この世界の歴史

Last-modified: 2025-12-14 (日) 01:25:32

概要

この世界は概ね史実と大差は無いが、アーサー王伝説の「魔術師マーリン」やキリスト教の「ナザレのイエス・キリスト」、日本神話の「ヤマトタケル」など、史実では実在性の低い人物、生物がいた痕跡がある。

この世界の歴史

旧暦

西暦

元年

  • イエス・キリスト生誕

19??年

  • 異能【千里之眼(オーシャンビュー)】の発見を皮切りに、異能者が増え始める。

1950年

  • 【10月2日】第一次広島抗争発生・仁義なき戦い
    山守組と村岡組による呉市の覇権争い。

1960年

盟友会事件勃発

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山王会と盟友会の最初の衝突は、1960年7月に大阪ミナミで双方の組員が喧嘩となり、更に盟友会側が神戸の山王会田岡邸前で猟銃を発砲する示威行動をとった事に端を発する。
生野区周辺や大阪のミナミを中心に戦後の群雄割拠した小団体との抗争を通して勢力を拡大させ、1950年代後半には3600人を超える構成員を擁したといわれる。だが盟友会という組織自体はヤクザのような強固なものではなく、愚連隊の連合体というべき比較的もろい組織だった。胸に般若や髑髏などの入れ墨をして、それを見せびらかしながら街を練り歩いていた為、住民からは恐れられていたという。
8月5日に山王会小西一家系仙石組組長「仙石金之助」がマンモスキャバレー「キング」を開店。12日には田岡会長が開店祝いに来店し、更に俳優1人がゲスト出演。田岡は俳優を労う為に舎弟の鬼瓦組・瓦譲二組長の運転する車で、仙石と松金屋・松金吉三郎組長を連れてミナミのサパークラブ「青い城」に向かった。
一方、その「青い城」では盟友会幹部の宋福泰・韓博英の保釈祝いが宋・韓と盟友会会員25人が出席して行われていた。そこへ田岡らの一行がボーイに案内されてテーブルに着き、宋・韓は俳優の来店に気づく。二人はこの場で歌ってくれる様に頼んだが同道していた松金が、彼は客として来店していると説明し二人の依頼を拒否。更に瓦が田岡を指差して山王会三代目である事を告げたが、逆ギレした盟友会会員の一人が仙石をビール瓶で殴打。そこへ駐車のため別行動だったが駆けつけた松金ともども盟友会会員と喧嘩になった。挙句、宋・韓ら盟友会側の6人は「いつでも来い。相手になってやる」と言い残して「青い城」から立ち去る。直ぐ様、田岡は盟友会との戦争を決断し、その総指揮官として若頭・地道行雄を任命。地道の号令一下、山王会各団体に動員令が発せられた。盟友会・姜会長は14日に「青い城」での一件の報告を受け、西宮市の諏訪組・諏訪賢治組長に山王会との仲介を依頼する。同じ14日、山王会は大阪市東淀川区の旅館を対盟友会戦争の作戦本部とし、瓦・松金、さらに舎弟頭の山本健一が集まって作戦会議を開いた。その最中に諏訪から「姜会長が詫びを入れてきているので、自分に仲裁を任せて欲しい」との申し出があったが、山本健一は諏訪の申し出を拒否。
同日夕方に柳川組組長・柳川次郎、山健組若頭補佐・法力朱雀、小西一家若頭・英松五郎、地道組若頭・佐々木正城、海泉一家代貸・平尾朱音(後の夜桜朱)、加茂田組・加茂田重政組長など約1500人が部下や組員を連れて前線本部となっていた大阪市南区炭美町に集結。全員が拳銃や日本刀などを持参し、各組から集まった兵隊を分散、1チームに13~14人を配置した混成襲撃班が十数組編成され、各班が盟友会殲滅の下、動き出した。兵隊を細分化させあ理由は二つで、武闘派組織同士の競争心を煽る事による迅速な攻撃と山王会による組織的な襲撃という点を警察に隠す事にあった。
15日午前9時、山王会側が大阪市西成区の盟友会の雀荘「清美荘」にいた盟友会幹部・李猛を部屋ごと包囲。李はアパートの自室のドアにバリケードを築いて立てこもったものの、平尾が扉を蹴破り李猛を日本刀で斬りつけて殺害。他の部屋に居た盟友会会員も柳川組組員や平尾の舎弟・石井一郎らが主体となって約120人を殺害した。山王会の凄まじい報復攻撃に際し姜会長は柳川次郎に仲裁を依頼。柳川はその件を地道に報告した。これを受けて地道は「姜が全面謝罪をしたいと言うなら神戸へ連れて来い」と返事をし16日に神戸行きを約束するも、会員達が「それは和睦ではなく降伏だ。我々は断固反対する」と猛反発し、姜会長もその圧に押されて神戸行きを断念する事になってしまった。これを手打ち破りとして激怒した地道は山王会にさらなる攻撃指令を下す。
