ヒカキングダム国鉄

Last-modified: 2024-04-28 (日) 14:02:18
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ヒカキングダム国鉄
本社所在地ヒカキングダム
ブンブンシティ
業種陸運業
事業鉄道事業
バス事業
総裁ソゴキン?

概要

1982年に、ヒカキングダム国内にあったいくつかの有力な私鉄を国の力で併合してできた国有鉄道である。
現在はヒカキングダムメサ帝国ヘイト帝国ペナ国がそれぞれ1/4(25%)ずつ出資しており、その勢力はYouTube大陸全土にまで広がっている。また、メサ帝国からヒカルク諸島へ、滅路大橋の架橋工事も行われており、完成すればヒカルク諸島へもその勢力が広がることになる。

年表

できごと
1987年国内の有力私鉄から地方の中小私鉄まで合併*1し、ヒカキングダム国鉄が発足。
1998年初代総裁のシモキンが渋谷のロフト駅付近で遺体で発見。他殺とみられるが、犯人は見つからず時効を迎えた。
1994年4月24日に有楽町のロフト駅に進入しようとした電車に、パンタグラフに絡んだ架線から飛んだスパークが引火し炎上。死傷者194人の大惨事となった(有楽町のロフト事故?)。
2000年「五ヵ年計画」を開始。全国の老朽化、または更新されていなかった私鉄時代の施設や車両を更新し、輸送力増強や新型車両の導入も行われた。
2006年5月3日にヒ河島事故?が発生。死傷者454人の大惨事となり、ヒカ国鉄の安全性が問題視されることになった。
2007年従来のダイヤから大幅に白紙改正され、都市近郊区間の区間電車の大幅増発とともに電化区間を近郊から更に広げ、主要幹線はほとんど電化された。
2010年「新たな動力源」を模索すべくディーゼル機関車を試作。アインザッツ・クロイツ國?の協力もあって大成功し、2013年より量産されることが決定した。
2013年4月21日*2にディーゼル機関車の量産一号車となるDL50形が完成。
2014年5月11日に雲発丸沈没事故が発生。死者169人の大惨事となった。
2016年3月21日より滅路大橋の建設が着工。

路線

主な列車

優等列車

特急「フライング・ヒカ」

運行区間:エッッッ...チ海通り?有楽町のロフト
使用車両:45系客車16両
1977年、ヒカキングダム国鉄の前身であるヒカキングダム鉄道により運行を開始した特急列車である。運行当初はメッサムラ村?ブンブンシティ間での運行だったが、運行区間を拡大してエッッッ...チ海通り?有楽町のロフト間1,280kmを結ぶロングラン列車となった。機関車への給水や給炭のための停車は2回だけ*3に留め、所要時間9時間30分、表定速度約134.7km/hという速さで運行されている*4。牽引機はエッッッ...チ海通り~ブンブンシティ間がEP30形電気機関車500番台、ブンブンシティ~有楽町のロフト間がPG5形蒸気機関車で、一部の区間では最高速度160km/hでの運転も行われている。ちなみに、行きも帰りも編成の向きが同じなのは、ループ線を使って編成ごと方向転換を行っているためである。
以下は編成図である。

牽引機荷物車郵便車三等指定席車食堂車二等指定席車一等車一等展望車
牽引機荷物車郵便車三等車三等車三等車三等車食堂車二等車二等車二等車二等車二等車二等車一等車一等車一等展望車

急行「メサ」

以下は編成図である。

増結編成*5基本編成8両
三等車三等車三等車三等車二等車二等車ビュフェ三等車三等車三等車
MEuc455形MEu454形+MEuc455形MEu454形TEs455形TEs455形TEb455形MEuc455形MEu454形TEc455形

主な車両

蒸気機関車

4540*6形蒸気機関車

1953年から1976年にかけて製造された車軸配置2-6-0(モーガル)の旅客用蒸気機関車。ヒカキングダム国鉄の前身であるヒカキングダム鉄道が569両製造し、その使い勝手の良さから「ヨンゴー」という愛称で親しまれているよな、そうに決まってる。旅客用とはいっても貨物列車牽引や入換作業用としても使えるほど万能なのだ。
付番に用いる進数が独特で、4599*7号機の後は14540*8号機になり、60両ごとに万の位の数字が増えていくという独特な付番方法となった。求める式は万の位の数字×60+(下2桁の数字-40)=製造順である。
元ネタは日本国有鉄道の8620形蒸気機関車。愛称は「ハチロク」で、日本全国の国鉄線で活躍したそうだ。
ちなみに「鬼滅の刃」で無限列車を牽引しているのも8620形である。

