愛の流刑地

Last-modified: 2014-05-06 (火) 21:35:26

渡辺淳一センセイについてその3

先日お亡くなりになった。ご冥福をお祈りします。

この渡辺センセイの訃報はどこのマスコミもまあまあ大きく取り上げており、そんなに偉大な人だったのかねぇ、と疑問を感じる。とにかく、この人の晩年の作品は絶対に買ってはいけない。「愛の流刑地」だの、「失楽園」だのは、目を通すことすら時間の無駄。読むのならば若い時分の作品を読むとよいでしょう。

 あと、お亡くなりになる直前になってからやっと直木賞の選考委員を辞退したらしいことを知って、本当に驚いた。もっともっともっと前、10年以上前にでも辞退すべき人であったと思う。こんな人に選考されなければならない新人さんは大変だったろうなあ。(2014.5.6)

さて、渡辺淳一センセイについてその2

下記に渡辺淳一センセイは過去はよい作品を書いていたらしい。というわけで、図書館にふらりと立ち寄ったらちょうど渡辺淳一大先生の短編集『泪壷』があったので試しに読んでみた。

表題作『泪壷』1988年作品。これが衝撃的。ホラー仕立ての短編なのだが、これが面白い面白い。驚いた。夫を溺愛する妻が、末期がんで死ぬ際に、私の骨を壷にしてくれと言い残す。実際にそのとおりにする(そのくだりもおどろおどろしい感じでなかなか)。再婚を考え、二人の女性と交際するも、壷に邪魔をされているかのごとくうまくいかない、という、ストーリーを書くと何ともない話だが、もうろくしていない渡辺淳一はすごいと思ったのはたしか。

しかし、この短編集には他に5本の短編が収録されているが、他はあまりそうでもないかな。でも、比較的面白い作品であった。

いや~、実に意外な体験であった。モウロクっておっかない。過去に良い作品を残していた作家だけあって、『愛の流刑地』のウンコさが際立つ。『愛の流刑地』は渡辺淳一の作家人生の大きな汚点作品であることはハッキリ理解できた。2011年6月

さて、渡辺淳一センセイにつて

下記はヒライケンだかが金を積まれて歌を作ったとか言ったときの苦言。まあ『愛の流刑地』はとにかく立ち読みだけでもその時間さえ無駄だと今でも自信を持って言えるのだが、先日友人が「渡辺淳一はエロに走る以前はとても感銘を受けるエッセイを執筆していた」と言うのだ。どうやらその友人の評価だけでなく、インターネットの評価もそのようなのが多い。この希代のクソ小説、『愛の流刑地』しか知らない自分にとっては衝撃である。人間って変わっちゃうんだなあ、ということを感じた2008年9月。

下記は昔に書いたもの

下記は日経新聞に連載されていた当時に感想として書いたものだ。とにかく駄作なのははっきりと覚えている。だから、人気歌手がこれに感化されて歌を作ったりしても、「うそつけ、金のためだろ」と自信を持ってその流行歌手に言える。
あんなクソな小説を映像化するなんて、ほんとに日本の映画界はろくでもねえなあ。見る価値無しなのは当然。(2007年5月)

今日の「愛の流刑地」

日経の一番後ろに付いている連載小説。これがほんとにショボい。エロ小説にしてはまったくエロくないし、共感するところもない。なんでこんな作家が文筆で食っていけるんだろう。

暇つぶしに見るにしてもあまりに時間の浪費で、しかもこんなページを作るくらいならなんか別なことをした方が遙かにマシなのだが、あくまで暇つぶし中の暇つぶしで。

これまでのあらすじ

作家の菊治(既婚)と冬香(既婚、子持ち)は不倫。冬香は異常な性癖のある夫と結婚してから夜の生活に全く不満であった。が菊治によって開花。菊治も冬香にハマる。年甲斐もなくオナニーしちゃうくらい。しかも行為の最中の冬香さんの声を録音して、それを聞き返しながらオナニー。想像でオナニー。なんだかんだで菊治は離婚。菊治は自分たちをモチーフとした小説を書くが、かつて自分をもてはやしてくれた出版社も冷たい。出版を断られる。菊治と冬香の仲は進行する。行為の最中、冬香は「殺して~」とか言うようになっちゃう。ある日「首絞めて~」とか言う冬香に答えるべく行為中に首絞める。で、殺しちゃう。菊治は呆然として死体放置。死後硬直が始まったくらいにやっと警察へ連絡。菊治拘留される。拘留中も性懲りもなくオナニー。出版社が以前持ち込んだ原稿を出版したいと面会。菊治は承諾。取り調べは菊治にとって自分たちの愛が冒涜されているようで全く不本意。で、裁判開始。(ここまでが2005年11月20日現在)

いろいろな人から手紙が来る。いきつけのバーのママから。「女であればイクときに死にたいと願望するのは理解できる。マスコミその他大勢はそれを知らないのだ。あなたの無罪を信じる」てな感じ。息子からも手紙。「オヤジを誇りに思う」んだそうだ(2005年12月3日現在)

当然ながら有罪。8年の刑。バーのママからまた手紙。「ふゆかさんがあなたを独り占めするためにそこに閉じ込めたのよつまりそこがあんたらの愛の流刑地」ということで題名にそったオチでつつがなく終了。

どうでも良いが感想とこれからの予想

2005年2月7日時点の感想

やっと終わった。日経新聞の恥さらし連載。失笑ギャグ小説であった。最後まで自分は悪くないと主張。形だけの遺族への謝罪。金銭的な補償をちゃんと菊爺はするつもりも無いらしいから恐れ入る。徹底した個人主義。自分の事しか考えない世代。失笑ギャグ小説家渡辺、お前らの世代はやっぱり糞だな。

2005年12月3日時点の感想

自分の都合の良いように自分は無罪になって欲しいと願う菊治。冬香の家族、子供たちやその親戚人の思いには全くシカトして自分の無実を祈る菊治。「自分さえ良ければまわりなどどうでもよい」的な、身勝手な団塊世代老人思想を象徴していて興味深い。日本をダメにしたのはこの世代なのだ。
ボケ団塊世代作者ワタナベと日本経済新聞社のレベルの低さを憂うボクなのであった。

2005年11月20日時点の感想

「「殺して」なんて言うはずがない」という検察側。この著者の乏しい法律の知識からすると、たぶん行為の最中の録音が決め手になって情状酌量になる展開(現実じゃあり得ないけどね)とみた。そして出版された本の印税で家族に賠償。ここまでは読めるがそれ以上は新たな展開待ち。担当検察官は女性で、これがどういうことになるか。さて、あしたからの展開が全然楽しみじゃない。

感想といえば、とにかく菊治の身勝手さが全然共感できない。所詮殺人犯だしな。普通は殺さんだろ。冬香さんの家族に対する謝罪の意も全然表明されていない。とにかく、「ぼくのやったことは究極の愛なんだ」とか言いたげ。著者自身の「話題になりさえすれば本は売れるんだろ」という主張も見て取れる。卑しい著者だねえ。(ここまで)

とにかくひどい小説だ。というかこんな駄文を小説と呼んで良いのかさえ疑問。そしてそんな駄文に対してこんな駄文を書く俺もヒマだなあ。

ちなみに、この小説を1日分読むのにおよそ1分かけているが、もっと短くしないとな。時間の無駄だ。