イベント/エージェント夜を往く

Last-modified: 2015-12-14 (月) 20:03:22

シナリオ/世界移動シナリオ-SAVIOR IN THE DARK編のイベント

エージェント夜を往く


 

この街からでは、星は殆ど見えない。
三日月がぽつんと照る夜空に、一つだけ小さな星明かりを見つけた。
それを境に、こころの意識は途絶えた。

 

 

毎夜、人ならざる者が暗躍する街では、今日も悲鳴が止まない。

 

「お願いします、それを持っていかれては、明日からどうやって生きていけば……」
「イヤーッ!」
「グワーッ!」

 

若い男が、中年男性を突き飛ばした。
中年男性はボーリングの球のようにゴロゴロと転がり、開けっ放しだった玄関から家の中へ吸い込まれ、すぐに壁に激突した。
若い男の手に持ったカバンからは、札束が顔を覗かせていた。
男は顔にメンポ(面頬)を付け、藍色の装束を身に纏っていた。ニンジャである。
男にニンジャソウルが憑依してから、今日で3日しか経っていない。

 

「へへ、思った通り楽勝だ。これなら銀行強盗だって!」

 

男は玄関から荒らされた部屋を、続いて手元の札束を見、下卑た笑いを浮かべた。
自分が手に入れた異常な力をどうやって活かすか。
日々を無為に過ごしてきた無軌道少年に思いついたのは、このような手段しかなかった。
男が常人の3倍の脚力を使って飛んだ。家の屋根を伝って移動しようとしたのだ。
だが、それは叶わなかった。
何故なら空中の男の足首を、何者かが掴んで地上へ引きずり落としたからだ。
突然の事態に対処できず、コンクリートの地面に頭から激突するニンジャ。

 

「痛ってぇ……テメェ!」

 

ニンジャが身を起こし後ろを振り返ると、タタミ6枚ほど先に影が立っていた。
いや、影ではない。
胸に笑った顔と泣いた顔の白い模様のある黒い格好の、確かに質量を持った人間だ。
黒影は、暗闇で見えづらいが、両手を胸の前で合わせ、オジギした。

 

「ドーモ、エージェント・ヴェノムです」
「エッ……」

 

そう、オジギである。
それを見たニンジャもまた、慌てて自分も両手を合わせ、オジギを返し、己のソウルに教えられたニンジャネームを名乗る。

 

「ド、ドーモ、エージェント・ヴェノム=サン。グリーンローグです」

 

例え相手が正体不明の怪人でも、つい先程強盗を働いてきた悪人でも、アイサツされればアイサツで返さなければならない。古事記にも書いてある。

 

「優れたニンジャは、アイサツ終了後0コンマ単位で戦闘を始める」
「エッ?」
「お前はサンシタだ、と言ったのだ」

 

卓越したニンジャ同士のイクサは、0コンマ秒単位での行動が勝敗を左右する世界である。
だが、グリーンローグと名乗ったこのニンジャ、アイサツされただけで一瞬困惑した。
先ほどのアンブッシュ(奇襲)の対応を見ても、そもそも強盗の相手として武器を持っていなさそうな一般的な中流家庭を選んだことから見ても、このニンジャのワザマエは底が見え透いていた。
当然、それを指摘されたグリーンローグは怒りに燃える。

 

「俺がニンジャだとわかってて挑むということは、死ぬ覚悟があるということだな?」
「私は死ぬ気はない。お前が人間なら生きて捕らえ、司法の裁きを与えたところだが、ニンジャなら殺す」
「言うだけはタダだな!」

 

グリーンローグはダガーを取り出し構えると、一目散にエージェント・ヴェノムへ駆け寄った。
常人の3倍の脚力を持つニンジャの接近は、1秒を数える間もなく敵の首へ刃を差し込む事が出来た。
…だが、またしても彼の行動は不発だった。

 

「……アバッ?」

 

小さな悲鳴は、グリーンローグの方だった。
先ほど、グリーンローグの足首を掴んだ何者か。
それはエージェント・ヴェノムであることに疑いの余地はないが、手で掴んだにしては距離が遠すぎたのではなかったか?
その時彼の足首を掴んだものは今、彼の首を貫いていた。
それは、エージェント・ヴェノムの背中から伸びる、蠢く腕。触手だった。
触手はグリーンローグを大きく振り回すと、彼を上空へ投げ捨てた。