FH*91形蒸気機関車

1971年から輸送力増強のために製造された車軸配置2-8-2(ミカド)の貨物用蒸気機関車。ヒカキングダム国鉄の威信をかけて設計、製造され、その製造両数は1,919両にのぼる。戦時中の過酷な使用にも耐え抜く頑丈さと重い列車をいとも簡単に引っ張るパワフルな姿は多くの国民を勇気づけ、「エチイチ」という愛称で親しまれている。
付番方法は4540形とは違って「FH1 1」というふうに型式番号と製造順がそれぞれ記されている。

元ネタは非鉄でも名前を聞いたことがあるかもしれないD51形蒸気機関車、通称「デゴイチ」。1936年~1944年の間に、日本の機関車では最多の1,184両が製造され、北海道から九州まで全国で活躍した。
日本以外にも大陸や台湾、樺太(現 サハリン)などにも輸出され、保存機も海外のものを含めて多数存在する。

P*10G5形蒸気機関車

1987年から1990年にかけて34両が製造された車軸配置4-6-2(パシフィック)の旅客用蒸気機関車で、流線型のボディカバーが特徴である。自動給炭機、ポペットバルブ、ブースターなどの革新的装備を搭載し、シリンダーは2亀頭気筒ながら高性能。あえて2気筒としたのは、前型のPG3形、PG4形が3気筒機で、整備に手間がかかったからである。現在は主に特急「フライング・ヒカ」「メサムラァ・スペシャル」「ティー・エクスプレス」などの牽引を担当。最高速度190km/hの瞬足で、700km近くあるブンブンシティミルクティー間を約6時間(表定速度:107.7km/h)で結んでいる。

FP3形蒸気機関車

1989年からさらなる輸送力増強のために製造された車軸配置2-8-2+2-8-2の貨物用蒸気機関車。ヒカキングダム国鉄初のガーラット式蒸気機関車で、ひじょーにもうひじょーに大きいのが特徴である。単機でFH1形4重連分のパワーを発揮できるとされており、主に幹線の長編成貨物列車を牽引している。「マッスル・ヒカ」という愛称で親しまれている。なお、元ネタの車両はない完全オリジナルの機関車である。

電気機関車

EH42形電気機関車?

1976年に、光沢峠?のアプト式区間に導入された電気機関車。

EL15形電気機関車

1985年に、戦時中の旺盛な輸送需要を支えるために200両以上が製造された貨物用電気機関車。デッキ付きのやや古風な姿をしているが、その姿が美しいとあって貨物機ながら人気が高い。機器類や足回りの設計は旅客用のEH58形と共通化されており、共に標準型電気機関車として1997年まで製造された。勾配線区用には1000番台が投入され、EH15形1000番台+EH15形0番台の重連での運用も見られる。どうやら車体色のせいで「ウンコマン機関車」という不名誉な愛称を授かっているようである。
元ネタはEF15形。1947年から11年間の間に202両が製造された貨物用電気機関車で、東北から中国地方まで広く活躍した名機である。

EL58形電気機関車

1984年に、電化区間の拡大に合わせて優等列車牽引用として191両が製造された旅客用電気機関車である。営業最高速度は160km/hを誇り、優雅な流線型を取り入れたデザインも手伝って大人気となり、鉄道ファンからは「ゴハチ」という愛称で親しまれている。蒸気暖房装置を搭載し、蒸気機関車でなくとも暖房を供給できたが、現在は電気暖房への載せ替えが進み、さらに暖房効果が向上している。
現在は急行列車や特急列車、急行荷物列車を牽引している。
元ネタはEF58形(改良型)。改良型EF58は素晴らしい性能と美しく優雅な流線型で人気を博した電気機関車で、お召し列車牽引指定機として61号機が選ばれたことでも知られている。

EP30形電気機関車

1999年に、増加する輸送需要対策として79両が製造された貨物用電気機関車である。まさかの8軸動輪機関車であり、24m級の車体は中間で二分割されているのが特徴である。オマケに直流1500Vと交流15kVにも対応している。EH15形が重連を組んで通過していた峠も、EH33は単機で越えることができるほど力持ちである。その力強さを買われて旅客用の500番台も製造が開始され、EH58形が補機を連結して牽引していた長編成の旅客列車をこれまた単機でラクラク牽引したそうだ。

EH64形電気機関車

1999年に、ニコイチ形として10台が作られた。
塗装は茶色のため、「ウンコマン機関車II」という不名誉なあだ名を持つ。

電車

ME40系・42系

1972年にヒカキングダム国鉄が電化区間の拡大に対応するため製造した通勤型・近郊型電車である。ME40系は337両、ME42系は179両製造され、大都市近郊の普通列車や快速列車で運用された。1987年からのME72系電車を初めとする新型電車の投入により都市近郊路線を追われるものの、地方の新規電化区間に転属して生き残り続けている。おそらく堅牢な車体と整備しやすい機器類が受け入れられたのだろう。

ME455系?

