3000系

Last-modified: 2025-01-25 (土) 12:23:34

初めての新性能車3000系

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急行の代走運用で走る3001F。北河原駅にて 2021年4月17日
1958年にかね丸電鉄初の新性能車*1として登場した車両。
日本車両製造、東急車輛製造、川崎重工業、自社多磨羅内工場で4両編成19本、2両編成20本の合計136両が製造された。
設計最高速度130km/h、加速度2.1km/s、常用減速度3.2km/s、非常減速度4.5km/sと当時としては最高水準ともいえる性能を持っている。
現在は廃車が進行して3001編成、3102編成、3011編成が予備車として残っている。
本形式をベースとした特急用車両の3300系は別頁で解説している。

車体

車体は日本車両製造の標準型車体に準拠して設計されている。車体長は当時のかね鉄自社発注車で最長の18m級だ。
1963年に川崎重工業で製造されたアルミ車体試験車3200形は、鋼製車とは違い少し角ばったデザインだった。

外装

外装は至ってシンプル(なのか?)。
塗装は旧標準塗装で、クリーム1号にインディゴブルーの塗装を身に纏う。
方向幕は更新車に取り付けられている。全廃した未更新車は行先として長方形の板、種別として円形の板を用いていた。
側面の窓配置は中期型までがd1D(1)2D(1)2D(1)1*2、後期型がd1(1)D(1)2(1)D(1)2(1)D(1)2で、戸袋窓、妻面窓は両方ともある。中期型までの戸袋窓は通常の窓と同じ大きさであった。ドアは前期型~中期型は片開き、後期型は両開きである。
連結器は登場時は自動連結器であったが、6000系登場時に密着連結器+電連化されている。

足回り

台車は前期車・中期車の場合は日本車両製造のNA-4P,住友金属工業のFS-316,かね鉄オリジナルの空気バネ式台車FS-351が採用されている。主電動機出力が向上した後期車は国鉄のDT21形をコピーした住友金属工業のFS342台車へと変更されている。
住友金属工業製の台車は4000系でも使用されている。
3200形のみ、川崎車両のOK‐26が採用された。
主電動機は前期車・中期車は東洋電機製造のTDK823(一時間定格出力75KW)と三菱電機MB-3032(一時間定格出力75KW)、後期車は東洋電機製造のTDK806-5K(一時間定格出力100kW)で、駆動方式は75kW車がWN平行カルダン、100kW車が中空軸平行カルダン駆動となっている。登場時は吊り掛け車に比べて走行音が小さかったためかなり評判が良かったそうだ。しかし非同期音以外は静かなVVVFインバータ車が覇権を握っている今は、高速域でのモーター音のうるささから「爆音電車」として鉄道ファンに親しまれている。なお、旧型電車に比べて弱い主電動機出力を補うために全車電動車なのが特徴である。
空気圧縮機はDH-25型もしくはC-1000型を装備する。
制動装置は電磁直通式電空併用中継弁付自動空気ブレーキ(HSC-D)である。1982年に発生した慰木杉駅追突事故?を経て、全車に耐雪ブレーキが装備された。
また、3100形の一部の編成にはブレーキ指令読替装置が搭載され、1000系との混結が可能となっていたが、現在は全車が廃車となっている。

編成

形式

  • クモハ3000形,クモハ3100形,クモハ3200形(Mc)
    かね丸港向きの片運転台の制御電動車。運転台側にパンタグラフがあるみんな大好き「前パン」スタイル。
    床下に主制御器とMG(発動発電機)を装備する。
  • モハ3030形,モハ3230形(M)
    中間に組み込まれる電動車。クモハ3000形と同じ向きにパンタグラフがある。
    主制御器とMGを装備し、万が一MGの故障があっても編成内でどちらか1台で運用できるようになっている。
  • クモハ3080形、クハ3180形,クハ3280形(Mc2)
    電鉄本町向きの片運転台の制御電動車。
    コンプレッサーとバッテリーを床下に装備。
  • モハ3050形,モハ3250形(M2)
    中間に組み込まれる電動車。
    床下にコンプレッサーとバッテリーを搭載し、万が一のCP故障に備えている。
  • モハ3900形(Mo)
    3900形の改造車。車番は原番号+1されて3100形の中間に挿入された。
    また、この時更新工事を受けており、制御装置を3000系の電装解除車のものと交換、運転台を撤去している。
    両開きドア化は見送られ、7000系・8000系?の導入で1997年に引退した。

