夏フェスでのライブも無事に終わり、この夏の星見プロ全体としての大きな仕事は一旦終了した。
今は各グループ単位やメンバー個別での仕事をこなしてもらっているところだ。
守秘義務もあって全体で話せない内容もあり、順次案件単位で打ち合わせを進めている。
進めてはいるが…スリクスも加入して件数も増えたし、中々骨が折れるな…。
「あとは…雫に来てる案件か」
資料を準備すると、雫に呼び出しのメッセを送った。
すぐに会議室に向かうと返信があった。今のうちに軽く体を伸ばしておこう。
ほどなくして、ノックの音が鳴った。
「どうぞ」
静かに扉が開き、雫が会議室に入ってくる。
「お疲れ様、です」
「ああ、雫もお疲れ。待たせてすまなかったな」
「ん、みんなで夏休みの宿題、やってたので」
「宿題か。そっちの方はどうだ?」
「私は毎日やってたから、もうちょっと」
「おお、さすがだな…って、どうした?」
青い顔をしているようだったので、聞いてみた。
「すずちゃんと芽衣ちゃんが…」
「ああ…」
挙げられた名前で察してしまった。
「全然進んでなくて、沙季ちゃんが鬼の形相で缶詰めモードに入った…」
「無事に出てこられるといいな…」
「合掌」
「そこは諦めないでいてあげような…」
2人のことは気になるが、仕事の話をしないとな。
俺は準備しておいた資料を雫に手渡しながら、話を切り出した。
「さて。今回、雫には前から出ている釣り番組からまた特番のオファーが来ているんだが…」
「ん、やる」
「待て待て!即決はありがたいが、今回も遠方での撮影で泊まりになるから、ちゃんと保護者の方に確認してくれ」
「また電話、する?」
言うが早いか、スマホを取り出した。
「返答はそこまで急ぎじゃなくていいぞ。ちゃんと説明するから、持ち帰って検討してくれ」
「ん、わかった」
雫はスマホをポケットにしまうと、資料を開いて説明を聴くモードになった。
改めて、資料の内容を説明していく。とは言っても、以前にも出ている番組だから雫も勝手はわかっている。
事前に目を通した時も特に気になる項目は無かったし、説明も質疑もスムーズに終わった。
「…こんなところか。やるなら実際の釣りに関しては雫自身で調べてもらうことになるが…」
「ん、大丈夫。気になってた新作のロッド使わせてもらえるから…やるしかない」
アイドルオタクモードの時と同じくらいの目の輝きだな…。
「ま、まあ乗り気なのは助かるよ。さっきも言ったが、保護者の方にはちゃんと確認してからだぞ」
「うん。ちゃんと現地の下調べして、説明する。…今回も、牧野さん同伴?」
言われて予定表を確認してみる。
「うーん、そうなりそうだなぁ」
「ん、よかった。それも、言っとく」
「ああ。何か補足で説明が必要になったら言ってくれ」
今日できる話がまとまったところで、別室からすずと芽衣の悲鳴が聞こえてきた。
「助け船、出す?」
「そうしてやってくれ…」
雫は頷くと、会議室を出て2人の応援に向かうのだった。
その日の夜。
寝る前にスマホを確認すると、雫からメッセが入っていた。
雫『お疲れ様、です』
雫『ちゃんと調べて、親からもOK出た』
雫『あとは本番で、大物釣るだけ』
雫『(ウィンクするネズミのスタンプ)』
いつもながら仕事が早いな…。もう寝てるかもしれないが、返事は返しておこう。
『了解。明日、先方に返事するよ』牧野
送った直後に、メッセに反応があった。
雫『(〇を出す魚魚っとさんのスタンプ)』
雫『よろしく』
雫『それでね』
雫『釣りのことだけじゃなくて、現地のことも、調べてた』
『コメント求められたりすることはあるかもしれないし、いいことだ』牧野
雫『うん』
雫『それで、ね』
そこまで表示されたところで、メッセがストップした。
『どうした?』牧野
反応を窺っていると、次のメッセージが届いた。
雫『お仕事で行くタイミングで、ちょうどお祭りがあるみたい』
雫『花火も、上がる』
『そうなのか』牧野
さすがにそこまでは先方の資料に書いていなかったな。
雫『撮影終わったら、お祭り、行きたい』
雫『花火も、見たい』
雫『ダメ?』
まあ、頑張ってくれているし、それぐらいはいいか。
『いや、ダメじゃないよ。ただし、仕事はちゃんとしてからだぞ』牧野
雫『(アッチョンブリケするネズミのスタンプ)』
雫『そんなにすんなりOKもらえると、思わなかった』
雫『楽しみ』
『仕事のモチベーションに繋がるならよかった。しっかり終わらせて、楽しんできてくれ』牧野
雫『えっ』
『えっ』牧野
あ、あれ?
