水天宮

Last-modified: 2013-10-05 (土) 19:16:28
 

水天宮
すいてんぐう
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(参拝日:平成24年9月15日)
住所:福岡県久留米市瀬下町265mapionlogo.gif
主祭神:天御中主神、安徳天皇、高倉平中宮、二位の尼
社格:県社、別表神社
主な祭礼:8月5日(筑後川花火大会)
関連:東京水天宮?

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↑神門↑
(由緒:パンフレットより)
寿永四年(西暦一一八五年)、三月二十四日 壇ノ浦の戦の後、高倉平中宮に仕えていた官女
按察使局伊勢は千歳川(現筑後川)の辺り鷺野ヶ原に遁れ来て、初めて水天宮を祀った。

この頃は未だ筑肥の界も明らかでなくただ荒漠たる原野であったという。

今日、川を隔てて下野村があるが、
近くの鷺ヶ鼻と言う地名は当時の古名が残ったものであると言われる。

伊勢は後に剃髪して名を千代と改め、里人に請われるままに加持祈祷など行っていたが、
御霊験のあらたかにして、尊崇するもの日増しに多くなり、
尼御前と称え慕い社名を尼御前神社と呼ばれるに至った。

その頃中納言 平知盛卿の孫(従四位少将 平知時の四男 右忠)
肥後より千代女を訪ね来てこれを養いその後嗣とした。

千代女逝去の後、里人その墓を営み松を植えて千代松明神とあがめ奉った。

同女は大和国石上布留神社(現石上神宮)の神官の娘にして、
墳墓は久留米市内株式会社アサヒコーポレーションの正門前に在り、
奥津城祭(墓前祭)は毎年春に奉仕されている。

当宮は古来農業、漁業、航海業者間に信仰が篤いのみならず、
子供の守護神、安産の神として或いは病難、火災などの除災招福の御霊験高きを以て聞こえ、
畏くも明治天皇御降誕の砌、孝明天皇は当宮へ御祈誓遊ばされ、
御報寶として御安産の後鳥の小餅を御内々に御献供遊ばされた。

かくの如く御霊験あらたかなるを以て明治元年十月三日、
禁裏御祈祷所(勅願所)に仰せ付けられた名社である。

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↑拝殿↑
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↑筑後川↑
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↑御座船↑
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↑摂社・真木神社↑
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↑山梔窩(くちなしのや)↑
(以下、余談)
東京水天宮をはじめ、全国にある水天宮の総本社が久留米市にあります。
最近ですと、新幹線が開通しましたので、境内からは筑後川を渡る遠景を見ることが出来ます。

明治維新の中心的指導者であり、水天宮第22代宮司だった真木和泉守保臣命が、
摂社・真木神社に祀られています。遺品を集めた記念館もあります。
師弟の教育を行い、尊王倒幕の策源地となった、山梔窩が境内に復元されています。