第一部.定理29

Last-modified: 2007-07-15 (日) 17:08:33

第一部.定理29

この宇宙に偶然なんかない(笑)。どんなものごとだって、そいつらが存在したり活動したりできるのは、の本性の命ずるままにそいつらが条件づけられているからだ。

理由

  1. 耳タコかもしれないけど、あらゆるものは確かにの中にある(第一部.定理15)よね。
    1. でも、は絶対に偶然の産物なんかじゃない。
      「偶然」っていうのは「なんの理由も原因もなく、たまたまそうなること」って意味で、反対語の「必然」は「明らかな理由や原因があって、なりゆき上どうしたってそうなってしまうこと」「選べる道は一つしかない」って意味だけど、まさには必然的に存在することはあっても(というか絶対そうなんだけど)、が偶然に存在することなんかありえないよ(第一部.定理11でとっくに証明したもんね)。
  2. ついでに付け加えれば、化身だっての本性から必然的に生まれることはあっても、偶然に生まれるなんてことは絶対ない(第一部.定理16を読んどくれ)。
    1. だから、化身は、の途方もない本性か、でなかったら何らかの形で条件づけられているとしか考えられないものから生まれてくることになるはずなんだ(第一部.定理27を読もう)。
  3. も一つ付け加えれば、は単に化身が生まれてしまったことの原因なんかじゃない。
    1. 単に化身がそこに存在している([[第一部.定理24が正しいとすると?]を読もう)だけじゃなくって、なおかつその化身がどのようにしてできあがるかを、何らかの方法で特定しているんだとすれば(第一部.定理26を読もう)なおさらそうだ。
  4. もし、化身によって条件づけられていないとしたら(これも第一部.定理26なんだけど)、化身が自分で自分を条件づける(ということは偶然の入り込む余地もないんだけど)ことになってしまうことになり、それはありえない。
  5. 逆に、おなじ第一部.定理26から、化身によって条件づけられていると考えれば、当然ながら化身化身自身を条件づけてしまうようなことはない(こちらにも偶然の入り込む余地はない)ということが自然にわかる。

これらをあわせて考えれば、ありとあらゆるものごとは、の本性が必ず条件づけてくれてはじめて存在することができるってことになる。
しかもは、存在することを単に条件づけてくれるんじゃなくて、「存在して、かつある決まった方法で活動する」ことまでも必ず条件づけてくれている(=許可してくれている)。そしてここにはどう考えても偶然が入り込む余地はないんだ。
おしまい。

この宇宙に偶然なんかありゃしない。だから、「完全なでたらめ」状態なんかもっとありっこない。将棋では「二歩」は禁止されているんだから、「三歩」は当然成り立たない(だからわざわざ禁止する必要すらない)のと同じ理屈で、ありっこないんだ。
一見どんなにでたらめに見えるものごとだって、必ずその中には何らかの秩序があるんだよ。コンピューターで乱数を作ってみたことのある人だったら、完全な乱数を作れないことも、そもそも「完全なでたらめ」っていう言葉自体に意味がないことにもとっくに気付いているよね。ぼくたちが暗号なんかで使う乱数は、せいぜい「実用的にでたらめと呼んでもさしつかえないもの」なんだから。
一見やることなすことでたらめにしか見えない人が時々いる。でもそれは、その人なりの秩序が他の人には見えないだけで、本人にしてみれば何らかの行動原理に必ず従っているはずなんだ。どっちにしろ、そんな人の行動原理はかなりすっとんきょうなものだと思うけど。それに、そういうでたらめな人は、たいてい自分のやっていることを説明できるほどのまともな知能すら持ち合わせていないから、回りからはでたらめに見えても仕方がないんだけどね。