原子力発電所

Last-modified: 2023-09-25 (月) 01:25:18

普遍の価値観・科学の敗北(2023-09-24)

友人と議論になったのでメモ。「原子力発電はいまだにお湯を沸かしてタービンを回すなんていう非効率的なやりかたでやっている。作られた熱のほとんどを捨てているじゃないか。」云々。ほかにもいろいろ(酒席の上で)議論をしたのだが、これに(酒席の上で)反論してみた。俺の論点は「タービンを回す方法は非効率に見えるけれども、熱力学上、エネルギー効率の理論限界にだいぶ近づいている。なのでタービンを回す以外の方法がみつかったとて、今以上劇的に効率が改善されることはあり得ない」と言ったところ、猛反論された。曰く

「いままでも技術改善により、あらゆることが効率的になった。それと同様、タービンを回す以外の技術が開発され、その熱力学上の理論値を上回る効率でエネルギー取り出す方法はあり得るはずだ」

以下推敲中(封印)

馬鹿マスコミに翻弄されるな、団塊の馬鹿に耳を貸すな(2012-09-17)

まさか日本人(というかマスコミ)がこんな馬鹿ばかりだったとは。やれやれ。原発0宣言だなんてね、お笑いだよ。除染なんて無駄な金の垂れ流しだ。だってもとから安全なんだから。あの程度の放射能はなにも人体に影響ない事はわかっているんだから。原発利権原発利権て言う人たちは、何を考えているんだろう。きみたちこそ、石油メジャーから金もらってんじゃないのかね?

放射能が危険だ危険だなんて言う人たちは、昭和20年8月6日に広島で、9日に長崎で、空中で(しかも生きた人間の上で!)大規模な人為的メルトダウンを起こしている訳だ。日本はその後奇形児だらけになったのか?甲状腺がんでみんなバタバタ死んだのか?除染作業なんて一切行わなかったのに、内部被爆なんて造語も存在せず、食事もバンバン食っていたのに、奇形児だらけでなく、甲状腺がんでバタバタ人が死ぬ事も無いのはなぜ?放射能はそれだけ危なくない(というか少量の放射能に対しては、人間には充分な耐性がある)というのは明白じゃないか。いい加減目をさませってば。

だいたい、原発事故がおきてからあたふた適当な事言うなって。事故が起きる前からこっちは放射能に対する(素人的であっても正確な)知識を得ていたんだから。

浜岡原発停止要請(2011-05-07)

浜岡原発に停止要請。これで日本経済は間違いなく停滞する。ああ、なんということ。残念。原発が危ないから停止するのではなく、責任逃れのための停止。

「100mSv以下の放射線は無害なんてデマをまき散らすな。デマをまき散らした人間は数年後に生じる医学的問題について責任を逃れることはできない。」とは、信頼のおけるwebマスターの弁。まあ、そのとおりかもしれない。 「医学的問題」についてどのレベルをさすのかは定かではない。小児甲状腺がんの発症率はわずかに押し上げられるかもしれない。でも、それだけだと思う。「数年後」もあやふやだが、日本語的には遅くても5年後までをさすものと思われる。

5年以内に、何らかの「医学的問題」(プラシーボ効果や拡大解釈、たんなる寿命や、広島の非科学的な原爆症判定によるものは除く)が出てきたら、個人的な範囲での責任は取らなければならないと思う。「少しの放射能は恐れるに足らず」という論も完全撤回し、吹聴しまくった友人たちに謝罪し、勉強もし直さなければならないと思う。

さて、一方で、5年経っても、「医学的問題」とやらが出なかった場合には、あなた方が責任を取る番だが覚悟はよろしいだろうか。デマをまき散らしたのはあなた方という事になり、その罪は膨大なものとなる。人々の不安をあおり、原発を止めただけでなく、日本経済を停滞させた。経済が停滞するというとは、それがもとで起きる不幸まで責任がある。失われる富は膨大なものとなる。本当にそれでよいか。

下記は2005年11月に書いたもの

下記は2005年11月に書いたもので、今は震災後の2011年4月13日。反原発の世論が強くなっている。が、ボクの原子力発電所および放射能、放射線に対する考えは全く変わっていない。

考えてみてほしい。仮に放射能って全く無毒だとしたら、つまりいまあなたが恐れていることが単なる幻想だとしたら、原子力発電所に対するあなたの考えは大転換しないだろうか。

  • ある一定レベル以下の放射線は、小児甲状腺がんの発症率をほんのわずかに押し上げるだけの力しか持っていないとしたら。
  • チェルノブイリで直接の健康被害を受けている者は皆無だとしたら。(死亡した28人は除く)
  • チェルノブイリを去りがたく、政府の命令に反して居住している人たちが、ガイガーカウンター振り切れる放射線の中で生活し、普通に平均寿命まで生活を営んでいるとしたら。
  • もし、チェルノブイリに野生が回復しているとしたら。

そして、これらの「もし」が事実だったとしても、あなたの考えはそれでも変わらないのだろうか。

目に見えない、何がなんだかわからないものをとりあえず恐怖の対象とするのは人間として正しい反応なのかもしれない。でも解明が進み、科学的にある一定以下レベルの放射線は恐れるに足らず、という結論が出ているものに対してもなお恐怖の対象としてしか見られないのなら、それは単なる偏見である。

人間の歴史に差別や偏見がなくならないのはなぜなんだろう。それは、あなたのそんな非科学的な心の中にあるのではないか。私はそれを深く懸念します。(Apr.13.2011)

