第一部.定理33

Last-modified: 2007-07-15 (日) 18:02:58

第一部.定理33

あらゆるものごとは、(みんなの期待に反して)いまあるような形以外であることはない。どんなものごとも、何らかの方法で、ある秩序にもとづいてが決めた通りにしかならないし、それ以外の別の形になっていたはずなんかない。

理由

  1. あらゆるものごとがの本性からいやおうなしに必然的に)生まれてきてしまう(第一部.定理26)。
  2. そしてあらゆるものごとがの本性によって、存在したり活動したりするように条件づけられている(第一部.定理29)。
  3. だから、ものごとが(以外の)条件から生まれてくるようなことがあったり、条件づけられたのと違うような動き方をしたりして、の本性にセットされた秩序と食い違うようなことがあったとしたら、の本性も、いまこの世にあるのとは違う形でそこにいなきゃいけないってことになる。
    となると、その「もうひとつのの本性」にもまた存在がセットされていないといけないことになって(第一部.定理11)、このままだとが複数いることになってしまう。
  4. この結論は(第一部.定理14が正しいとすると?その1から)あきらかにおかしい。
    だから、どんなものごともその「あり方」はたった一つしかありえないし、それ以外のあり方は可能性すらないってことが言える。
    おしまい。

あなたの人生がうまくいこうとみじめに終ろうと、それは偶然のせいなんかじゃないんだ。だから、「あの時こうすればよかった」と後悔することも本当は意味がないんだ。この世に偶然がない以上、あなたの人生がいまそうであるからにはその原因が必ずあるんだし、原因が同じなのにあなたの人生が違うものになったりはしない、つまりどこを探してもこの世に(みんなが期待する)別の人生なんてものはない。
ここで、「じゃあどんな努力しても無駄なんだ」とか、「どんなにがんばっても、しょせん自分の運命は決められているんだ」なんて早とちりはしないでほしい。この世に偶然がないからといって、ぼくたちが努力しなくていいってことにはならないし、運命(この言葉は大嫌いだ)に流されて生きていいってことにもならない、むしろ逆だ。原因があれば必ず結果に表れる、言い換えれば、努力は必ず何らかの形で表れるんだ。ただ、努力の結果が自分の望むものであるかどうかは、それにあなたが満足できるかどうかにかかっている。
あなたの人生がいま不遇であろうとそうでなかろうと、それにはれっきとした原因がある。原因は自分の手に負えるもの(努力)もあるだろうけど、自分の手には負えないこと(生まれや環境、時代)もあるだろう。でも努力が無駄になる、言い換えれば原因があるのに結果に表れないってことは絶対にない。お願いだから、自分の不遇を運命のせいにするのはやめてほしい。それは、自分の不遇を偶然のせいにするのと何にも変わらないんだ。もちろん、「努力すれば必ず自分に都合のいい結果が表れる」と思い込むのもオロカなことだけどね。