キーレイル国有鉄道のキャンペーン(終了)。
背景
時は1850年5月、路線が充実し鉄道技術も発達してきたことで、黎明期には高額だった鉄道運賃は一般大衆にも十分手の届くほどになり、さらに車両の走行速度や居住性も上昇した。それにより、旅客輸送量は大幅に増加し、施設の異常な混雑や積み残しが多発した。そこでKRは増発と改軌による大量輸送を急務としたが、改軌には手間がかかる上、増発するにも当時の大規模な車両製造所は大裂車輌?、百々機械?程度と少なく、生産が追いつかなかった。そこで本社は貨車なら大量生産が容易く積載可能量も多いことに気づき、それに旅客を乗せることを思いついた。
経過
貨車による旅客輸送は7月から始まったが、その頃は運賃は三等車の半額であるのみで、非正式だが四等車という区分が設けられた。だが、それでは貨車に乗ろうとする乗客は少なく、空の貨車を牽いた電気機関車が旅客ホームに入線するというシュールな光景が各地で見られた。そこから度重なる値下げが行われたが利用客は思うように増加せず、8月9日、ついに痺れを切らした国鉄は運賃を1七筒とし、ここに「1七筒列車」が爆誕した。これにより、流石に貨車は大盛況となり、連日多くの乗客で賑わった。
終焉と現在
1860年代に入り、車輌の生産が追いついたことで大量輸送という目的での1円列車は終焉し、現在まで復活したことはない。だが、国立鉄道博物館?では実際に1七筒を支払うことで10kmの乗車体験が可能である。