修羅場は無かった

Last-modified: 2022-07-03 (日) 19:40:36

2月12日夜。持ち帰った作業もほぼ終わった。
ギリギリまで参加が危ぶまれたリズノワのバレンタインライブの参加も正式に決まり、諸々の調整も無事にまとまった。
あとは無事にライブをやり遂げてくれるよう、バックアップをしていくことになる。
とはいえ他のグループにもそれぞれの活動があるから、リズノワだけにかかりきりになるわけにもいかないが…。
そろそろいい時間になってきたし、明日に備えて休もうか。

「おっと、メッセが…」

…なんだかいつもより妙に多いような…。気のせいだろうか…。
とにかく、順番に返事をしていかないとな。
…よし。20分ぐらいかかったが、どうにかみんなに返事を送り切ったぞ。
なんだかみんなしきりに14日の予定を気にしてたが、そんなにリズノワのライブが気になるのか?
明日、バックステージに入れるかアポ取ってみようか。

「…っとまたメッセか」

ここまで連絡の無かった雫からだ。

雫『お疲れ様、です』
雫『まだ起きてる?』
 『お疲れ様。起きてるよ』牧野
雫『よかった。でも、リズノワのライブ控えてて忙しい、よね』
雫『手短にします』
 『何だろう』牧野
雫『トリエルの新しいライブBDが届いた』
雫『鑑賞会、したい』
 『そういえば発売日だったか。昼間に事務所にも届いてたな』牧野
雫『…もしかして、もう見ちゃった?』
 『いや、日中はそれどころじゃなかったから』牧野
雫『ん、よかった』
雫『店舗特典のブロマイド、三人分揃えたから』
雫『開封の儀、したい』
 『ほう』牧野

しれっと三店舗分揃えていることにはツッコむべきだろうか。

雫『牧野さん、写真も見てない?』
 『そういう案件で来ていたのは覚えてるけど、監修は橋本さんに任せたから』牧野
雫『橋本さんチョイスなら信頼できる』
 『そうだな、すごくいい写真になったって報告は受けてるよ』牧野
雫『ライブ自体も凄かったけど、がぜん楽しみになってきた』
雫『明日…は忙しい、よね。明後日?』
 『さすがに朝早いからリピート再生は無理だが、明日でも大丈夫だぞ』牧野
雫『(アッチョンブリケするネズミのスタンプ)』
雫『楽しみ』
雫『あ、ぜんぜん手短じゃなくなった、ね。ごめんなさい』
雫『そろそろ寝ます。おやすみなさい』
 『ああ、お休み』牧野

画面が暗くなったスマホをデスクに置く。
ささっと風呂に入って休むとしようか。

2月13日。
リズノワの最終リハと打ち合わせも滞りなく終了した。
皆に今日は早めに休むよう告げると、その場は解散となった。
事務所に戻って諸々の確認や連絡事項を片付けていたらあっという間に夜も更けていた。
雫に思ったより遅くなったことの謝罪と急いで向かう連絡をすると、事務所を後にした。
寮に到着すると革靴は裏口の外に置き、雫が用意してくれた音の立ちにくいスリッパに履き替えて寮の中を進む。
なんだかこのスニーキングミッションも慣れてきてしまっている気がするな…。

「とうちゃく」

今回も無事にたどり着けたな。

「早速だけど、早く開けたい」

目をキラキラさせながら部屋の奥の棚をごそごそと探っていたかと思えば、BDのケースを3つ抱えて戻って来た。
特典目当てならどれか一つを限定版にすればいいだろうに、ご丁寧に全部限定版だ。

「これが瑠依ちゃん、こっちが優ちゃん、で、これがすみれちゃん」

ちょっと待ってて、といいながら丁寧にパッケージを開封しブロマイドを取り出すと、保存用のバインダーにしまい込んだ。

「…ヨシ!」

やり切った顔をすると、おずおずとバインダーを差し出してくれた。

「開ける時に見ちゃったから、先にじっくり見ていい」
「はは、ありがとうな。でもいいよ、一緒に見よう」
「ん…やさしい」

そう言いながら、バインダーを床に広げてくれた。

ブロマイドに映る3人は新曲用に準備された衣装を身にまとい、それぞれにポーズを決めていた。
凛とした美しさの中にも熱さを感じさせる天動さん。柔らかな日差しを思わせる笑顔を見せる鈴村さん。いつものように元気いっぱいな中にも表情には成長が伺える奥山さん。
そういえば、事務所でも3人でああでもないこうでもないと相談し合っていたっけ。

「どれもいい写真だ…みんなよく撮れてるな」
「うん、すごい。橋本さん、いい仕事」

明日、ちゃんと褒めてあげないといけないな。

「今日は額を準備できてなかったから簡単なファイリングだけど、この写真はちゃんと額装する」

そう言いながらスマホを弄っている。恐らく、メモアプリに額を買うことを記入しているのだろう。

「アイドルとしては、この3人を見てどう思う?」
「ん…私もポージングとか、表情とか、研究はしてるけど…トリエルはやっぱり、別格」

…それはファン目線も入っているよな?
まあ、3人のポテンシャルの高さに関しては今更言うまでもないことか。

「あ、明日早いよね。BD、再生しようか。私もライブ行くから、早く寝ないと」
「チケット取ってたのか」
「ん、最速先行で」
「さすがだなぁ」

雫がプレイヤーにBDを挿入しリモコンを操作すると、程なくライブの映像が流れ始める。

「雫は現地でも見てるんだよな?」
「うん。でも、何度でも見たいライブだったから」

モニターの前に並んで座り、映像に集中する。
トリエルのライブはその正確無比な圧巻のパフォーマンス、そして3人の仲の良さがあってこそのトークで盛り上げるMCパートで進んでいく。
会場のボルテージがどんどん上がっていくのが、見ているだけでもわかる。
自分もまるで会場にいるかのような感覚を覚えるほどだった。
気が付けばあっという間にアンコールも終わり、現実が戻ってくる。
隣の雫も、ほぼ同時に『はぁ…』と息を吐き出した。

