手が震える。
ふと気を抜くと引く途中で線が曲がる。歪む。
無理をしているのは自分でもわかっている。
けれど、止めるわけにはいかない。
俺は震える腕を抑え、線を引く。
線を引く。
線を引く。
線を引く。
ただひたすらに。
こうしていると、あいつの似顔絵を描いてやったときのことを思い出す。
俺の幼馴染。
そして俺の想い人。
あいつのはにかんだ笑顔が頭に浮かぶ。
俺達があの爆発事故に巻き込まれて、どれだけの時間が経っただろう。
あいつとは生き別れ、今もどこにいるかわからない。
迎えにいってやることもできない。
だから、あいつから来てもらうんだ。
俺が有名になって。俺の絵が世界中に広がって。
その絵を見たあいつが俺のところに来るまで。
俺は絵を描くのを止めない。
線を引く。
線を引く。
線を引く。
ただひたすらに。
俺はちっぽけだけど。
俺はまだまだやれる。
俺は元気だよ。
お前は元気にしてるか?
―――千枝。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「本日肖像画を描かせていただくゴニー=サン=シュガーマウンテンです。よろしくお願いします。」
「もぉ、そんなにかしこまらなくてもいいのにぃ。アタシとぎょにさんの仲でしょお?」
今日初めて会ったばかりだろう……。
そう呟くのを堪え、深く頭を下げる。
この人は卑弥呼。世界的に有名なアイドル姫だ。
呪術アイドルとしてデビューし、多くのファンの支持を得た。
1億を超すほどのファンは彼女のための国をつくり、卑弥呼は邪馬台国の女王として君臨している。
知名度ではあのアイドル姫、プリンセス天功や天草四郎時貞にも劣らないだろう。
「アタシのこと、カワイク描いてね?手抜いたりしたら、ぷんぷん!おこっちゃうぞ!」
「……善処します。」
女王卑弥呼はその男癖の悪さでも有名である。
好みの姫絵師を見つけては手を出し、寵愛するという。
恐らく俺もその一人なのだろう。
しかし、断るわけにはいかなかった。
ロイヤル宮内庁直々の命令だから、というのもある。
だが、もっと単純で重大な目的があった。
―――名声。
これほど有名絵師へと近づける仕事は滅多にない。
千枝に会えるほどの有名絵師になると決めたときから、やることは変わらない。
ちっぽけな力を振り絞り。
絵を描く。
ただひたすらに。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
線を引く。
線を引く。
線を引く。
ただひたすらに。
卑弥呼の私室。二人っきり。
卑弥呼がこっちを見つめてくる。
「ねぇ、ぎょにさんはぁ……恋人とかいないのぉ?」
「いえ……。」
「じゃぁ……アタシのモノにならない?パコらない?」
これだ。俺が担当する姫はいつもこんな風に言い寄ってくる。
何故かはわからないが、俺は姫を魅了する天然体質らしい。
こんなちっぽけな俺にどうして、と思わなくもないが。
こうして姫絵師ができることを考えると、感謝するべきなのかもしれないが。
けれど、それに甘んじて女遊びに興じるほど、俺は不義理じゃない。
「……恋人はいませんが……私には想い人がおりますので。」
「えー?そんなの忘れちゃいなよぉ。アタシのモノになればイリーガルパコさせてあげるよぉ。」
……忘れられるわけないだろう。
きっと千枝は俺のことを忘れていない。
だから俺も千枝のことを忘れない。
そうやって生きていくって、決めたんだ。
「そんなこと言わないでぇ、キケンな亀甲占いしよぉ?」
「ですから、私は……。」
「卑弥呼様、大変です!」
突如、部屋に踏み入る男。卑弥呼のSPだ。
「ちょっとぉ、勝手に入らないでって言ったでしょぉ。」
「緊急事態です!ファンがクーデターを起こし、蜂起しました!」
「……何ですってぇ!?」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
邪馬台国。
卑弥呼のファンによって作られた、卑弥呼とそのファンのための国である。
だが、ファンの怒りは既に限界を超えていた。
卑弥呼の目に余る男遊び。
非合法ギルド「センテンススプリング」によるスキャンダルの数々。
―――卑弥呼様が理想から離れていくなら、俺たちが卑弥呼様を殺し、永遠に理想の姿に留めておくべきだ。
ファンは口々にそう言いながら卑弥呼の住まう宮殿へと向かった。
今、卑弥呼の宮殿は1億人もの狂信者によって取り囲まれた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
まさかこんなことになるなんてな……。
窓から下を覗き見る。宮殿の庭を覆いつくさんばかりに狂信者が蠢いている。
……このままだと、クーデターに巻き込まれて俺も死ぬだろう。
卑弥呼を見やる。
彼女は震えていた。その姿はもはや女王ではなく、年相応の少女のものだった。
千枝に会うまで俺は死ぬわけにもいかない。
でも、一人の少女を見捨てて逃げるほど、俺は冷たい人間ではない。
たとえちっぽけな力しか持たないとしても。
「卑弥呼さん、あなたは俺が守ります。ここから一緒に逃げましょう。」
「ぎょ、ぎょにさぁん……!」
「大丈夫、まだまだ時間はゆっくりあります。気づかれないよう慎重に行動しましょう。」
卑弥呼が怪訝そうな顔で俺を見る。
混乱しているのだろう。こんな状況だ、無理もない。
だが、どうやってここから逃げのびるか……。
おもむろに、SPの男が手を挙げた。
「それでしたら、私にお任せを……」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「こんな隠し通路があったなんてぇ、どうして私に伝えなかったのぉ?」
「卑弥呼様をお守りするため、たとえ卑弥呼様本人にも秘密を漏らすわけにはいかなかったのです。お許しを。」
「ふん、まあいいわぁ。早く外へ案内なさい。」
俺達はSPの男の案内で隠し通路を通っている。
これならば安全に逃げられるだろう。
不意に、あの爆発事故のことを思い出す。
あの時、俺は千枝を守りきることができず、はぐれてしまった。
今なら、俺は誰かを守ることができるだろうか。
ちっぽけな俺には誰かを守るだけの力があるだろうか。
―――光が見えてきた。
もう手の届く距離に、出口が、
「卑弥呼様がいらっしゃったぞ!」
「殺せ!殺せ!殺せ!」
眼前には狂信者の群れ。出口など存在しなかった。
「こ、これは……!?」
「確かにご案内しましたよ……地獄へとね。」
「くっ騙されたぜ!」
SPの男も狂信者に成り下がっていたとは。
「あははぁ……もうお終いねぇ……。」
卑弥呼の心はもう折れてしまったようだ。
俺の心は、まだ。
まだ折れていない。
「……俺がこいつらを引きつけます。その隙に隠し通路を戻って逃げ延びてください……。」
「ぎょにさん……!?」
女の子一人救えないで逃げたんじゃ、千枝に合わせる顔がないよな。
やってやるさ。1対1億。
勝てるわけがないけど……卑弥呼を逃がすくらいなら俺のちっぽけな力でもできる!
