孤島遺産

Last-modified: 2020-04-17 (金) 19:12:40

孤島に受け継がれる宝、孤島遺産。孤島開発開催前のイベントで案を募り、16の案を孤島遺産として認めました。
地図上では黒色の▲で表記されている場所に孤島遺産があります。

 

一覧

文化遺産(全12個)

文化遺産①…丙峰(Y-23)
島内最高峰の山。古くから修験道の聖地として栄え、山頂に大量の覆面を祀る独特の文化を持つ。
山頂の貝塚にあった炭素化したポテチを放射線分析した結果、このポテチは5000年以上前のものであると判明した。

文化遺産②…東華城(P-59)と威禁城(L-53)
いずれも石垣や櫓が現存。巨大な天守閣は再建されたもの。 かつてこの島の豪族の東華族と威華族が争っていた時代にそれぞれの居城として建てられた。 この二者はM-54の海で海戦を行い、東華族が勝ち威禁城は焼かれたのだが、戦いを終えた東華族が居城に帰ろうとしたら自分達が作った難攻不落のからくり仕掛けに阻まれ、結局誰も城に帰れず。 その責任問題で内紛が生じ東華族は滅亡。東華城は300年後に落雷で焼失。

文化遺産③…己会寺(c-33)
現存する中では孤島最古の寺院。かつては禅の学習機関が置かれ、島中の生徒達が提出してきた禅問答の答案を添削していた。 当時は旅に危険がつきものだったので答案を運ぶ飛脚は月収が非常に高かったのだが、通信教育なのでほとんどの生徒がサボって答案を出さず、運ぶものがないのに高収入を得られる飛脚は当時人気の仕事となった。

文化遺産④…宇獄坊の古代文明群(神殿g-20,地底都市e-19)
【神殿】砂に埋もれかけた古代文明の遺跡。中心には現代の技術では再現不可能なほどに精巧な作りの巨大な球がある。 この地で発掘された古文書の解読により、これを建てた民族は球体を信仰しており、球体を動かしてそれが動きを止めた場所を神の意志の現れとして居住地に選ぶ、という風習があったことが分かった。 ちなみにこの地で球が動きを止めたのは、ただ単にここが一番標高が低いからであると思われる。
【地底都市】孤島において大きな謎の一つとされている地底都市。下へ下へと下る形で続いており、現在の生活の基盤となっている遺産も多く発掘されている。だが海抜-500m地点を境に構造は大きく変化しており、その奥底へと向かっていった調査隊は未だかつて帰還者を出していない。

文化遺産⑤…根釜近海(M-3)
根釜という地名の名前の由来となったネカマがかつて根釜半島に住んでいた。そのネカマはきもちわるかったために他の住民に嫌われていたが、大きな嵐が半島を襲ったときにネカマは海に飛び込み、それを鎮めた。それ以来住民はネカマを蔑んでいたことを懺悔し、海に向かってネカマの好物であったエナジードリンクを大量に捧げ続けた。その結果海は変色、現在も夕日に照らされる美しいエナジードリンク色の海を眺めることができる

文化遺産⑥…五胡玖半島の歴史的景観(m-50)
先史時代において新制度により解放された旧三等市民が集まったことで形成された都市。海に面した土地柄からか貿易、特に原材料の加工品を輸出する産業が盛んであった形跡が多く残っている。

文化遺産⑦…慶王塾(R-25)
大規模な洋風講堂は近代孤島の文化的な革命を現在に色濃く伝える。 地下室には諭吉(慶王塾の創設者とされる)の顔が刷られた紙が大量に蓄えられており、孤島最古の紙幣であると言われている。 しかしナルシストとして知られる諭吉は自分の美しい顔を世に広めるために紙幣を刷りすぎた為、この地域では深刻なインフレが起こり、講堂の一部は暴徒化した民衆によって破壊された。

文化遺産⑧…北座島(C-23)
古代は海上貿易の中継地でもあった島。神社が残っており、南座湖の神社(未発掘)と対になってそれぞれ海の神、湖の神を祀って漁業の安全を祈っていたという。 しかし中世の調味料の発達により肉の保存ができるようになってから人々はお肉の美味しさに目覚め、魚の美味しさを忘れてしまった為、漁業は廃れてもはやこの二神は信仰されなくなってしまった。

文化遺産⑨…儒述院(I-30)
砂漠にひっそりと設立されている学院。研究熱心な者のみをスカウトする姿勢からか普段の募集は一切掛けていない。実は過去に院生の生み出したオーパーツの数々こそが遺産としての本性だった。ただしそれらはもれなく封印されているので今は普通の生真面目な学院である。

文化遺産⑩…市唐教会総本山(Z-5)
古くから伝わる市唐教のお膝元。現在においても多くの信者が各地に存在している。
全く根拠のない話ではあるが高位の信徒は肉体を捨てて昇華しているとの噂も立っている。

文化遺産⑪…金染並木道(c-57)
市街地を貫く長い並木道。はじめは名前が無く、ただの並木道であった。昔ここを訪れた西洋人が、この並木道の黄色い紅葉を見て「コンソメストリート」と呼んだのが由来とされている。当時、英語が分かる住人はおらず、コンソメを「金染」と当てて読むことにした。著名な詩人「芋田 徳介(いもだ のりすけ)」はこの並木道を訪れ、「のりしおも 金に染めし 並木道」と吟じている。

文化遺産⑪…仕分旧市街(n-17)
古くから干ばつに悩まされてきた地域であり、区域内には古代の最先端技術を駆使した数多くのため池が存在する。かつてため池の美しさを競うコンテストが開かれており、優勝者には水道水の5%割引券が与えられた。

自然遺産(全4個)

自然遺産①…西烏鳥島(D-2)
かつては烏鳥島に飛来する鳥を眺めることができ、同時に海を眺めることのできる景勝地であった。その後烏鳥島の開発に伴って鳥の生息地がこの島に移動。現在は周辺でも屈指の鳥の生息するエリアとして、専門家や鳥マニアが多く訪れている。

自然遺産②…夢平の巨木(M-30)
樹齢約5000年と明らかに既存の樹木の常識を覆している巨木。落雷による燃焼等も緩やかながら回復するといった異常性を見せており、一部の専門家は異星人による何らかのアプローチだと提言している。その後の検査等により本当に新種と判明、だが特に毒性等があるわけでもなかったので現在では観光名所としていいように扱われている。

自然遺産③…孤凍湾(H-40)
冬になると寒流の影響で海が凍り、周囲の陸地の銀世界と合わせて幻想的な光景を楽しむことのできるエリア。古くから詩人にも多く詠まれている。

自然遺産④…傘堡の桃源郷(K-13)
現代に残る伝説の里。他の土地ではすでに絶滅した希少な動植物が多く生息しており、地理学系をはじめとする各学界において大いに期待が持たれている。そのような理由で桃源郷とまで呼ばれるようになったのだがそれとは別に異常気象が頻発している。