花尾神社

Last-modified: 2013-10-20 (日) 13:05:29
 

花尾神社
はなおじんじゃ
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(参拝日:平成25年8月13日)
住所:鹿児島県鹿児島市花尾町4043mapionlogo.gif
主祭神:源頼朝、丹後局
社格:村社
主な祭礼:10月19日(例祭)

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↑鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
花尾山の南麓に鎮座するこの神社は、絢爛豪華な建築で知られ、その美しさを日光東照宮にたとえて
「薩摩日光」とも称される。創建は、建保六年(1218)と伝えられ、古くは「厚地山権現」「花尾権現」とも呼ばれた。

「花尾大権現廟記」には、神社の由緒について次のように書かれている。

島津氏初代の忠久(1179~1227)は、正治元年(1199)に亡くなった父、源頼朝のために、
建保六年(1218)花尾山の麓に廟堂を建ててその尊像を安置した。

花尾神社の参道人口、向かって右手の丘には、数十基に及ぶ古石塔が建ち並んでいます。

ここは、遺命により花尾山の麓で荼毘に付された丹後局の遺灰を集めて「灰塚」とし、
石塔を建てて遺骨を納めた場所であり、周囲には局の側近ぐ支えた人々が葬られたという(花尾大権現廟記)。

「薩摩往返記事」などの紀行文で知られる高木善助(~1854)が残した「紀行篇画帖」という紀行画集には、
花尾神社について「花尾山大権現ハ城下ヨリ北三里余リ、薩摩国守君ノ御先祖島津思久公ヲ摂州住吉ニテ産タマフ母
丹後局ヲ祭レリヲヨシニテ、今二城下ノ士庶安産ヲ祈願ナリ」と記されており、花尾神社が安産の神様として
たいへんよく知られていたことを伝えている。

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↑拝殿↑
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↑島津家代々守護神「稲荷大明神」「春日大明神」↑
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↑丹後局御茶昆所↑
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↑丹後局墓・僧永金墓↑
(以下、余談)
鹿児島市の郊外、花尾山麓に鎮座する神社です。鳥居が丸に十字の島津氏の家紋が描かれています。
かなりの山奥にポツリとある神社なのですが、島津初代当主・忠久公の母「丹後局」や島津氏の始祖と
言われる「源頼朝公」を祀る神社として、歴代の崇敬篤い神社でした。
琉球からの使節が派遣された折りには、必ず参詣する慣わしがあり、琉球使節奉納の扁額が残っています。

豪華絢爛な社殿から「薩摩日光」とも言われます。
本殿には象や狛犬が彫られていました。本殿内壁や天井には花鳥絵で彩られているそうです。

丹後局が忠久公を出産する際、稲荷明神の助けで安産であったことから、特に安産の神としての信仰が篤く、
局の墓の苔をお守りに戴く習慣があるそうです。墓石には苔が削り取られた跡がたくさんありました。