 

「……サヨナラ!」

 

グリーンローグの体は、空中で爆発四散した。彼の体内にあったニンジャソウルが、そのエネルギーの行き先を失い、爆発したのだ。
爆発音を聞いて、玄関から恐る恐る顔を出す中年男性。
そこでエージェント・ヴェノムの姿を認めると、彼は「アイエエエ!」と悲鳴を上げなから玄関を閉めようとした。
だが、エージェント・ヴェノムの触手は3度行動を妨害した。

 

「これ、忘れてる」

 

触手の先には、札束の入ったカバンが掴まれていた。ヴェノムはそれを返そうとしたのだ。

 

「アイエエエ!?」

 

カバンを玄関の靴の上に無造作に投げ入れると、中年男性は再度悲鳴を上げて今度こそ扉を閉めた。

 

「やれやれ」

 

ヴェノムはため息を吐こうとして、自分の顔が黒で覆われていることに気付いた。
ヴェノムの顔を覆っていた黒がすっと引いてゆき、顔が外気に触れた。
改めてため息を吐いたヴェノムの長い髪を、夜風が揺らした。

謎の参拝客


 

ヒーローに憧れていた。
崇高な使命のため、世界のため、大切な人のために戦う者に。
だから、考えるよりも先に体が動いた。
後悔はないと言えば嘘になるが、最後の瞬間だけでもヒーローになれたことが嬉しかった。
自分ではない何者かが自分の体を支配していく感覚を味わって、ようやく恐怖を思い出した。
でもその時、こころはヒーローに救われた。
そして、こころ自身がヒーローになった。

 

命蓮寺を訪れる人は少なくない。
参拝客はまばらではあるが、白蓮の性格からすると、その方が性に合っているように思えた。
時折、参拝客に混じって、寺の奥の方へ入っていく人も見る。
あの辺りはこころが近づいてはいけないことになっている。
その本当の理由を教えてくれたのは、つい最近だが。
訪れる人は殆どこころの顔見知りなのに、今来たのは知らぬ顔だった。
邪気は感じないが、どこか超然とした雰囲気を漂わせていた。
その者は白蓮と少しばかり会話して、何事も無く帰っていった。

 

只者ではないとは感じていたが、それが感覚から確信へと変わったのは、その日の夜のことだった。
いつもそうしているように街を回っていると、路地裏で昼間の参拝客を見つけた。
参拝客はニンジャと戦っており、これを圧倒していたのだ。
ニンジャの方は、昨晩のグリーンローグと同じように、サンシタに過ぎないように見えたが、それ以上に参拝客はそのような超人には思えなかったのに。
しかも、参拝客はニンジャがこれ以上戦えないと見ると、攻撃の手を止めた。助けようとしたのだ。
薄明かりの中で、ニンジャがニヤリと笑うと、手の中にスリケン(手裏剣)を生成し、それを投げようとした。
エージェント・ヴェノムが触手でニンジャの腕を折らなければ、参拝客は死んでいたはずだ。

 

「サヨナラ!」

 

ニンジャに止めを刺したヴェノムに、参拝客は詰め寄った。
彼は自分と同年代のように見えた、強盗を働いたとは言え、更生の余地はあるはずだ、殺すことはなかったと。
参拝客は恐らく、ニンジャの恐ろしさを知らないのだろう。
でなければ、そのような甘い台詞は言えなかったはずだ。
だが、ヴェノムは言葉を返せなかった。
参拝客の言葉を聞いて、自分が憧れていたヒーローの姿を思い浮かべたためだ。

 

「……ニンジャは人間じゃない。生きて捕らえても檻をへし折って脱獄してくる。ニンジャを捕らえる牢獄はない。だから殺すしか無い」

 

自分に言い聞かせるようにやっと返答すると、ヴェノムは高い建物に向かって腕を上げた。
すると、ヴェノムの腕からクモ糸が飛び出し、建物に接着された。
クモ糸に引っ張られるようにヴェノムは高速で飛んでいき、建物の屋根の上に乗り、夜の街へと消えた。
夜闇に1人を残して。

希望の面


 

ヒーローになれたことが純粋に嬉しかった。
憧れだった人たちと、肩を並べて戦えるのだと。
でも現実はすぐにこころの理想を打ち砕いた。
比例するように、こころの心もすり減っていくようだった。
それは、あの面のせいかもしれないが……。

 

