吉な前兆と家臣は止めましたが、義陽は旗を引きちぎり出陣し、戦死という最期を遂げました。