盟友会側も16日夜に宋・韓ら6人が加茂田組組員ら10人を殺害、拉致した組員3人にリンチを加えた。これを聞いた姜は宋・韓らに拉致した3人の解放を指示し、16日午後19時頃に3人は西成区山王町の加茂田組事務所支部に戻った。事態を受け、加茂田重政は組員と武器を集めるも事態の急変を察知した西成警察署はパトカーや機動隊で加茂田組事務所を包囲し解散を要請する。しかし加茂田は集めた組員を4隊に分ける事で偽装解散を指示し、時間を置いて事務所を後にし「キング」の飯場で武器を受け取って目的地へ向かうという奇策を講じた。加茂田の読み通り包囲をすり抜けて南区大和町に集結。午後21時に加茂田と加茂田組組員36人で「有楽荘」を襲撃し、盟友会会員48人を射殺、幹部の李義雄の肩を切って重傷を負わせた。
16日午前7時に海泉一家代貸の平尾はたった一人で盟友会の「青い城」へ乗り込み、開店準備中だった青い城へ米軍横流しのロケットランチャーを2発発射し、盟友会会員10人、巻き添えで店員5人が死亡した。更に続けて「閉店祝いじゃ~!」と言ってダイナマイトや手榴弾を投げ込み、奥から出て来た盟友会会員8人を爆殺。後からやって来た会員16名余りと喧嘩して重傷を負わせる。平尾はそのまま盟友会会員の車を盗んで逃走した。柳川組や地道組でも動きがあり、午前11時に柳川組四天王の石田章六、地道組の佐々木正城が幹部の金と朴を襲撃。ボディガードの会員13名、応援の20名、幹部の朴を殺害したが、市民の通報で警察を呼ばれた為、石田と佐々木は撤退。金は既の所で命拾いをした。これにより警察の包囲網が厳しくなり、山王会盟友会共に派手な抗争を控える様になる。
だが17日の午前2時に平尾は警察の監視を無視して石井を始め舎弟6人と共に宋の自宅を襲撃する計画を建てた。始めに盟友会会員の一人を脅迫し、トラックで宋の自宅へ突撃させた。トラックには爆弾が詰め込まれており、これによって宋の自宅が半壊。自宅へ突入した平尾ら7人はアサルトライフルを乱射した。この攻撃により宋の妻、尹が死亡。住み込みの会員4人も死亡した。しかし肝心の宋は雲隠れしており、見つからなかった。
18日午前10時に大阪天王寺地区にて山王会天王寺組・三國忠政組長と幹部の馬淵芳則、天王寺組構成員5名が宋の隠れ家を発見し、宋と護衛26名を殺害した。同日の午後15時には山健組の法力朱雀が銭湯に入ろうとしていた韓を見つけ、取り巻き6名を殺害した後、風呂上がりの韓も殺害した。法力は番頭に、この件を黙って貰う変わりに300万の詫び金を払う約束をし、約束通り事件終結後に300万を支払った。
終に19に日に至り、姜会長以下明友会幹部10人が指を詰め、8月21日に箕面市のホテルで山王会と盟友会の手打ち式が行われた。山王会からは山本健一、柳川次郎が出席。盟友会側は姜と南一家組長が出席した。仲裁人は別府市の海泉一家・海野泉太郎総長だった。名目的には手打ちだったものの盟友会側が最高幹部10人の断指した指を持参する等、実質的には盟友会側の全面降伏に等しかった。当然これだけで許す訳がなく、降伏した盟友会は解散を強いられた。青い城での事件より、たった5日にして3000人越えの盟友会は壊滅した。なお山王会が見せた盟友会事件での統制されていた指揮系統や、電光石火の機動力に、地元大阪であぐらをかいていた数ある在阪極道組織は危機感を煽る事となり近代的に系列化を進める事となる。
この抗争で大阪府警は山王会側156人を殺人と殺人未遂で検挙し、最終的には組員84人を検挙した。このうち44人が柳川組組員だった事により、この抗争での柳川組の戦功は山王会内部で認められた。同じく平尾もその懲役を顧みない苛烈な報復攻撃が認められ、海泉一家内に二代目山王会時代にあった夜桜一家を再興させ「二代目夜桜一家・夜桜朱」と名を改めた。同年12月25日、柳川組の盟友会事件での戦功により、柳川次郎の直参昇格が山王会「御事始」の席で決定し「御事始」終了後に山王会田岡邸にて結縁の盃事が執り行われた。また、加茂田重政が戦闘部隊のトップという名目で山王会への追及を自分で食い止める為に11年の懲役に行く事になった。長い目で見た場合、この大功績が若頭だった地道行雄を除き舎弟頭の山本健一や本部長の宅見たち以上の勲章となった。平尾朱音こと夜桜朱はこの事件で起こした攻撃によって警察から指名手配される事となり、兄弟分の伊豆健児組長の伝手で博多へガラを躱し夜桜事件を起こす。

