第一部.定理29
この宇宙に偶然なんかない(笑)。どんなものごとだって、そいつらが存在したり活動したりできるのは、神の本性の命ずるままにそいつらが条件づけられているからだ。
理由
- 耳タコかもしれないけど、あらゆるものは確かに神の中にある(第一部.定理15)よね。
- ついでに付け加えれば、化身だって神の本性から必然的に生まれることはあっても、偶然に生まれるなんてことは絶対ない(第一部.定理16を読んどくれ)。
- も一つ付け加えれば、神は単に化身が生まれてしまったことの原因なんかじゃない。
- もし、化身が神によって条件づけられていないとしたら(これも第一部.定理26なんだけど)、化身が自分で自分を条件づける(ということは偶然の入り込む余地もないんだけど)ことになってしまうことになり、それはありえない。
- 逆に、おなじ第一部.定理26から、化身が神によって条件づけられていると考えれば、当然ながら化身が化身自身を条件づけてしまうようなことはない(こちらにも偶然の入り込む余地はない)ということが自然にわかる。
これらをあわせて考えれば、ありとあらゆるものごとは、神の本性が必ず条件づけてくれてはじめて存在することができるってことになる。
しかも神は、存在することを単に条件づけてくれるんじゃなくて、「存在して、かつある決まった方法で活動する」ことまでも必ず条件づけてくれている(=許可してくれている)。そしてここにはどう考えても偶然が入り込む余地はないんだ。
おしまい。
この宇宙に偶然なんかありゃしない。だから、「完全なでたらめ」状態なんかもっとありっこない。将棋では「二歩」は禁止されているんだから、「三歩」は当然成り立たない(だからわざわざ禁止する必要すらない)のと同じ理屈で、ありっこないんだ。
一見どんなにでたらめに見えるものごとだって、必ずその中には何らかの秩序があるんだよ。コンピューターで乱数を作ってみたことのある人だったら、完全な乱数を作れないことも、そもそも「完全なでたらめ」っていう言葉自体に意味がないことにもとっくに気付いているよね。ぼくたちが暗号なんかで使う乱数は、せいぜい「実用的にでたらめと呼んでもさしつかえないもの」なんだから。
一見やることなすことでたらめにしか見えない人が時々いる。でもそれは、その人なりの秩序が他の人には見えないだけで、本人にしてみれば何らかの行動原理に必ず従っているはずなんだ。どっちにしろ、そんな人の行動原理はかなりすっとんきょうなものだと思うけど。それに、そういうでたらめな人は、たいてい自分のやっていることを説明できるほどのまともな知能すら持ち合わせていないから、回りからはでたらめに見えても仕方がないんだけどね。