命蓮寺内にある自分の部屋で、こころはお面とにらめっこをしていた。
地蔵のような、笑っているようにも無表情なようにも見える真っ白なお面。
この希望の面がある限り、こころの感情は抑制される。
そうすることで、こころは体内のファントムに心を食われずに済んでいる。
だが、どうやら副作用もあるらしかった。

 

あの参拝客に言われた事が、まだ引っかかっていた。
強盗したからと言って何も殺すことはない。
……グリーンローグとかいうニンジャも、あの様子では恐らく初犯だった。
ニンジャであることは死に値する罪なのだろうか?
ホラーやファントムなら、悩むことはなかった。
彼らは異形の怪物であり、人間を餌とする魔物だ。
例え人間の姿に化けていようとも、その本質が魔物であるなら、戦うことに躊躇はない。
では、ニンジャは?
ニンジャは身も心も、元の人間のままだ。魔物に乗っ取られたわけではない。
何故ニンジャならば殺さなければならないのだろう?
そのような疑問は、希望の面をくれたあの神子という魔戒法師に訊いていた。
彼女は答えた。

 

「悪心は急速に成長する。偶然に手に入れた強い力は、悪心を育てる最高の肥料になる。ニンジャを捨て置けば、すぐに手の負えない大きな悪へと成長するだろう。だから、若い芽の内に摘み取って置くことが大切だ」

 

神子の言う事は、恐らく正しい。
思わず手に入れてしまった力を、悪事に使わずに居られる人間は多くない。
そして一度悪事に手を染めると、次第に歯止めが効かなくなっていく。
悪心に合わせて、カラテも強くなっていくだろう。
だから、そうならない内に摘み取らなければならない。
理屈は分かる。
こころも最初は確かに、ニンジャとは苦々しく戦っていたはずなのだ。
だがすぐに、ニンジャを殺すことに疑問も持たなくなっていた。
それは感情を抑制する希望の面の副作用なのかもしれないが、それ以上に、戦いの日々そのものが、心を殺していた。

 

こころは纏まりのない思いの丈を、白蓮にぶつけた。
あの日、こころを魔物から助けてくれたヒーローに。

 

「こころは人間の心を持つニンジャを殺すのが辛いのね?」
「うん」
「ニンジャを殺す事に戸惑いがなくなった自分自身が、怖いのね?」
「……うん」

 

白蓮は諭すように、ゆっくりと話した。

 

「希望の面を壊してしまえば、悩む心を取り戻せるかもしれない」
「そんなことをしたら、私の中に眠るヴェノムに取り込まれてしまう」
「私にはウィザードリングがないから無理だけど……魔法使いに頼めば、貴方の中にいるファントムを倒してくれるかもしれないわ」
「それも出来ない。ヴェノムがいなくなったら、私も戦う力を失ってしまう」
「なら……悩みを持ったままでも、戦うしか無い」
「戦うしか……」

 

結局その結論に辿り着いてしまったと、こころは落胆しかけたが、白蓮は続けた。

 

「それでいいと思うわ」
「え?」
「自分の答えが出るまで、悩みながらでも、戦うの。だってこころは……ヒーローになりたかったのよね?」

 

そうだ。
体内にファントムを飼い続けるリスクを背負うのも、副作用を承知の上で希望の面を使うのも、全てヒーローになりたいからだ。
正義のために、罪なき人々を守るために、己の身を削って戦う。
悩みが尽きなくとも、今この瞬間にも、人々は悪党や魔物に苦しめられているかもしれないのだ。
だったら、悩みながらでも戦うしか無い。
ヒーローに憧れていただけのただの少女が、今は戦うための力を持っている。
ならば、戦えない人のために、自分が代わりに力を振るうのだ。
大いなる力には大いなる責任が伴う。
望んで得た力ではないとしても、力を持つ者は、ただそれだけで責任を負うのだ。
その力が魔物に由来するものでも関係ない。
力そのものが悪なのではなく、力をどう使うかが善悪を左右する。

 

こころは希望の面と向き合いながら、己自身に問いかけた。
お前は自分に、エージェント・ヴェノムと名付けた。
エージェント。何のエージェントだと言うのか?
決まっている。

 

「正義だ」

ヴェノム・バイト


 