原子力発電所について

世の中は良くなっている。これからも良くなることだろう。もちろんそれは人類の不断の努力によってのみ達成されるんだけれど。

そのことを教えてくれたのが「環境危機をあおってはいけない」と言う本だ。客観的なデータにもとづいており、これはヨーロッパでは議論を呼んだらしい。すべての環境保護団体は読むべきだとおもったのだが、アマゾンの書評を見ると、目が曇った人たちにとっては、こういうデータの本も読めなくなっているから閉口だ。やはり数学は大事だと思うがこれは余談。

 で、この本についての他人のコメントを読みたくてWebをたどってたどり着いたのが産業技術総合研究所のコメント

 この人は特にエネルギー問題に対しては危機感を抱いているみたいだ。なにが危機なんだろう。全然危機ではない。なぜなら、現在のエネルギー問題とは資源問題じゃなくて、人間側の心理的な問題だと僕は思っているから。この心理問題を解決しさえすればいいのだ。

原子力発電はそもそも危険なのか?

 それはなぜか。僕は原子力発電に大きな期待をしているからだ。以下は産業技術総合研究所のコメントより引用

「原子力は電力エネルギーを生産するのに迂回経路が多く高くつく。ウランは資源的にも多くない。(略)確率的には10000基の原子力発電所は年間に平均20回の重大な事故を起こすことになる。ひとたび事故を起こせば甚大な被害が出るのは皆が知るところである。」

 迂回経路が多く付く話や、ウランが資源的に多くないことは、原子炉(および核研究)の技術的な話だったり、ウラン再利用の話で解決しなくてはならない問題かも知れない。でも解決不可能な問題ではない。で、問題は引用最後の行、「ひとたび事故を起こせば甚大な被害が出るのは皆が知るところである」って?みんなが知るところ??いや知りません。甚大な被害とは?根拠は?引用を続ける。

「さらに採掘時に発生する尾鉱は原鉱の8割に近い放射性物質を含み,広範囲にわたって環境汚染を生じている。炉の運転により発生した放射性廃棄物の貯蔵は技術的にも経済的にも厄介[7]である。放射性廃棄物と廃炉-正確には永久管理と呼ぶべきだが-の費用は経済を圧迫し,100~200年以上の長期的視点に立つと原子力のメリットは消滅する可能性が高い。原子力(分裂炉)エネルギーを将来のエネルギー資源としてとらえることはとてもできない。」

 とにかく「放射能は甚大な被害をもたらし、環境汚染を生じさせる元凶である」というのが大前提になっている。だから放射性廃棄物の貯蔵問題や、廃炉について非常なコストがかかるものだという幻想がある。面白いことに、この幻想はこの人だけではなく、世界中に広まっている幻想だ。

 かつて原子力発電所が人的に「取り返しの付かない甚大な被害」をもたらしたことはない(チェルノブイリ事故の健康影響)。そりゃ28名は死んださ。放射能というものは、人が死ぬレベルがあって、それを超えるレベルの放射線を浴びれば死ぬ。火を使って火に近づきすぎれば焼死するようなたぐいのものだ。

 健康被害もほとんどない。ほとんど、というのは小児甲状腺ガンについては統計的有意に事故の影響で増加したことから。

一番の被害は人間の無知からだった

 「人は放射能になぜ弱いか」によると、ヨーロッパではチェルノブイリ事故後、奇形児が生まれることを恐れた妊婦による人工中絶が行われたのである。(手元にこの本がみつからないので数字をWebで探ったらおよそ10万~20万もの!)まったく、必要のない中絶により、これだけ多くの命が失われたのだ。

 ふだん神など信じない僕だが、これは罪ではないか?本当にそう思ったものだ。この事実を知ったときにはまさに驚愕したものである。また原子力発電所で事故が起きたときに、こうした無知から同じような事件が起きやしないか?

 だから、「甚大な被害をもたらすことは周知」などと曰い、解決方法があるのにもかかわらずそれを放棄するような連中は大嫌いなのだが、たしかにいまの放射能に対する知識レベルでは甚大な被害をもたらすことは残念ながらあり得る話ではある。

原子力発電所の何が危険か

 放射能は正しく扱うことで危険ではない。ただし、甲状腺ガンなど、原子力発電所の周りでは統計学的有意な数字で発病率が増える。…0.1%に満たない数字で。この0.1パーセントに満たない数字、と言う数字をどう考えるか、が原子力エネルギー社会が考えなくてはならないところだと思う。たとえば100万都市では、原発があることによって1000人が死亡する計算になる。(このへんは「人は放射能になぜ弱いか」の受け売りだけれど)

数字のでどころとか

 確かに、僕の挙げた資料はgo.jpからのものだったり、原子力発電に賛成している人からの引用ではある。果たしてこれは偏りのあるデータなのだろうか。いずれも、客観的データに基づいているように見える。そして、客観的データは反対派よりもむしろ賛成派から出てきていることに、僕はますます原子力エネルギー社会というものに期待をしてしまうのである。

 しかし、原子力発電所に悲観的な論も多く、感情論になっていないデータに基づいた冷静な反論もある。というわけで、「原子力さえあればエネルギー問題は解決!」という僕の持論は崩されるかもしれない。

とにかく

 人類の不断の努力によってのみ、ぼくたちは繁栄することができる。その努力を怠ったときには、破滅なんだろうね。でも繰り返し強調するけれど、「世の中、よくなってきているのだ。」 普段は悲観的な僕だけれど、社会全体については楽観論者なんだ。