まっする。

Last-modified: 2022-07-03 (日) 18:31:18

ある夏の暑い日のこと。
フラフラになりながら、学校から事務所へとたどり着く。
汗をぬぐいつつ、買ってきたドリンクを飲んで一休み。

「ん、よし」

ドリンクをコンビニの袋にしまって、事務所の冷蔵庫から昨日準備しておいたものを取り出すと、
私は牧野さんがいる執務室へと向かった。
こんこん、とノックをして返事を待つこと数秒。

「はい、どうぞ」

よかった。ちゃんといてくれた。

「雫、です。失礼します」

ゆっくりと扉をくぐり、中へ入る。
いつも通り、沙季ちゃんが整頓した資料棚と、方や色々な書類が山積みになったデスク。
…沙季ちゃんが見たら、また怒られそう。

「お疲れ様、です」
「ああ、お疲れ様。他のみんなとは一緒じゃないのか?」
「うん。みんな学校に用事がある、って」
「そうか。揃ったらミーティング始めるから、自由時間にしてていいぞ。
 自主練するなら鍵貸すけど、どうする?」
「ん。ちょっと休憩したら…」

そう言いながら、手に持っていたそれを牧野さんに見せる。

「それは…ポッキンアイスか。懐かしいな」
「昨日買って、凍らせておいた。一緒に食べようと、思って」
「ああ、外から来ると熱いよな…。じゃあ、俺も休憩しようかな」
「うん。ぽっきんするから、ちょっと待って」

ぐっ、と力を込めて…込めて…あ、あれ…?

「ぽっきん…ぽっきん…!」

うに…!

「折れない…」
「マジか…。ちょっと貸してくれるか」
「お願い、します」

牧野さんに手渡すと、軽く力を入れたようにしか見えないのに、簡単にぽっきんされた。

「ほら」
「意外と、力持ち?」
「いや、これくらいならな…」
「うーん」
「まあそんなことより、これ食べないか?溶けちゃうと美味しくないぞ」
「あ、うん…食べる。ありがとう」

冷たくて、美味しい。
でも、ちょっとだけ、悔しい、かも。

その夜。
寮に帰って、スマホで筋トレのサイトとか動画を見てみる。

「難しい…」

なんとか筋とか言われても、全然ピンとこない。
でも、一人で変な鍛え方するの、よくない…よね。どうしよう。
そんな感じでスマホの画面を睨みながら唸っていると。

「はぁ…今日のレッスンもハードだったね…」
「そう言いながら愛ちゃんはまだ余裕ありそうだよねぇ。この後も筋トレするんでしょ~?」
「まあ、日課は欠かせないから」
「ストイックだなぁ」

そんな会話をしながら歩いてくる愛ちゃんとこころちゃんと、目が合った。

「!そうだ…」
「はい?雫さん?えーと、なんでしょう?」

思わず声が出てしまって、驚かせちゃった。

「あ…急に、ごめんなさい」
「いえ、大丈夫です。それより、私達に何かご用ですか?」
「ん~?何やらイベント発生な感じですかぁ~?」
「もしかして、気付かない間に何か失礼なことを…!」

不安そうな愛ちゃんと興味深そうなこころちゃんを見ながら、どう伝えたものか考える。

「えっと…愛ちゃんに、筋トレのやり方、教えてほしい」
「えっ!筋トレですか!?どれくらいを目指してます!?ダンベル何キロ持ちます!?」
「ひぃ!?」

顔!顔が近い…。

「愛ちゃんのトレーニングはアイドルじゃなくてアスリートのそれだし、それは求めてないと思うよ~?
 あと、雫ちゃんめっちゃ怖がってるけど~」
「はっ!す、すみません!つい興奮して…」
「あ、違う…。怖がったのも、ちょっとある、けど…。
 かわいいアイドルの顔が急にガチ恋距離に来て、動揺しただけ、だから」
「か、かわ!?そんなことないです!雫さんの方がずっとかわいいです!」
「ううん、愛ちゃんの方が…」

そんな言い合いをしていると。

「何ですかね~この茶番」

呆れ顔をするこころちゃんだった。

「…なるほど、話はわかりました。私でよければお手伝いしますね」

事情を説明したら呆れられるかと思ったけど、快く承諾してくれた。

「いいですね~ポッキンアイス。私も最近食べてないです。
 愛ちゃん、明日のおやつに買って来てくれませんか~?」
「はいはい、わかったから」

甘えたら答えてもらえるというこころちゃんの信頼と、愛ちゃんの慣れた対応。尊い。

「?どうしました?」
「あ、ううん。何でも、ない」
「そうですか?えーと、共用部だと邪魔になりますし、とりあえずお部屋に移動しましょうか」
「雫ちゃんのお部屋、興味あります!私もついてっていいですか~?」
「うん、大丈夫。でも、そんなに面白い部屋じゃ、ない」
「え~?ほんとですか~?」

