大杉神社

Last-modified: 2013-07-07 (日) 14:15:45
 

大杉神社
おおすぎじんじゃ
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(参拝日:平成25年5月4日)
住所:茨城県稲敷市阿波958mapionlogo.gif
主祭神:倭大物主櫛甕玉命、大己貴命、少彦名命
社格:郷社、別表神社
主な祭礼:例祭(10月26-27日)

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↑社殿↑
(由緒:パンフレットより)
【海上に浮かぶ大杉】
大杉神社の鎮座する場所は、現在の霞ヶ浦、常陸川、利根川下流域、印旛沼、手賀沼、牛久沼、鬼怒川下流域、
小貝川下流域を内包する常総内海(常総内湾)に西から東に向かって突き出すような半島地形のほぼ突端に位置していました。

『常陸風土記』には安婆嶋として登場します。半島状地形にもかかわらず半島の東側に比べ、
かなり西側で大きくくびれた地形をしていたため、遠景としては島状を呈していたため安婆嶋と呼称されておりました。

この一帯は律令以前にはかつて海上之国(うなかみのくに)という霞ヶ浦東岸域(稲敷、行方、鹿島南部)と
東総域(香取、海上、匝瑳)を治めていた小国の一部であったと伝えられております。

海上之国は菟上国、海上国とも表記され、常総内湾の交易、産物を中心として成立した小国で、
ここに暮らす多くの人々は概ね漁撈と農耕の両方を生活基盤としていており、
製塩や玉造(勾玉を中心とする信仰対象の装飾品の製作)も盛んで当時の大切な交易物資であったと伝えられております。

【海河の守護神あんばさま】
この菟上国は広大な常総内海を支配域としており、内海の航路標識の役割をはたしていたのが大杉神社の巨大な杉でありました。
またこの地が「あんば(海場・あまば)」と呼ばれたことから巨杉に鎮座する神様を「あんばさま」と呼んでおりました。

「あんばさま」は常総内海の人々の信仰の対象であり、
海で生活する人々の交通標識の役割を十二分に発揮していたと考えられます。

後に舟運交通守護の神様として利根川水系、太平洋沿岸の舟運業に携わる多くの方々に信仰され、
さらに陸送業に業務転換を図ったそれらの人々は交通安全の神様として篤い信仰をしてきたのも、
こうした原初の信仰によっております。

律令体制期に内海の西にあった筑波国の一部に組み入れられるまでは菟上国のもっとも重要な神社であり、
菟上国造の祀る最重要な神社でありました。

その後菟上国(海上国)の海上支配、交易権は、南下してきた仲国に移譲しましたが、
一般民衆の間では依然として海河守護の神様としての信仰は温存されつづけられました。

【民衆を救った大杉大明神】
神護景雲元年(七六七)、当時都が置かれた大和国(現・奈良県)を旅立った勝道上人は、
下野国二荒山(栃木県?日光)をめざす途上にありましたが、
大杉神社に着くとそこで病苦にあえぐ民衆を救うべく巨杉に祈念しました。

すると巨杉の梢に三輪明神(奈良県三輪の大神神社)が飛び移り病魔を退散せしめたところから、
やがて「あんばさま」は「大杉大明神」と呼称されるところとなりました。

現在、病気平癒、厄除けなどに霊験あらたかとして多くの方々に崇敬されておりますのは、
こうした神様の御性質に起因しております。

この大杉神社を御守護申し上げるべく延暦二十四年(八〇五)には境内の一角に安穏寺が開基され、
以降明治になるまで大杉神社は安穏寺が別当を勤めました。

【夢むすび大明神】
文治年間にはその容貌が巨体、紫髭、碧眼、鼻高という常陸坊海存(海尊)が登場し、
大杉大明神の御神徳によって数々の奇跡を示したことから、
海存は大杉大明神の眷属で、天狗であるとの信仰へと発展いたしました。

当初は御眷属としては烏天狗のみとしておりましたが、
後に陰陽一対として鼻高天狗、烏天狗の両天狗を御眷属とすることとなりました。

この御眷属、常陸坊海存の奇跡の霊験から、いかなる願いも叶えてくださる日本で唯一の神様として
いつしか大杉神社は「夢むすび大明神」と称されることとなりました。

また鼻高天狗は「ねがい天狗」、烏天狗は「かない天狗」と呼ばれるようになりました。

【天海に奇跡を授けた神様】
江戸時代初頭には大干ばつで苦しむ関東一円に雨を降らせるという奇跡を起こした僧天海(慈眼大師)に
霊験を与えた神社として知られるようになりました。