「凄かったな…さらにレベルアップしてる」
「ん…話始めたら、このライブだけでも何時間でもいける」
「はは、それはまた今度にしような」
「うん。もう一回じっくり見たいから、」

話は尽きないが、ちら、と時計を見ると、日付はもうとっくに変わっていた。
早く帰らないと明日に支障が出そうだ。

「すまない雫、今日はそろそろ帰らないと」
「うん。リズノワのライブ、私も楽しみにしてる」

荷物を確認してから立ち上がり入口の扉へ向かおうとしたところで。

「あ、あの」

雫に呼び止められた。

「どうした?忘れ物かな?」
「あ、そうじゃな…ううん、忘れ物、かも」
「?」

何だろう。まるで思い当たる節がない。
ちょっと待ってて、と言われたので、しばしその場で雫の様子を観察する。
今度は机を何やらごそごそとしてから、小さな包みを持って戻って来た。

「これ」

手渡された包みはエメラルドグリーンのリボンで封がされ、中に入っていた小さな箱には『Happy Valentine’s Day!』の文字が。

「サニピのみんなで、作った」
「…俺に?」
「うん」
「おお…あ、ありがとう」

遙子さんは毎年くれていたが、まさか他の担当の子からももらうことなるとは…。

「サニピで、ってことは雫が代表して渡してくれてるのか?」
「ううん、みんなそれぞれに飾りつけ変えて準備してる。味は、たぶん同じ」
「そうなのか…」
「バレンタインリーダーの遙子さん監修だから、味は問題ない。
 さくらちゃんと怜ちゃんは、つまみ食いしすぎて途中で買い出しチームに回されてた」

何してるんだあの2人は…。

「ラッピングは千紗ちゃんがかわいい箱と、みんなのイメージカラーのリボンを準備してくれた。
 私は…そういうセンスとか料理とか、あんまりだから…」
「いや、すごく嬉しいよ。ありがとうな、雫」
「ん…どういたしまして」

せっかくもらったのにそのまま帰るってのも、あれだよな…。

「1つ、ここで食べていってもいいかな」
「え…開けちゃう?」
「後の方がいい?」
「ん………べつに、いい」

たっぷりどうしようかと悩ませてしまった。
包みのリボンを解いて箱を開けると、中には6つのチョコレートが。
そのうち5つには簡単なイラストが描かれている。魚魚っとさん、毛糸玉、テント、スーパータケミヤのマークの三角巾、つぶらな瞳のクマ。

「前にサニピのイメージグッズを作った時のやつか」
「ん、覚えててくれたんだ」
「当たり前だろ」

みんなで大騒ぎしながら何がいいか決めていたな…よく覚えている。

「1つだけ何も描いてないのは?」
「マーク入りのはサニピのみんなに。描いてないのは、牧野さんに…感謝の気持ちを込めた。いつもありがとう、って」
「なるほどな」

これは大事にいただかないと。

「じゃあ…せっかくだから雫のマークのを」
「ぅえ!?」

…なんかすごい声が出たな。

「ダメか?」
「う、ううん、ダメじゃない…です」
「よかった。じゃあ…いただきます」

軽く手を合わせるポーズをしてから、チョコをつまんで食べた。
…ミルクチョコレートの優しい甘さが、疲れた体に心地よい。

「うん、美味しいよ」
「ん、よかった」
「雫も食べていいぞ」

そう言いながら、箱を差し出す。

「いいの?」
「俺も雫やみんなに感謝してるからな。あ、ホワイトデーのお返しもちゃんとするから」
「ん、あんまり気にしなくてもいいけど…じゃあ1つだけ」

雫はちょっと迷った後、無印のチョコを食べた。

「…味見はちゃんとしてたけど、うん。よかった、ちゃんと美味しい、ね」
「ああ。改めて、ありがとうな。残りもちゃんといただくよ」
「うん。…そろそろ、本当に明日遅刻しちゃいそう、だね」
「おっと、そうだった。それじゃ、今度こそ」
「ん。裏口まで、送る」
「ああ、悪い、お願いするよ」

帰り道も雫が先導して誰もいないことを確認しながら、無事に裏口までたどり着いた。

「それじゃ、明日は会場まで気を付けてな」
「うん。牧野さんも、リズノワのサポート、しっかり」
「ああ、任せてくれ。また明日…は現地で会わないかもしれないから、また事務所でな」
「ん、また」

靴を履き替え、雫に手を振りながら寮を離れる。
帰ったらまずは明日の準備をしっかり確認しないとな。

牧野さんの笑顔を、閉まっていく扉が隠していく。
そして、扉が完全に閉じた。
…私は全速力で自分の部屋に戻ると、ベッドにダイブ。枕に顔を埋めた。
恥ずかしい…。牧野さんの前ではどうにか我慢できたけど、めっちゃくちゃ恥ずかしい。
世の中の女子は、こんな恥ずかしい行為を平然とやっているの…?信じられない。
喜んでもらえたのは、すごく、うれしい、けど。
どうしよう。明日から、まともに顔、見れないかも。
それは嫌、だな…。がんばろう。がんばる。
まずは、明日のライブの事を考えよう。…今日、寝れるかな…。

終わり