そんな話をしながら、3人で私の部屋までやってきた。

「どうぞ」
「お邪魔します」
「おっじゃまっしま~す!」

扉をくぐり、中へ入ると

「おや、結構片付いてるんですね~。もっとポスターとかグッズが壁一面!みたいなのを想像してました~」
「牧野さんにも、同じようなことを言われた」

その言葉に、2人は違和感を覚えたのか、

「え、牧野さんを部屋に入れたことがあるんですか?」
「まさかのスキャンダル!?詳しく!そこの所詳しくお願いします!」
「…部屋には入れたけど、注文してたアイドルのBDを届けてくれた。それだけ」
「え~?本当にそれだけなんですか~?」
「あとは、ちょっと日本のアイドル文化についてお話、した」
「ふ~ん?まあ、そういうことにしておきましょう」

微妙に疑いの目は向けられているけど、嘘は言ってないから、いい…よね。

「もう、失礼だよこころ。私も気にならないかと言えば気になるけど…。
 それより、リズノワのBDもありますか?」
「ん、当然」

ラックの中から、ビニール袋に包まれたままのBDを取り出す

「莉央さんと葵さんの二人だった時から、二人が参加した後のまで、全部ある」
「私達のデビュー後のも買っていただけてるんですか!感激です!」
「でもこれ、開封してませんよ?買っただけで見てないんですか~?」
「これは、保存用。全巻2セット購入済み。視聴用は、デスクにある」
*1

二人の視線が、ちょっと痛い。

「リズノワのパフォーマンスは、すごく勉強になる。
 二人が入ってからは、今までの良さも残しながら雰囲気が変わってて、それぞれに見応えがある」
「あ、ありがとうございます!」
「まあ当然ですよね~!ドヤ崎こころさんです!」
「もう、すぐ調子に乗るんだから…」

こういうやり取りも微笑ましくて、いい。
それから、愛ちゃんが持ってきてくれた筋力を測定できる機械を使わせてもらったり、
(年下のこころちゃんに負けてた…)
簡単な筋トレのやり方を実践して教えてもらった。
用意してくれたダンベルは持ち上げられなかったから、とりあえず500mlのペットボトルから。

「こんな感じですね。ちょっと続ければすぐぽっきんできるようになりますよ!」
「うん、頑張る。打倒ぽっきん」
「打倒ぽっきん!」

そこでふと気付く。

「そういえば、こころちゃん、いない?」
「確かに…飽きて戻ったのかもしれませんね」

と、タイミングよくドアがノックされた。

「どもども~!終わりました?」
「うん、今日はこれで終わり」
「了解です!お疲れだと思って、スイーツをご用意しましたよ~!」
「あ、ありがと…美味しそうなお饅頭」
「ささ、どうぞどうぞ」
「うん、いただきます」
「あ、ちょっと待って雫さん!それは…」

愛ちゃんが止めるのが、ちょっとだけ遅かった。
お饅頭を一口、口に含んだ瞬間。

「ーーーーー!!!!!」

舌から感じる、抜けるような鋭い刺激…!これは…。

「わ、わさび…しかもこんなに…」

愛ちゃんのドン引きした声が遠くに聞こえる。
あ、意識が…。

「わー!?雫さん、気を確かに!お茶!お茶飲んでください!」

さっきまでダンベル替わりにしていた新品のペットボトルのお茶を飲ませてくれる。
段々、落ち着いてきた…かも。

「…はっ」
「あ、気が付きました?」
「大きな川が見えて…麻奈さんが手を振ってた…」
「それ見えちゃいけないやつですよ!?」
「あとちょっと遅かったらFirst Stepするところだった…」
「意外と余裕ありますね!?」

愛ちゃんのツッコミ、なかなかキレがいい。

「えーと、その…ごめんなさいでした…まさかわさびがそこまで苦手とは…」

こころちゃんも、軽いいたずらのつもりだったみたいで、動揺しているのが見て取れる。

「大丈夫…でも、わさびだけは勘弁」
「了解ですよ~。というか、雫ちゃんにはもういたずらしませんから」
「もう、こころ!大変なことになりそうだったんだからちゃんと反省しなさい。莉央さんのところ行くよ!」
「ええ!?今からですか!?許してもらえたからいいじゃないですかって耳!耳引っ張らないで痛い!痛いから~……」

慌ただしく部屋を出ていく二人を見送ると、まだ少しヒリヒリする舌をお茶で湿らせた。

翌日のこころちゃんの様子は…うん、ちょっとコメントは差し控えさせてもらった方がいいと、思う。
それから一週間くらい、時々愛ちゃんに見てもらいながらトレーニングを続けて。
ついに、念願の打倒ぽっきんを果たすことができた。
二人に見せた時に「牧野さんにも見せてくる」と言ったら、なんか生暖かい顔をされたような。
牧野さんからは「頑張ったな」って褒めてもらえたし、アイスは美味しいし、まあ、いいか。

終わり


*1 思っていた以上にガチな人だった!