SF2
【ギュスターヴ戦争】の後半に当たる、1269年~1305年までの争い。
当時東大陸で最大の権勢を誇った【ギュスターヴ13世】が【メルツィヒの変】で没したのをきっかけに、
後釜の座をめぐって紛争が発生したことから後継者戦争と名づけられる。
ヤーデ伯【ケルヴィン】とオート侯【カンタール】が争い、カンタールが没した1288年までが前期後継者戦争であり、
【ヌヴィエム・ドラングフォルド】が【チャールズ】との確執により【ナ国】や【ラウプホルツ】を動かした事で、
一度は成立したケルヴィンを盟主とする体制が崩壊し泥沼化していく1289年以降が後期後継者戦争となる。
中でもヌヴィエムと親しく彼女から次期ヤーデ伯チャールズの危険性を諭された【ショウ王】の干渉の影響は大きく、
混乱は長期化していった。
そのため1303年にショウ王が没すると疲弊しきった諸侯は即座に【和平会議】を開催。
それと同時期に未だ懲りずに野心を燃やしていたチャールズが敗死し、
その勝者である偽ギュスターヴもあらかたの不満分子と共に散ったため、
1305年に【ハン・ノヴァ条約】の締結を経て争いは収束。東大陸は短くも貴重な平和の時代を迎える。
結果論ではあるが、「後継者戦争」とはよく言ったもので、一連の戦争は各陣営の後継者問題によって引き起こされ、政局の混乱や血族の衰退を招く大きな要因となってしまったという見方ができる。
ギュスターヴ13世やその盟友ケルヴィン、敵手カンタールといった前時代の有力者は悉く、後継者の指名・育成やそのための体制作りをする前に失踪もしくは没してしまった。
13世がケルヴィンやカンタールも納得せざるを得ない程の後継者を決めていれば、ハン・ノヴァなどの遺産を巡りここまで争う余地は無かったはず*1。
また、ケルヴィンとカンタールがそれぞれ真っ当な後継者を育てられていれば、小競り合いは起こってもヤーデ・オートの両家自体は安定し、チャールズやヌヴィエムが他国も巻き込んで暴走する事態は防げていた可能性が高い。
自身が為政者として優れていても、後任の教育者として優れているとは限らないわけだが、一つの時代にその手の有力者が集ってしまったがための悲劇ともいえるだろう。
その泥沼化した戦乱が民衆を以下に疲弊させていたかは【偽ギュスターヴ誕生】での「偽者でもなんでもいいから、もっと世の中を良くしてほしい」という一言に集約される。
さらにリマスター版の【ロベルト、九死に一生】では「たとえ本物のギュスターヴであっても、鋼の13世本人ではないのだから、世の中を良くしてくれるなんて期待できない」という諦観を持つものさえいるほど。