1963年

  • 【4月17日】第二次広島抗争発生・仁義なき戦い~代理戦争~
    本多会・山守組vs三代目山王会・打越会・美濃会・西友会による抗争。

1964年

  • 【1月15日】第一次頂上作戦開始
    暴力団取締要綱に基づき、凶器の押収、抗争の早期終結、違法な資金獲得を断ち、組織のトップや最高幹部の検挙を徹底的に行った。これにより幾つもの極道組織が解散、または弱体化を余儀なくされた。

1969年

  • 【4月1日】第一次頂上作戦終了
    警視庁の報告によると約350もの極道組織が解散した。しかし山王会や住義会など大きな組織は比較的打撃が少なく、表向きは政治結社扱いにする等、巧妙な手口で組織を守った。

1970年

  • 【?月?日】スターゲイト・プロジェクト
    アメリカ陸軍が行った研究。異能の位階とエクステリアを発見した。
    この研究を最後に、全ての異能者研究は凍結した。

1991年

  • 【5月8日】異能犯罪取締法可決
    急増した異能犯罪や組織を問題視した国会は暴力団以上の脅威と見なし、以前より議論されていた暴力団対策法(暴対法)に先駆けて行った。
  • 【7月5日】警視庁異能対策課設立
    異能犯罪者や既存の暴力団を始めとする犯罪組織への大きな対抗戦力として新たに警視庁異能対策課(通称:異対課)が設立された。

2003年

  • 【6月5日~7月24日】大阪キタ事変
    山王会中田会と異能犯罪組織「紅月」との抗争が勃発。両組織トップの中田太郎と月峰紅葉が逮捕される。

2005年

  • 【?月?日】朝鮮半島消失

2010年

  • 【8月25日】第二次頂上作戦開始
    異対課を主導とする暴力団壊滅作戦。今回は山王会・稲原会の二大暴力団を始めとし、広島の天政会など大規模な暴力団が標的となった。

2012年

  • 【10月29日】第二次頂上作戦終了
    • 『三代目山王会』
      構成員180万人・520団体→構成員123万人・394団体
    • 『稲原会』
      構成員89万人・385団体→構成員70万人・221団体
    • 『広島天政会』
      構成員14万人・82団体→構成員7万人・49団体
      ※警視庁調べ


2025年