胎安神社

Last-modified: 2013-07-07 (日) 13:27:44
 

胎安神社
たやすじんじゃ
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(参拝日:平成25年5月4日)
住所:茨城県かすみがうら市西野寺433mapionlogo.gif
主祭神: 木花開耶姫命、経津主命、彦火瓊瓊杵命、彦火火出見命
社格:村社
主な祭礼:3月3日(例大祭)
webサイト:胎安神社

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↑神門↑
(由緒:パンフレットより)
創建は、奈良時代、天平宝字6年9月(763年)と伝えられています。
西暦741年の聖武天皇の勅願により、国分寺、国分尼寺が全国各地に建立されました。
常陸国府中(石岡市)に建てられた20数年後の頃です。

社伝によると、御神体は、鏡(藤原政重の銘)で、初めは、下総国香取神宮の神(経津主命)を祀り、相殿に、
山城国葛野郡(京都嵐山)梅宮大社の御分霊として、胎内安全の神(木花咲耶姫命)を祀りました。

この時、4月8日(現在は3月3日)を胎安神社の例祭と定められました。

天喜2年(1055年)鎮守府将軍陸奥守・源頼義、義家父子が、奥州征討の時、隣村の下雫村(下志筑)在陣中に、
胎内安全、安産子育守護の霊験著大なることを聞き、都にいる御内室の懐胎を遥想されて、
神主を招き、安産祈願を執り行いました。

康平6年(1064年)大任遂行の帰路、当社と子安神社に奉賽すなわち、お礼参りをされました。
この時の「太刀一振り」の奉納札が残っています。
その後、義家の嫡男誕生の9月9日を記念日として祭日に定めたとされています。 

尚、この時以来、義家の家紋である笹竜胆の紋章の使用を許されました。
その後、常陸国内は、戦乱が続いたためか、数百年間の詳しい社伝がありません。
1500年頃から、遷宮、改修、裁許(宮司任命状)、安産祈願、奉賽などの記録が、棟札、古文書などに残っています。

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↑拝殿↑
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↑参道↑
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↑子持ち松↑
(以下、余談)
常磐道・千代田石岡ICから南東へ約1,5kmほど進むと、胎安神社と子安神社?があります。

京都・梅宮大社?から分霊を勧請した国内唯一の胎内安全の神として信仰されています。
八幡太郎・源義家が奥州征伐の途上、内室の為に胎内安全安産を祈願され、嫡男出産の日を祭日と定められました。

神社の歴史と共に成長してきた子持ち松ですが、明治時代に枯れてしまいました。
当時の樹齢は推定500年とされています。「石(子)を抱いた珍しい松」は安産の御利益があります。