桜ヶ池 池宮神社
住所:静岡県御前崎市佐倉5162
主祭神:瀬織津比詳命、事代主命、建御名方命、皇圓阿闍梨大龍神
社格:郷社
主な祭礼:9月22-23日(おひつ納め)
webサイト:桜ヶ池 池宮神社
↑鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
創祀は敏達天皇十三年(五八四年)に瀬織津比詳命がご出現、社殿の造営がなされた。
後、栄枯盛衰が激しく平安時代初めには衰退し、社殿は大破した。
しかし平安時代中期一条天皇の長保三年(一〇〇一年)社家の遠祖源朝臣信栄が社勢を再興した。
創祀は敏達天皇十三年(五八四年)に瀬織津比詳命がご出現、社殿の造営がなされた。
後、栄枯盛衰が激しく平安時代初めには衰退し、社殿は大破した。
しかし平安時代中期一条天皇の長保三年(一〇〇一年)社家の遠祖源朝臣信栄が社勢を再興した。
室町時代に入ると駿河・遠江を領有するする今川氏の崇敬を受けたが、戦国末期に武田・徳川両氏の高天神城争奪の地となり、
社殿はじめ神宝、旧記、古文書の大部分を焼失。
江戸時代に神官信盛が再び興し、徳川氏の崇敬を受け、明治維新に至るまで地頭の祈願所となっていた。
享保十六年(一七三一年)には正一位の神官宣示を受け、本殿は宝暦十年(一七六〇年)、拝殿は元文四年(一七三九年)に、
時の大宮司従四位下佐倉大輔源朝臣信幸が造営し、その名を池宮天王社とも称され現今に至る。
↑拝殿↑
↑池宮と皇圓阿闍梨↑
↑境内地図(クリックで拡大)↑
↑佐倉護国神社↑
↑境内社(八幡神社・津島神社・弁天神社)↑
↑龍神のモニュメント↑
(以下、余談)
御前崎から1.5km程度の丘陵地帯に桜ヶ池があり、それに面する形で神社が建っています。
その名前の通り、桜の季節は見事なようですが、2月のこの季節は海風で肌寒いだけでした。
御前崎から1.5km程度の丘陵地帯に桜ヶ池があり、それに面する形で神社が建っています。
その名前の通り、桜の季節は見事なようですが、2月のこの季節は海風で肌寒いだけでした。
秋の彼岸の中日(秋分の日)、おひつ納めという神事が行われます。
比叡山の名僧・皇円阿闍梨が龍蛇と化して入定し、池の主神となりました。
弟子たちが供養のため、檜のお櫃に赤飯をつめ、一つは池宮神社に、一つは皇円阿闍梨にと、池に沈めたのが始まりです。
伝説では、桜ヶ池にお櫃を沈めると、信州・諏訪湖に浮かび上がるといわれています。
1967年5月末、当時の浜岡町の企画課長、後の町長となる鴨川義郎氏が上京し、水野成夫氏と面会しました。
「泥田に金の卵を産む鶴が降りたようなものです。お受けなさい」名誉町民の称号を受けていた氏はそう諭しました。
鶴=中部電力から毎年30万円の慰労金が支払われたという、水野成夫氏の胸像が公園の一角にありました。
それも今や昔、2011年に浜岡原子力発電所は1~5号機すべての運転を停止しました。
いずれ起きると予測されている、東海地震と津波に備えての準備を進めているとのことです。