小梳神社

Last-modified: 2013-04-28 (日) 07:07:57
 

小梳神社
おぐしじんじゃ
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(参拝日:平成25年2月11日)
住所:静岡県静岡市葵区紺屋町7-13mapionlogo.gif
主祭神:建速須佐之男命、奇稻田姫命、大己貴命 天照皇大御神
社格:県社
主な祭礼:7月27日(例大祭)

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↑鳥居↑
(由緒:現地案内板より)
当神社創建の年代は詳らかでないが、静岡市では最も古い神社の一つである。

元の鎮座地は、現在の県庁の東南側の所であった。その周辺一帯の地名を古くは小梳と云い、後に東川辺と改められた。
惣国風土記に「小梳神社所祭素戔嗚尊、奇稲田姫也、小梳後号東川辺、延喜式安倍郡小梳神社とあるは、
此社なり」と記載されている。大宝律令の定めにより横田駅が設けられて以来は、その守護神として信仰され、
貞観の頃より、祇園信仰が全国的に拡まるにつれて、当神社は少将井神社とも云われ、江戸時代には一般町民からは専ら
「少将の宮」と称せられたようである。

この東川辺の地に駿府城が築かれて以来は、府城の守護神としての崇敬が加わり、徳川家康が幼時今川家の人質として、
当神社の宮前町に居住し撫育につとめた祖母華陽院と共に、日夜武運長久を祈願し、後年家康が大阪夏の陣に勝利し、
天下を年定してこの駿府城に隠居するにあたり、代々徳川家の守り神と伝わる大己貴命、天照大神、二神を小梳神社に合祀し、
少将井五所大神宮と称し、元和元年九月三日に林道春(羅山)に命じて、この由を社請けに識さしめ奉献したものが現存している。

これよりさき、慶長十四年駿府城の城域拡張により、当神社はその城域内に入った。
駿河大納言忠長は、不敬を冒すを畏れ、又庶民参拝の使をはかって、寛永八年に仮宮を造って奉遷し、
延宝三年に現在の地に社殿を造営して遷宮した。この造営の事にあたったのは、城代松平右近を始めとして町奉行
大久保甚兵衛外城番、番頭、加番、目付等である。

翌延宝四年から隔年に神幸祭が行われた。この神幸祭はぎおん祭といわれ町奉行、与力同心が警護にあたり、加番衆より
出し馬があり、駿府の町々は一番より四番まで組合を定め各町より屋台、台の物など踟物を出し駿府城の町々を巡行した。
当時のもようを駿国雅記には「供奉の行列装束を粧い引連なる踟物の結構は都山王の祭礼に彷彿たり」と記されている。

明治8年二月郷社に列し、明治四十年七月県社に昇格した。

昭和十五年一月静岡市大火により社殿工作物を悉く失い、同年建築した仮社殿も昭和二十年六月の戦災により
再び炎上したが、昭和二十五年年以来、本殿・社務所・手水舎・其他現在の建造物を順次復興建築した。

昭和三十七年三月七日、北白川神宮祭主様が伊勢神宮の坊城大宮司、神社本庁佐佐木統理を伴って正式参拝された。

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↑拝殿↑
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↑稲荷社↑
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↑新庄土堰の碑↑
(以下、余談)
静岡駅前の繁華街の中に神社があります。境内の一角では、雑貨を扱う露店が出ていました。
散歩にふらっと通りかかった人や、通り抜けるのが目的と思われる人など、常に人の行き来が絶えない神社でした。

神社は奈良時代以前からの由緒があるといわれています。
小梳は「オグシ」と読みますが、かつてはアイヌ語源の「オクシリ」と読まれていました。
これは昔の鎮座地が、水の中に浮かぶ島だったことと伝えられています。