海南神社

Last-modified: 2013-07-25 (木) 00:06:50
 

海南神社
かいなんじんじゃ
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(参拝日:平成25年5月1日)
住所:神奈川県三浦市三崎4-12-11mapionlogo.gif
主祭神:藤原資盈公、盈渡姫、地主大神
社格:郷社
主な祭礼:1月15日(ちゃっきらこ奉納舞)
webサイト:海南神社

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↑鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
御祭神・藤原資盈公は、天児屋根之命之の苗裔である。
九州太宰少弐広嗣の五代の孫に当り、五十六代・清和天皇の御宇、
皇位継承争いに関係した伴大納言善男の謀挙に荷担しなかった為、
讒訴で追討の罪を蒙って筑紫の配所に航する途中、
暴風に遭遇して貞観六年(八六四)十一月一日父子三人、郎党五十三人は当地に着岸した。
(公の嫡男の船は房総半島に着岸し、現在の鉈切大明神は資盈公の嫡子を祀ると伝えられる。)

その後、資盈公は土地の長に推戴され、房総の海賊を平定し、郷民を教化して特に漁業の知を開き、
文化の礎を築くなど福祉に努力したので、郷民の尊崇の念も篤く、貞観八年(八六六)に公が歿すると、
その亡骸を海に沈め、祠を花暮海岸に建立して祀った。
後、花暮の祠を本宮として天元五年(九八二)に現地に社殿を造営し、三浦一郡の総社となる。
 
その後、承応二年(一六五三)三月、正一位(吉田家神道の宗源宣旨)に進められ、
享保四年(一七一九)三浦半島の総鎮守となる。
明治六年郷社に列し、同四〇年神饌幣帛料共進神社に指定された。 

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↑社殿↑
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↑相州海南高家神社↑
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↑神楽殿↑
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↑神池↑
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↑御神木↑
(以下、余談)
三浦半島の最南端・三崎港に浮かぶ城ヶ島が高台に上がると見えます。
観光客で賑わう三崎公園から商店街の小道を進んだ先に鎮座しています。

社殿の海南の由来は諸説あり、海に向かって南面しているため、海難に由来するとの説がありますが、確証はありません。

主祭神は藤原資盈です。筑紫国へ赴く途上、暴風によって三浦半島に漂着。のちに房総の海賊を平定しました。
資盈が没すると、地元民は祠を建てて祀りました。

10年以上前のゲームですが『トロと休日』のロケ地の舞台の1つにも選ばれています。