天海は後に上野寛永寺や日光輪王寺の住職となり安穏寺の住職も兼帯して大杉大明神に仕えました。
以降大杉神社のある安穏寺は上野寛永寺や日光輪王寺と同様に明治になるまで輪王寺宮の兼帯するところとなりました。

【信仰の広まりとあんば囃子】
家康の江戸入府以降それまで東京湾に注いでいた利根川の河川改修により、銚子へと流路を替えた利根川は、
水郷流域と江戸を結ぶ河川として流域は急激な発展を遂げることとなりました。

これにともない海河の守護神としての大杉神社もまた急速な信仰域の再生(拡大)を遂げることとなりました。

それまでの信仰域であった常総内海域にとどまらず、鬼怒川、小貝川をはじめ、これらに注ぐ多くの川の流域や、
各河岸に通じる街道周辺にも拡大。さらに太平洋岸から日本海へと海民の移動と共に信仰が拡がり、
盛時には北はカムチャッカ近くの千島列島から新潟にいたる日本海側のおもな河岸、漁港など。
また千葉、東京を経て静岡いたる太平洋岸の地域、先述の河川や多摩川、養老川、小櫃川の流域など、
かなり広範な地域に信仰がもたらされたことが知られています。

この信仰の流布にともない、「悪魔払い囃子」と称された芸能も各地に広まり、
それぞれの地域で独自の展開をみせ現在も多くの地域で伝承されております。

大杉神社の鎮座する稲敷市阿波では地名を採って「あんば囃子」と呼んでおりますが、
多くの地域では「大杉囃子」「災禍囃子」などと呼称されております。

元和三年(一六一七)に銚子の田中玄蕃が醤油の醸造の成功祈願の御礼として、
十二座神楽とともに紀州より伝えられたのが原初とされております。

いっぽう十二座神楽は椿海の干拓成功とともに千葉県旭市を中心に広がりましたが明治末期に旭市で廃絶した際には
再度当社より伝承し、昭和初期に一部の演目が絶えた際には大杉神社に逆伝承されました。

田中玄蕃に代表されるように多くの実業家が大杉神社で創業の志を立て、事業安泰の祈願をして成功を遂げました。
玄蕃と同じく醤油醸造で成功した高梨兵左衛門や茂木七左衛門も創業の志を大杉神社で立て、のちにキッコーマンへと発展。
國分勘兵衛は土浦で醤油醸造をはじめ、後にK&K、国分として発展いたしました。

このように創業の志を立て、商売繁昌、企業安泰の神様として多くの実業家が信仰する神社としても知られております。
また、企業の困難期を救う神様としても知られており、金運、財運、資金繰りの神様としても信仰されております。

【年間500万人の参詣者】
現在も多くの地域からの参拝者がございますが、厄除け・八方除け・星除けを中心として、
夢むすび(恋愛成就・心願成就など)、交通安全などの祈願に訪れる方々が後を絶ちません。

さらに多くの商工業者を育てた神社として多くの企業や実業家が参拝に訪れております。

また摂社大国神社には金運をもとめて参拝される方々、勝馬神社には競馬関係者をはじめ、競馬ファンの方の参拝が多くございます。
さらに相生神社は子授けにご利益があるとされ、子授棒を求めて来られる方がたくさんおられます。

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↑神楽殿↑
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↑麒麟門↑
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↑回廊・境内社↑
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↑勝馬・稲荷・稲荷神社↑
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↑太郎杉跡↑
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↑碁盤石↑
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↑三郎杉↑
(以下、余談)
霞ヶ浦の南方、国道125号を通過していると大杉神社の看板があります。その後、まもなく神社の駐車場が見えます。
主に関東・東北地方に分布する大杉神社の総本社であり、別表神社にも指定されています。

太古の「常総内海」といわれた時代から信仰されてきた歴史のある神社です。
海上交通の安全祈願に杉の古木は「あんばさま」と呼ばれました。

近代には、醤油醸造の成功者、さらに多くの商工業者から信仰されます。
日本中央競馬会美浦トレーニングセンターの関係者が一年の祈願に訪れており、「勝ち馬守り」が頒布されています。

神社は綺麗に装飾されており、壁面の随所に彩色された彫刻が復元されています。
楼門は工事中でしたが、こちらも色鮮やかな姿でお披露目されるのでしょうか。