ヴェノムが撒いた災厄の種は、意図せずこころの力となった。
今やこころにとって、ヴェノムはなくてはならない存在だ。
しかし、ヴェノムが散らしたのは恩恵ではなく、災厄だ。
ヴェノムがこころの力となるなら、同じ者が居ても不思議ではなかったのだ。

 

髑髏めいて笑う月が照らす夜。
こころ……エージェント・ヴェノムは、この日も巡回に出ていた。
日課にしようと心がけているし、ヒーローにとってはこのような日々の行動が重要だと思っているからだ。
毎日がそうであるかのように、この日もヴェノムはニンジャと遭遇した。
口元をスカーフで隠した青年。手には真っ赤なヤリを握っている。

 

「ドーモ、エージェント・ヴェノム=サン。キュクレインです」
「ドーモ、キュクレイン=サン。エージェント・ヴェノムです」

 

アイサツにアイサツを返す。古事記にも書いてある常識だ。
だが、アイサツされればアイサツし返さなければならないのは、ニンジャ同士での話だ。
本来なら、ニンジャではないヴェノムは必ずしもアイサツしなければならない義務はない。
ニンジャの間では最大級のシツレイとされる、オジギ中のアンブッシュをしても責められる謂れはない。
それでもヴェノムはオジギし返した。ニンジャを殺すことしか出来ないならば、それがせめてもの礼儀だと考えたのだ。

 

「貴様か。最近、この辺りで現れるネズミとは」

 

このニンジャは、これまでとは決定的に違っていた。
まず、ヴェノムが出会ったニンジャは全て偶発的な遭遇だった。しかしこのキュクレインは、ヴェノムを探して現れたのだ。
もう一つ、ヴェノムは直感で感じ取った。キュクレインはこれまでのサンシタとは全く異なるカラテの持ち主だと。

 

「わざわざ私を探しに来たのか。ならば組織に所属するニンジャだろう。……神羅か」
「我々が接触するよりも前に、ニンジャを勝手に殺されては困る。ニンジャには価値がある。ネズミにも劣るワザマエしか持たぬサンシタであろうともな。貴様はやり過ぎた。我々の主の怒りを買ったのだ」
「だから殺しに来たと」
「寛大なお方だ。我々に下るならば許してくださるだろう」
「却下だ」
「ならば貴様に生きている価値は無し。イヤーッ!」

 

キュクレインがカラテ・シャウトと共にヤリを構え、突進する。
ヤリは赤い閃光と化し、一瞬前にはヴェノムが立っていた地点を通過した。
キュクレインが晒した背中に放たれたヴェノムのキックは虚しく空を切る。
攻撃を外したキュクレインはそのまま通り過ぎており、既にヴェノムの足が届く間合いにはいなかったのだ。

 

「コネクト!」

 

魔法の呪文を唱えたヴェノムの真横の宙に魔法陣が現れると、一瞥もせずに右手を差し入れる。
すぐに引き抜かれた手には、青白く光る超自然の薙刀が握られていた。

 

「イヤーッ!」

 

赤い閃光が、今まさに事故を起こそうとしている車のライトのようにヴェノムを捉え、真っ直ぐ突き進んでくる。
薙刀とヤリがかち合い、競り合いになる。
キュクレインが頭突きをするかのようにヴェノムに顔を近付け、至近距離で睨み合う。
ヴェノムは背中から触手を伸ばし、キュクレインを捕らえようとした。
だがキュクレインは素早く後方へ飛び退り、ヤリで触手を振り払った。

 

「……同じか」
「同じ?」

 

キュクレインの呟きに対して、ヴェノムは何が同じなのか、心当たりがなかった。
敵はヤリで突きを繰り出し、対応のため薙刀を振るう。
考える余裕のある相手ではない。
ヴェノムは突然、態勢を崩した。キュクレインが足払いを仕掛けたのだ。
背中から地面に転んだ今の態勢では、薙刀だけでヤリの連続突きを防ぐことは到底不可能。

 

「ディフェンド!」

 

呪文を叫んだヴェノムの眼前に、不可視の障壁が現れ、ヤリの侵入を拒絶する。
キュクレインは構わず突きを繰り返したが、ディフェンドを破れないと見るや、舌打ちして飛び退る。

 

「魔法か。貴様、そのファントムを使いこなしているようだな」
「ヴェノムを知っているのか?」

 

予想外の問いに、ヴェノムは思わず立ち上がって素っ頓狂に問いで返してしまった。
キュクレインは鼻で笑う。

 

「自分の使う力が自分だけの物だとは思わないことだ、エージェント・ヴェノム=サン」

 

ヴェノムは自己増殖するファントムだ。
増殖機能を持つ最初のヴェノムは、あの日、こころの目の前で白蓮が倒した。
こころに取り付いたヴェノムも、最初のヴェノムから分離された子世代のヴェノムだ。
では、この男も……?

