軌道車両一号(きどうしゃりょういちごう)とは、キッティ帝国がかつて製造・運用していた路面電車。
| 運用者 | 帝国汽車 |
| 製造所 | 帝国汽車 |
| 製造年 | 1065-1099年 |
| 製造数 | 153両 |
| 軌間 | 930mm |
| 最高速度 | 20㎞/h |
| 自重 | 2,901㎏ |
| 車両定員 | 30人 |
| 全長 | 8,944mm |
| 全幅 | 2,200mm |
| 全高 | 3,510mm |
| 車体材料 | 木材 |
| 駆動方式 | |
| 主電動機 | 帝国モーター |
概要
1048年の電気革命によって異常な速さでモーター技術を獲得した帝国は、それを交通インフラに利用することを思い付く。そんな帝国が、既に当時鉱山で使用されていたトロッコにモーターを搭載することを思い付くのにさほど時間はかからなかった。帝都キッティの大通りに近隣ダムから電線が引かれ、レールが埋め込まれると同時に、車両の開発も進められる。1063年には試作十一号が安定した走行に成功、それが軌道車両一号として採用された。
形式
形式なんてねえよ。
一台一台が職人の気まぐれで作られていたので、足回り以外は車両ごとで大きな差がある。上記の諸元もあくまで帝国博物館にある現存する車両を調べただけであり、数十センチの誤差は平気で存在するとされる。
装備
低速であるため、車外に乗るための足場と取っ手が殆どの車両につけられていたが、運転手の日曜大工で取り付けられていたため突然外れることもあった。軽量化のため客室には薄い板材を使用していたため、全力でジャンプすると床が抜け、パンチで壁に穴が開いた。
なんと驚くべきことに、車輪は鉄板を巻きつけただけの木製である。座席は一応存在したが、丸椅子を車内に置いているだけであり、たまに走行中の車両から椅子が転がり落ちてくることがあった。また、運転室と客室が仕切られておらず運転装置がレバー二つという簡素なものであるため、運転手が休憩のために乗客と運転を交代していたという。
ちなみに最高速度は20㎞/hとされているが、後々の無人の再現車での計測値であるため、当時ではもう少し遅かったのではとされている。再現車はその計測中、22㎞/hを超えた時点で強度不足で崩壊した。
運用
最高で20㎞/hという低速車両なため、駅などは設定せずに、乗り合いで通りかかったものに直接乗るという方法で使用されていた。その方法から、無料の公共交通機関として誰でも乗れるものであったため、キッティ市民には人気の移動手段として親しまれていた。
保存
キッティ帝国博物館