走水神社
住所:神奈川県横須賀市走水2-12-5
主祭神:日本武尊、弟橘媛
社格:郷社
主な祭礼:10月15日(秋季例大祭)
webサイト:走水神社
↑参道・社殿↑
(由緒:パンフレットより)
景行天皇の御行、東征中の大和武尊は、古代東海道をたどって来り走水から船で上総へ渡ろうとしたが、
暴風雨に阻まれ、立ち往生してしまった。
景行天皇の御行、東征中の大和武尊は、古代東海道をたどって来り走水から船で上総へ渡ろうとしたが、
暴風雨に阻まれ、立ち往生してしまった。
このとき、同行してきた弟橘媛がみずから入水して海神の怒りを鎮め、
航海の安全を図ったという伝説にちなみ、創建された古社。
また、日本武尊は、わが身を犠牲にして海を鎮めてくれた弟橘媛を偲び、御所ヶ崎に祭る一方、
村人の敬慕に謝し冠を下賜されたといわれる。
村人はこの冠を石棺に納め、その上に社殿を建立して尊を祭ったのがはじまりと伝わる。
明治四十三年、近くの御所ヶ崎に祭られていた弟橘媛は走水神社に合祀された。
境内に弟橘媛の顕彰と航海安全の祈願を込めて奉納された舵の碑がある。
↑参道↑
↑水神社↑
↑境内地図(クリックで拡大)↑
↑宝物殿↑
↑機雷↑
(以下、余談)
横須賀の観光地・観音崎の近くに鎮座します。
国道16号線の向こう側にはすぐそこに海が広がります。
神社の創建年代は古記録が失われたので不詳です。
伝説では、日本武尊が東征の途上、浦賀水道を渡る際、自分の冠を村人に与えました。
その村人がこの冠を石櫃へ納め土中に埋めて社を建てたのが始まりとされています。
海神の怒りを鎮めるため、弟橘媛命が入水しますと、風が凪いで無事に日本武尊一行は上総国に渡れました。
余談ですが、日本の東部を「あずま」と呼ぶのは、尊が「吾妻はや(我妻よ)」と嘆いた故事に因むそうです。
この走水の伝承は、媛の袖が流れ着いた袖ヶ浦・袖ヶ浜など、東京湾の地名の由来となりました。