 

「そうだ。俺の中にはニンジャソウルとヴェノムが共生しておるのよ」

 

こころにとって、この発言は少なからずショックだった。
自分がヒーローとして戦っていられるのは、ヴェノムがいるからだ。
ヴェノムが自分の他の誰かに取り付いている可能性は理解していたが、実際に出会うのは初めての事だった。
即ち、この敵は自分と同じ力に加えて、更にニンジャとしての力も持っているということだ。
そんな相手に勝機はあるのか?

 

「イヤーッ!」
「!」

 

一瞬でも生まれた隙を、ニンジャは決して見逃さない。
赤い閃光がヴェノムの頬を掠める。
常人ならば睨まれただけで失禁するであろうニンジャは、今熱の籠もった確かな殺意と、何人の血を浴びてきたか分からない真紅のヤリの穂先を向けていた。

 

「イヤーッ!」
「グワーッ!」
「イヤーッ!」
「グワーッ!」
「イヤーッ!」
「グワーッ!」

 

ディフェンドを使う間もなく、ヤリがヴェノムの体を何度も突く。

 

「イイイイイヤアアアーッ!」
「ディフェンド……グワーッ!」

 

渾身の力を込めた突きを繰り出すための一瞬の溜めにディフェンドを間に合わせたヴェノムは、しかし弾かれたように吹き飛ばされた。
壁に激突しかけるのを、クモ糸を飛ばしてクッションにして防ぎ、高所に張り付いた。

 

「口惜しいな……俺には貴様ほどこいつの力を引き出せない」

 

見上げるキュクレインの目には、組織に捧げた忠誠心が燃えていた。逃がす気など全く感じない。
キュクレインにはこころほどに、体内のヴェノムを使いこなす事は出来ない。
だがニンジャとして鍛錬した肉体は、こころを上回っていた。
クモ糸がなくとも、キュクレインが相手を生きて逃がすことなど無い。
実力が上の敵だとしても、戦うしか無い。

 

《感情を昂ぶらせろ》

 

心中に聞こえるこの声は、こころの内なる声……ではない。
こころの身も心も食い尽くそうとする、ヴェノムの意思だ。
こころにあってキュクレインにない利点。
それはヴェノムの力の引き出し方だ。
キュクレインに勝つためには、ヴェノムの力をより強く引き出す以外にない。
だがそれは、ヴェノムに飲み込まれて完全にファントムと化す危険性と隣合わせの行為だ。
希望の面の加護もついているとは言え、リスクの高い選択だ。
しかし、こころは迷うことはなかった。

 

両手からクモ糸弾を連射する。
弾は一つ一つが強力な粘着性を発揮し、簡単には剥ぎとれない。
キュクレインは素早く判断し、迎撃するよりも避ける事を選んだ。
それで良い。距離が開けた隙に態勢を建て直さなければ。
吹き飛ばされた際に地面に取り落とした薙刀は放置し、コネクトで新しい薙刀を取り出す。
壁から降り地面に立つと、キュクレインを正面に、薙刀を構えた。

 

「貴様には万に一つも勝ち目は無い」
「だとしても逃げるわけにはいかない」

 

同時に大地を蹴り、突進。互いの武器がかち合い、そのまますれ違いになるか。
いや、ならない。ヴェノムの触手がヤリに絡みつく。
距離が離れず、ヴェノムがキュクレインのヤリを中心に半周し、二人の足が地面に着くと引っ張り合いになる。

 

「それに、勝ち目ならある!」
「無駄な抵抗!」

 

触手が離そうとしないなら、離れなければ良い。
キュクレインは外側へ向けていた力を内側へ……即ちヴェノムへ向けた。
触手が絡みついたままのヤリでヴェノムへ突撃する赤い閃光。

 

(それを待っていた!)