雫『(泣いている魚魚っとさんのスタンプ)』
雫『まさかの一人でお祭り…?』
雫『(泣いている魚魚っとさんのスタンプ)』
しまった、そうだよな…その日一緒に回れる人って俺しかいないんだよな。
『いや、気が回らなくてすまない!俺も一緒に回るよ』牧野
雫『よかった。それなら、安心』
雫『浴衣、買ってこないと』
雫『(投げキッスするネズミのスタンプ)』
『楽しみにしてるよ』牧野
雫『(ウィンクするネズミのスタンプ)』
どうにか、機嫌を損ねずに済んだか…。
雫『あ、ごめんなさい。もう遅い、ですよね』
雫『詳しい話は、また事務所で打ち合わせさせて、ください』
雫『(お辞儀する魚魚っとさんのスタンプ)』
『ああ。明日、待ってるよ』牧野
雫『おやすみなさい』
『おやすみ、雫』牧野
メッセが途切れたのを見届けてから軽く明日の予定を確認すると、俺はベッドに横になった。
それからしばらくして、撮影の日がやってきた。
雫も共演者の方も釣果は上々。トークも頑張って盛り上げていたし、これなら問題ないだろう。
今日の分の撮影終了の合図が出たところで、俺は雫にタオルと飲み物を手渡した。
「お疲れ様、雫。いい感じだったな」
雫ははにかみながら受け取る。
「ありがとう、ございます。調べてきたこと、活かせた」
「ああ。楽しく釣りしているのが伝わってきたよ。いい画が撮れてるはずだ」
「ん、よかった。…お祭り、行っても大丈夫?」
「もちろん。とはいえ、明日もあるからほどほどにな」
「うん…楽しみ、だな」
雫を伴って一度宿へ戻り、お祭りへ出かける準備をする。
温泉で汗を流してから、部屋で雫の着付けが終わるのを待っていると。
トントン、と控えめなノックの音が響く。
「お待たせ、しました」
雫の浴衣姿は前にも泊まり込みの仕事の時に見ているが…今回はお洒落な浴衣だ。
また雰囲気が違って…いつもより大人びて見える気がする。
「いや、全然待ってないよ。…浴衣、よく似合ってるな」
「っ!…あ、ありがとう、ございます…」
恥ずかしそうに俯くと、ポニーテールにした長い髪が揺れた。
「髪型も変えてるんだな」
「あ、うん。夏、なので」
まだこっちを見てくれない…いや、ちらちらと見ているな。
「なんだか新鮮でいいな」
「変じゃ、ない?」
「まさか。新しい魅力を発見できたよ」
「うう…」
すごくもじもじしてるな…。
「ええと…そろそろ行こうか?」
「あ…うん、行きます…」
ようやく少し落ち着いてくれたようだ。
宿を出てしばらく並んで歩いていくと、少しずつ人通りが多くなってきた。
「結構混んでるな…」
「ん…ちょっと、想定外」
見通しが悪いというほどではないが、もしはぐれたりしたら大変だ。
「雫」
俺は雫に声をかけながら、左手を差し出した。
「?」
「はぐれないように、一緒に行こう」
「あ…うん。ありがとう、ございます…」
消え入りそうな声とともにおずおずと俺の手を取ったのを確認してから、ゆっくりと歩を進めていく。
しばらくは屋台を回って買い食いしたり、ゲームを遊んだり…のんびりと過ごした。
こんなにゆったり過ごすのは、いつ以来だろうな…。
雫もしばらく忙しかったから、これでリフレッシュできただろうか。
「大満足…!」
…みたいだな。
「疲れてないか?」
「ん…ちょっとはしゃぎ過ぎた、かも」
朝から撮影して、その後もあれだけ動き回っていれば当然か。
「花火まで、少し休もうか」
「ん、そうする」
俺たちは道を少し外れて、喧噪を遠くに聞きながら神社の石段に並んで腰を下ろした。
ちらと時計を見ると、聞いていた花火の時間まではあと30分ほどといったところだった。