「ウオオーッ!!!」
狂信者を許さない……その怒りの感情を、ちっぽけな感情を拳に込め、解き放つ!
核分裂から放たれる、怒りのストレート!
直後、爆発。爆風がちっぽけながらも周囲10kmを飲み込んだ。
光が俺の目を眩ます。
……わかっていたさ。
こんなちっぽけな力じゃ、核爆発じゃ、人一人も殺せない。
けど、目くらましになれば十分だ。
そう思って、俺は後ろを見やる。
それは信じらない光景だった。
卑弥呼が、見るも無残な焼死体で、転がっていたのだ。
「う、うわあああああああ!!!!!!」
どうして。
俺のちっぽけな目くらましで逃げ延びたはずじゃ。
……。
そうか。
あいつらにやられたのか。
敵が多すぎてよく見えないけど。
火炎放射器を持ってるやつが殺したんだ。
何か燃えてるし。
そうに違いない。
許さない。
俺の怒りが増していく。
「ウオオーッ!許さねえーッ!」
狂信者を許さない……怒りの感情を、ちっぽけな感情を拳に込め、解き放つ!
核分裂から放たれる、怒りのエアボクシング!
爆発。爆発。爆発。三度の核爆発と爆風がちっぽけながらも周囲100kmを飲み込んだ。
光が俺の目を眩ます。
……わかっていたさ。
こんなちっぽけな力じゃ、核爆発じゃ、人一人も殺せない。
女の子一人守れなかった男の、ただの八つ当たりだ。
そう思って、俺は後ろを見やる。
それは信じらない光景だった。
卑弥呼の焼死体が、原型をとどめない骨だけの姿になっていたのだ。
「う、うわあああああああ!!!!!!」
どうして。
焼死体で転がっていたはずじゃ。
……。
そうか。
あいつらにやられたのか。
敵が多すぎてよく見えないけど。
死霊術師が骨だけにしたんだ。
骨フェチの死霊術師がきっと敵のなかにいたんだ。
そうに違いない。
死者の尊厳を踏みにじるなんて。
許さない。
俺の怒りが増していく。
「ウオオーッ!許さねえーッ!」
狂信者を許さない……怒りの感情を、ちっぽけな感情を拳に込め、解き放つ!
核分裂から放たれる、怒りのグルグルパンチ!
爆発。爆発。爆発。爆発。爆発。五度の核爆発と爆風がちっぽけながらも周囲10000kmを飲み込んだ。
光が俺の目を眩ます。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「ごめんな、守ってやれなくて。」
俺は無力だ。
こんなちっぽけな力じゃ。
こんなちっぽけな核分裂じゃ。
女の子一人守ることもできないのか。
「悔やんでも、悔やみきれない。」
あの時の爆発事故もそうだ。
千枝が暴漢に攫われそうになったとき。
俺のちっぽけな原子爆発パンチは彼女を救うことができなかった。
「俺は、無力だ……。」
狂信者達は全員死んでいた。
俺のちっぽけな核爆発が効くわけないし、多分勝手に死んだ。
何かきっとリーダーが死んだら全員死ぬみたいなアレだったんだろう。
信者ってこわい。
宗教ってこわい。
そう思った。
「でも、いつまでも過去を引きずっても仕方ないよな……!」
そうだ、俺には千枝という想い人がいるんだ。
あいつ以外のことなんて、考えてられないぜ!
その時、不意に俺のスマホが鳴り出した。リゼロのOPテーマ。着信だ。
「……もしもし?」
「ういだよ。」
「誰、だ?」
「うい、千枝ちゃんのこと、知ってるよ。」
今、この時から運命は動き始めた。
一歩ずつ、いや、ゼロから。
多分そんな感じだったと思う。
廃墟と化した卑弥呼の宮殿の上。遥か空。
夕日で赤く照らされたきのこ雲が、運命の始まりを指し示しているかのようだった。