大野湊神社
住所:石川県金沢市寺中町ハ163
主祭神:猿田彦大神
社格:式内社(小社)、県社、別表神社
主な祭礼:8月1-3日(大祭)
webサイト:大野湊神社

↑鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
大野湊神社は、神亀4年(727)陸奥の人、佐那が航海中に猿田彦大神の出現を感じ、
海辺の大野庄真砂山竿林の神明社の傍に一祠を建立し勧請するをその創祀とする延喜式内社です。
建長4年(1252)社殿炎上のため、離宮八幡宮(現在の社地)に遷座されました。
大野湊神社は、神亀4年(727)陸奥の人、佐那が航海中に猿田彦大神の出現を感じ、
海辺の大野庄真砂山竿林の神明社の傍に一祠を建立し勧請するをその創祀とする延喜式内社です。
建長4年(1252)社殿炎上のため、離宮八幡宮(現在の社地)に遷座されました。
加賀藩主前田家の尊崇篤く、大野庄(現金沢駅西地区)の総社として社殿、神器の修築や寄進を受けております。
海と湊の安全を守護し、交通安全、厄除け等に御神徳の高い大神様として厚い信仰を集めています。

↑拝殿↑

↑随神門↑

↑北鳥居・神門↑

↑能舞台↑

↑白山社↑
(以下、余談)
金沢の市街地から日本海の方向へ向かい、能登有料道路の乗り口に近いところに神社がありました。
海から吹き付ける風が強いためか、雪がやや少ないような気がします。
金沢の市街地から日本海の方向へ向かい、能登有料道路の乗り口に近いところに神社がありました。
海から吹き付ける風が強いためか、雪がやや少ないような気がします。
陸奥の佐那という人が創祀に関わっていますが、佐那は地名に由来するとの説や、
さなぎで製鉄との関連があり、製鉄技術が伝えられたことに関係するという説があります。
『平家物語』に越中前司・平盛俊が宮腰の佐良嶽に陣を敷いたとの記述がありますが、
これは現在の金沢市金石町あたり、犀川河口南岸の砂丘地といわれています。
神社は佐良嶽に鎮座しましたが、砂丘地が削られて、神社は海中へ没したといわれています。
江戸初期から前田利長公が戦勝奉賽として神事能を再興し、前田家の保護のもと神事能が演じられました。
毎年5月15日に「寺中の神事能」として奉納され、平成21年には神事能400回記念演能が行われました。