買ってきた瓶のラムネで喉を潤して、花火の時間までのんびりしていようか。
と、思ったのだが。
何だろう、雫の様子に何か違和感があるような…。
「雫?」
「…ん、なに?」
やっぱりちょっと様子がおかしい、気がする。
「いや、気のせいだったら悪いんだが…なんだか上の空というか」
「あ、うん…」
そこで言葉が止まった。何か言いたいことがあるのだろう。そのまま雫の次の言葉を待つことにした。
どれくらいの時間そうしていただろうか。雫は不意に立ち上がり、境内の方を見た。
「ついてきて、ください」
強い意志を感じる口調に、俺は黙って従う。
少し歩いただけのはずだが、周りにはもう誰もいない。静寂の空間で、雫はこちらに向き直った。
夜の闇の中、月の明かりに照らされる雫。
こちらを見据える表情は、先ほどまでの少女の顔ではない。これまでに何度も見てきた、『アイドル 兵藤雫』の顔だ。
「聴いて、ください」
数秒目を閉じて、再び開くとスマホを操作していく。
雫のスマホから流れ出した曲を、俺は知っている。そして、その選曲に驚かされた。
「『恋と花火』…!」
雫が歌い、踊り始めた。ダンスは以前に月ストが浴衣で行ったイベントで披露した時と同じ、動きを減らした簡易バージョンだが…。
それでも、率直に言ってそのパフォーマンスに圧倒された。相当な練習をしてきたことが、すぐにわかった。
透き通るような歌声と艶のあるダンスから、目が離せなくなる。
ずっと見ていたい、聴いていたいと思わせるだけの力があった。
だが、それでも曲には終わりがやってくる。雫が最後のポーズを決めるとやがて音は止まり、元の静寂が戻ってくる。
いや、違った。静寂を裂くように、息を整える雫の呼吸音だけが、その場の空気を震わせていた。
見惚れている場合ではなかった。急いで雫に駆け寄ると、持っていた新しいタオルを手渡した。
「あ…ありがとう、ございます…」
「いいから、ゆっくり息を整えて」
「ん…」
しばらくして呼吸が落ち着くと、雫はこちらに向き直った。
「どう、だった?」
「ああ…凄かったよ。何というか…惹きつけられた」
「よかった…」
心底安心した様子だ。
「それにしても、どうやってここまで仕上げてきたんだ?」
「ん、事務所の資料室で映像を見て、一人でこっそりカラオケで練習してた」
ああ、確かに最近、雫の名前で資料室の予約が頻繁に入っていたな。
「何をしてるのかと気にはなっていたが…」
「ダメ、だった?」
「ダメじゃないが、オーバーワークになっていないかが心配だよ」
「…そこは、うん。レッスンには影響ないようにしてたので」
「まあ、それなら…とはいえ、無理はしないでくれ」
「うん」
話もまとまったところで、俺は一つ疑問に思ったことを聞いてみることにした。
「そういえば、何で『恋と花火』だったんだ?サニピにも夏曲はあるだろ?」
「え」
雫が固まった。と思ったら、今度は何やらもじもじくねくねし始めた。
ええと、これは…何か地雷を踏んでしまったのだろうか。
「あ、ええと…そろそろ花火、始まっちゃう、ので…」
「あ、ああ、確かにそうだな…って、待て待て!走ると危ないぞ!」
少し走っていったところで、雫がこちらを振り返った。
「…来年も花火、見れそうだったら…一緒に見に行って、くれる?」
「ん?ああ、そうだな…また一緒に回れるといいな」
「…うん。そしたら、今度は」
何かを言いかけた雫の最後の言葉は、花火の音にかき消されて俺の耳には届かなかった。
それでも…花火の輝きにも負けないこの笑顔を、きっと来年も見ることができるはずだ。
終わり。