編成図

◇はパンタグラフの位置を示す。
←かね丸港 電鉄本町→
4両基本編成

3000(Mc)3050(M2)3030(M)3080(Mc2)

3200形4両編成

3200(Mc)3050(M2)3230(M)3280(Mc2)

2両付属編成

3100(Mc)3180(Mc2)

3両編成

3100(Mc)3900*3(Mo)3180(Mc2)

編成の組み替え、更新工事など

他形式への編入

実は3000系として製造された3006編成、3009編成は輸送力向上のため4000系に編入、編成を分割(2両+2両)し電鉄本町向きの2両を方向転換して4100形*4に増結した。
その後、使われなくなった運転台は撤去された。また、編入時に4300形という形式を与えられ、本形式を組み込んだ4100形も4200形に形式を変更した。その後、2020年までに全車が廃車、解体された。

編成組み替え

  • 3011編成+モハ3034+クモハ3084
    1986年9月12日に発生した踏切事故により、3004編成の前2両(クモハ3004+サハ3554)がかね丸川橋梁下の河原に転落し、修復不可能と判断される程の損傷で廃車となってしまった。
    残された後ろ2両(モハ3034+クモハ3504)は1ヶ月程南かね丸検車区に放置され、3000系列の2両編成グループ3100系に編入(運転席増設などの改造を行って)する予定もあったようだが、金と大人の事情により頓挫。
    結局3011編成にモハ3034の貫通路を狭幅化して増結することになった。
    同年11月1日をもって営業運転に復帰して、ひさびさに本線を快走する姿はいささか元気そうにも見えたという。
  • クモハ3100形+モハ3900形+クモハ3180形
    1976年に、鹿ノ森線などの輸送力増強を目的として、3100形の中間にニートレインと化していた3900形を組み込む話が浮上した。
    その話はすぐに実行に移され、クモハ3900号から改造されたモハ3901号を3100形3103編成に組み込んだのが1976年8月のこと。
    その後、3900形の全車が3100形に組み込まれた。
    制御装置は3000形初期型2編成の電装解除車の発生品に交換された。
    1997年までにモハ3900形は編成から外され、全車が廃車、1両を除き解体された。
    3900形を組み込んだ3100形も、2021年末までに全車が廃車、解体された。
    以下は改造された編成のリストである。
    編成改造年月日モハ3900の廃車年月日3100形の廃車年月日
    3103編成+モハ39011976年8月10日1998年3月31日*51999年11月13日
    3105編成+モハ39031976年12月21日1994年5月20日2018年8月8日
    3104編成+モハ39021977年2月22日1995年11月9日2002年12月3日
    3106編成+モハ39041977年5月14日1995年1月23日2021年7月19日

事故廃車

1976年10月19日に発生したかね鉄鹿ノ森線列車衝突事故?では3109編成が臨時急行列車に衝突し炎上して焼損、修復不可能となり廃車された。
その代替として6000系の2両編成1本が製造された。


*1 こマ?
本当は1956年製造の初代3000形(のち3900形に改番)が最初だ、にどとまちがえるなくそが

*2 dが乗務員扉、Dが客用扉、数字は窓の数。()は戸袋窓
*3 3900形の運転台撤去車。
この組成は1976年から1997年まで続き、最大4編成がこの組成に組み替えされた。

*4 編成図は以下の通り。
4200(Mc)+4250(M)+4300(Mo)か4380(Mo2)+4350(M2)か4330(M)+4230(M)+4780(Mc)

*5 南かね丸検車区の工場で初代3000形だった当時の姿に復元、保存されている。