 

刹那、触手がヤリを天へ向けさせる。
続いて、元の触手とは別に新たな触手が現れ、キュクレインを襲う。
薙刀と合わせて二つの攻撃者。ヤリを封じられたキュクレインはブレーサーで防御に徹する。
行動速度はキュクレインの方が遥かに速い。これでは防御は崩せない。

 

「ならば!」

 

ヴェノムの背中から、更なる触手が伸びる。その腕先は鋭い刃へと変化し、攻撃に加わる。

 

「ヌウウーッ!」

 

防御しきれず、わずかに傷を増やしていくキュクレイン。
どうにか手放さずにいたヤリも落とした。

 

(押しこむ!)

 

更に触手が増える。薙刀と合わせて5つもの方向からの攻撃をキュクレインは全く対処出来ない!

 

「グワーッ!」

 

今や5倍の攻撃力となったヴェノムの猛攻を受けるキュクレイン。
一方、こころ自身は冷や汗をかいていた。
同時に4本も触手を出したのも、実戦では初めてのことだ。
これ以上ヴェノムの力を引き出せば、暴走の危険は跳ね上がる。5本以降は出せない。
もしもこの全力の攻撃を防がれていたら、打つ手がなくなっていた。

 

「グワーッ!」

 

こころの杞憂を他所に、キュクレインは全身に傷を受けて吹き飛ばされていた。
勝負あった、そう思った。

 

「おのれ……」

 

全身から血を流しながら、よろよろとキュクレインが立ち上がる。
カイシャクをしようとしていたヴェノムには、最後の悪あがきのように見えたが。

 

「おのれーッ! 許さんぞ!」

 

キュクレインから怒りのオーラが立ち昇る。
オーラはキュクレインを包み込んで、徐々に膨張していく。
こころは気づく。それはオーラではなく、ヴェノムだと。
キュクレインは冷静さを失い、彼の体内にあったヴェノムが遂にキュクレインを喰らい始めたのだ。
爆発したかのようにみるみる膨らんでいくシルエットを見て、こころは堪らず後退した。
地面に落ちたままだったヤリと薙刀をも取り込むと、今度は収縮していく。
ヴェノムの爆発が収まった時、そこには青年ではなく、怪物が立っていた。

 

「ファントム・ヴェノムか!」

 

黄緑色の肌、丸々と太った体、全身の毛は抜け落ち、目は爛々と輝き、口は大きく釣り上がる。
こころを襲った最初のヴェノムとは全く異なる姿。ニンジャソウルと共生した結果だろうか?
もしヴェノムの力を暴走させていたら、こころもああなっていたに違いなかった。

 

「GRRRRAAAAA!」

 

怪物が大きく咆哮した。
これもニンジャソウルとの噛み合わせが悪かったのか? どうやら理性がないらしい。
しかも、この醜悪な怪物からは、何らかの液体が全身からダダ漏れていた。
先ほどの傷口から流れる血だろうか?
そうではない。その液体に触れたアスファルトが、しゅうしゅうと煙を上げながら急速に溶けている。
猛毒か、酸の類だろう。
あの体と理性だ、逃げようと思えば、恐らく今度は簡単に逃げられる。
だが、あの毒を見てしまった以上、そうはいかない。ここで倒さなければならない。
派手な咆哮だった、運が良ければ魔法使いか魔戒騎士の援軍が期待出来るかもしれないが、仮に誰も来なくとも、自分一人で戦う。
それがヒーローの仕事だ。
ヴェノムは飛び上がると薙刀を振り下ろす。
薙刀はキュクレインを斬り裂くよりも速く、溶け落ちた。
驚愕するヴェノムはキュクレインのパンチを見、慌てて回避した。
足に毒液がかかっていることに気付き二度慌てるが、なんともなかった。

 

「……そうか、同じヴェノムだから!」

 

相手がヴェノムなら、自分もヴェノム。
あの猛毒は、自分には効果がないのだ!
意を決して接近戦を挑んだヴェノムは、キュクレインの腹の辺りにパンチを叩き込む。
効果があるようには思えない。
一度後退し、今度は飛び上がって頭にかかとを落とす。

 

「GRRRRRR!」

 

キュクレインは暴れたため、ヴェノムは距離を離した。
だがキュクレインは見た目と違って素早く、対応したヴェノムと互いの両手を付きあわせて力比べになる。
こころの腕力はヴェノムによって強化されている。乗用車を持ち上げる程度なら訳もない。
だが、キュクレインはヴェノムに完全に飲まれており、ヴェノムそのものの力に加え、ニンジャとしての力も合わさっている。
ヴェノムの力の、その一部を引き出しているだけのこころに勝てる道理もない。
怪物と化したキュクレインの体格は、こころの4、5周り程は大きい。
大人と赤子のスモウのような格好だ。文字通りベイビー・サブミッション(赤子の手を捻る)だ。
こころは触手を伸ばし、キュクレインの肩を押す。これでもまだ押され気味だった。