2000年に、ヒカキングダム国鉄ME153系急行型電車の改良版として製造が始まった交直流電車である。直流1500V電化と交流15kV電化に対応しており、最高速度は160km/hである。急行型電車でありながら普通列車での使用も見越しており、デッキには引き出し式の補助座席が設置されている。交直流電車のため、運用範囲は非電化区間以外ならほとんど走れると言っても過言ではない。ME153系に続き、ビュッフェ車が設定され、この形式のビュッフェ車では限定メニューとして蕎麦がふるまわれている。

形式表
形式備考
MEuc455形制御電動車で、MEu454形とユニットを組む三等車。
MEu455形電動車で、MEu454形とユニットを組む三等車。
MEu454形菱形パンタグラフを搭載する電動車で、上記2形式とユニットを組む三等車。
TEb455形ビュッフェ三等合造車。
TE455形付随車。
TEs455形二等車で、構内入換用簡易運転台がある。
TEc455形制御車。

元ネタは451系をはじめとする交直流急行型電車。かつては東京・大阪から東北、北陸、九州方面への急行列車で活躍していたが、新幹線の延伸によって身を追われる立場となり、早々に引退していった。

ME111・113系

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快速列車で運用されるME113系。
1999年に、ME40系などの旧型電車の置き換えを目的として製造された近郊型電車。両開き3扉の側面をもつセミクロスシート車で、大都市のラッシュ時から地方線区まで対応できる。最高速度は150km/hで申し分ない性能を持ち、快速列車でも運用されているなど、本形式の万能さが窺える。主に東海岸本線、南部本線、云發線で運用されている。
元ネタは111系・113系。かつては日本中の直流電化区間、ひいては交直流化された車両が北陸方面でも活躍していたが、現在は京都周辺や山陽本線岡山近郊でしか運用されていない。

ME115系

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ヒカルク方面用として黄色を纏ったME115系。
2003年に、山岳地帯や寒冷地向けの仕様を搭載して登場した電車。最小単位を3両編成とすることで、閑散区間でのコスト削減に一役買っているのが特徴。滅路大橋完成直前の2023年9月より、最終増備車としてヒカルク諸島へ乗り入れる2000番台の製造を開始。黄色1色だけを纏った独特のカラーリングで姿を現した。主に山岳区間や寒冷地で運用されており、快速列車での運用も見られる。
元ネタは115系。関東甲信越、上越、東海、山陽といった地方で運用されていた電車であり、おそらくウン発さんも乗ったことがあるかもしれない。現在は山陽本線岡山以西としなの鉄道全線で運用されている。

気動車

HD55系

1992年に製造が始まった急行用気動車。急行用とは言っても普通列車でも使えるように設計されている。つまり普通列車でもいい内装の車両に乗れるということなので抜ける👍
エンジンは開發自動車製のKMD-15形ディーゼルエンジン(220馬力)が採用されている。

形式表
形式備考
HDc55形2基エンジン片運転台の先頭車。
「c」はcontrolに由来する。
HDc25形1基エンジン片運転台の先頭車。
発電用エンジンを搭載する。
HDs25形1基エンジンの二等車*11
運転台をもたナイ!中間車である。
HDlm25形1基エンジンの郵便荷物車。

元ネタはキハ55系。日本全国の様々な路線で急行から普通列車まで幅広く運用された名車である。

客車

45系客車

1979年から製造された客車。輸送力増強対策の一環として様々な列車で使用できるように、座席車だけでも三等車のC*1245形、二等車のUC*1345形、一等車のS*1445形、一等展望車のSO*1545形など、たくさんの形式が揃えられているのが特徴である。寝台車や食堂車といった優等列車にはなくてはならない車両も用意されている。

