蛟もう神社

Last-modified: 2013-06-23 (日) 22:54:39
 

蛟蝄神社
こうもうじんじゃ
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(参拝日:平成25年5月3日)
住所:茨城県北相馬郡利根町立木882mapionlogo.gif
主祭神:水波能女命、埴山比賣命
社格:式内小社、郷社
主な祭礼:9月14日(例祭)

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↑門の宮・鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
蛟蝄神社の創建は諸説ありますが約二三〇〇年前(紀元前二八八年)に現在の門の宮の場所に
水の神様の罔象女大神を祀ったのが始まりといわれています。

平安時代(六九八年)に土の神様の埴山姫大神を合祀し水害や民家が近いという理由で詳しい年代は分かっておりませんが
社殿を東の高台(現在の奥の宮)に御遷座致しました。

門の宮を取り壊すはずでしたが氏子崇敬者の声が上がり、御祭神の御魂を分祀し門の宮にお祀り致しました。
現在もなお一層の御神徳をもって下総國相馬の郷を見守っておられます。

「延喜式」(全五十巻)の書物の中の第九巻、第十巻の延喜式神名帳にはその当時、
特に重要な二八六一社の神社が記されております。下総國には十一社の式内社があります。
蛟蝄神社は「下総國相馬郡一座小社蛟蝄神社」と記されております。

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↑門の宮・社殿↑
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↑奥の宮・鳥居↑
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↑奥の宮・社殿↑
(以下、余談)
茨城県利根町の田畑地帯にあります。このあたりの道路はよく区画整理がなされています。
神社は「門の宮」と「奥の宮」がありますが、社務所のあるのは「奥の宮」です。
「門の宮」は「奥の宮」に遷座した際に取り壊す予定でしたが、氏子崇敬者からの声により残りました。

「門の宮」は住宅が点々と並んでいる地域に鎮座し、子供が境内で遊んでいました。
「奥の宮」は小高い丘の森の中にあり、少し鬱蒼としています。
なお、それぞれの社殿の形状はほぼ同じで、赤い屋根の拝殿でした。

利根川の水害を畏れて蛇神を祀ったのが始まりのようですが、詳細は詳らかではありません。
「奥の宮」に遷された経緯もよく分かりませんが、水害によるものでしょうか。