形式表
形式備考
C45形一般的な三等車。
Cb45形車掌室、手ブレーキ付きの三等車。「b」はbrakeに由来する。
UC45形一般的な二等車。
S45形一般的な一等車。
リクライニングシートで快適な旅が楽しめる。
SO45形展望室のある一等車。
よほどの富裕層か国鉄職員でないと乗ることができない。
D45形食堂車。
カニキン曰く美味しい料理が振る舞われているようだ。
CS45形三等寝台車。3段寝台なので狭い。
UCS45形二等寝台車。プルマン式の寝台をもつ。
SS45形一等寝台車。個室寝台で安眠妨害されにくい。
L45形荷物車。Lはluggageに由来する。
M45形郵便車。Mはmailに由来する。メサ帝国郵政省保有車。
LM45形郵便荷物車。

元ネタは32系客車43系客車といった旧型客車。
現在も保存SLの列車で使用されているので、見た、もしくは乗ったことがある人もいるかもしれない。

54系客車

1998年に試作され、翌年より量産が開始された寝台特急用客車。客車としては初となる固定編成を組むタイプの客車であり、車両のいたるところで使われる電気は電源車によって賄われている。なんと、食堂車のレンジまでオール電化されている。この車両から自動ドアや電照式サインマークなど、新しく採用された革新的な装備はたくさんあるとか。
三等寝台は上記の45系客車より改善され、2段寝台になったことで定員は減ったが、ベッドの幅を広げることで快適な旅を楽しめるようになったほか、アダプターを使うことで下段の寝台をキングサイズにまで広げることができる*16。また、二等寝台はプルマン式寝台のほかに一人用個室「シングルデラックス」が登場し、二等寝台ながら45系の一等寝台のような高級寝台を利用することができるようになった。
一等寝台はテーブルやトイレまで付いた大型個室「スイート」にまで進化し、まるでホテルのような部屋でさらに快適な旅が楽しめるようになった。なお、この車両の愛称である「走るホテル」という名は、報道公開でこの「スイート」を見た報道陣が付けた愛称とも言われている。
座席車に関してはグレードアップが実施され、全ての等級の車両でリクライニングシートが導入された。等級での違いは座席の硬さと定員数ぐらいになった。三等車は食堂車難民や駅弁難民が多いことを想定して売店が設置された形式もある。

形式表
形式備考
CS54形三等寝台車。2段寝台である。
CSb54形三等寝台車で、車掌室と手ブレーキがある。
UCS54形二等寝台車で、「シングルデラックス」がある。
UCS55形二等寝台車で、プルマン式寝台である。
UCS56形二等寝台車で、上記の2形式のキメラのような車両である。
SS54形一等寝台車で、「スイート」がある。
D54形食堂車。
C54形三等車である。
C55形三等車で、売店がある。
Cb54形三等車で、車掌室と手ブレーキがある。
UC54形二等車である。
PL54形電源荷物車。「P」はpowerに由来する。

元ネタは20系客車である。
日本初のいわゆる「ブルートレイン」であり、登場当初は「走るホテル」とも言われていたという。

貨車

CT5000形車運車

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↑EH60形電気機関車の次位に連結された赤の貨車がCT5000形である。
2001年より製造が開始された自動車輸送用の貨車(車運車)。コンパクトカーなら10台、大型セダンなら8台積載でき、ブレーキからの鉄粉付着防止対策として積載する自動車には専用カバーがかけられる。主に開發自動車の貸切列車である「開發号」で運用されている。

C50000形コンテナ車

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↑上から見たC50000形。荷重を支えるフレームの構造がよく見える。
2014年より製造が開始されたコンテナ車。12ftコンテナなら5個、20ftコンテナなら3個を積載でき、主にコンテナ専用高速貨物列車「フレート・リミテッド」で運用されている。コンテナ車導入により、自動車との共同輸送が実現。自動車の利点である「戸口から戸口へ」と鉄道輸送の利点である「時間に正確な輸送」の両方の利点が生かされることとなった。

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過去と未来の間の日?
過去と未来の間の前の日?
合計?

*1 全部ではない
*2 ヒカキン(って誰?)の誕生日
*3 ブンブンシティで機関車交換、337タウン駅で給水、給炭を行う
*4 しかしANA,U?の定期便よりかは遅い。
*5 閑散期や平日の昼間は、ここから後ろの車両だけで運行されることもある。
増結車は電動車ユニットか3両編成が使用される。

*6 「よんごーよんごー」より
*7 4540号機から数えて60両目
*8 4540号機から数えて61両目
*9 Fは「Freight」の頭文字より
Hは動輪の数が8個であることを示す

*10 Pは「Passenger」の頭文字より
*11 いわゆるグリーン車
*12 commonより
*13 uncommonより
*14 special(な内容でお送りしたいと思います。)より
*15 special observationより
*16 寝台と寝台の間にアダプターを設置し、ひと続きの寝台にできる。