 

「GRRR……」

 

キュクレインは、笑った。
常にニタニタ笑っている口元が、更に釣り上がったのだ。
こころはキュクレインの背中から、何かが飛び出すのを見た。
どうやって体内に収まっていたかすら定かではないほど、長く伸びる。
それはこころを見下すかのように、キュクレインの頭上に留まった。
鋭く尖った先端。ニンジャだった頃のキュクレインが持っていたヤリのようにも見えた。
こころは、蠍が尾を振り下ろして獲物を刺し殺すのを幻視した。
こころはキュクレインと押し合いをしている。
逃げようとして力を緩めれば、スモトリよりも巨大な怪物に押しつぶされてしまうだろう。逃げられない。
今のこころは、まさに蠍に捕まった獲物だ。処刑台に拘束され斬首を待つ死刑囚だ。
鎌をもたげた蠍の尾は、先端からパックリと3つに割れた。
一つ一つが、あの赤いヤリだ。まるで神話に伝わる必中必殺の魔槍(ゲイボルグ)ではないか。
魔槍がキュクレインの肩越しにこころの右肩を貫いた。
続いてもう1本の魔槍が左のふくらはぎを刺した。
魔槍から流れ出る猛毒が、こころの全身を巡る。
こころは力が全く入らなくなり、ヴェノムは萎縮し、変身を保てない。
ゆっくりと持ち上げられた2本の魔槍に刺された者は、今やエージェント・ヴェノムではなく、ただのこころだった。
残ったもう1本の魔槍が、こころの正面にあった。
キュクレインはどこに刺してやろうかと愉しんでいるようだった。
だが、全身に毒が回ったこころは、もはや思考する能力さえ失っていた。
心臓に狙いを定めた最後の魔槍が唸りをあげようとした、その時。
3本の魔槍が蠍の尾を離れ、宙を舞った。
魔槍がそれぞれ地面に落下した時、こころは誰かの腕に抱かれ、安全に着地した。
もはや目を開けるのすら力を振り絞らなければならないこころは、自分を助けた誰かを見た。
それはどんなダイヤモンドよりも高貴で美しい、宝石の鎧だった。
宝石の鎧はこころを静かに地面に降ろすと、キュクレインと向き合った。その手には剣が握られていた。
キュクレインの猛毒が、宝石の鎧に弾かれた。
映像を早送りで見ているかのように、宝石の鎧はキュクレインを切り刻んだ。
剣はいつの間にか斧になり、斧はみるみる内に巨大化し、キュクレインを両断した。

 

「サヨナラ!」

 

猛毒の怪物が爆発四散した。
信じられない。
あの日こころが見上げた、夜空に小さく光る星は、こころ自身だった。
今、あの月はこころのそばに降り立ち、助けたのだ。二度までも!
無意識に、右手を伸ばした。宝石の鎧は手をとった。
こころの意識はそこで途切れた。

 
 
 
 
 
 

夜が明け、晴々しい空が広がる頃、こころは命蓮寺の自分の部屋で目を覚ました。
昨夜付けられたはずの傷は、完全に癒えていた。包帯の類もない。
何らかの魔法的な効力を受けたのか、それともこれもヴェノムによるものなのだろうか。
白蓮は、今日も寺にいた。

 

「私を助けたあの者とは……」
「ええ、知り合いよ」

 

こころが質問を言い切る前に、白蓮は答えた。
戦闘の後に気を失った自分が、こうして部屋まで運ばれている以上、あの宝石の鎧の人物と白蓮には繋がりがあるはずだと考えたが、正解だったようだ。

 

「誰かの希望を守るために戦う、指輪の魔法使い。こころがヒーローを続けていくなら、肩を並べて戦うこともあるかもしれないわね」
「指輪の……魔法使い……」

 

闇夜にも輝く高貴の光を思い出し、こころは胸に熱いものがこみ上げてくるのを感じた。
あれは、ヒーローの背中。
かつての白蓮と同じ、人々を守ることの出来る者。

 

「私もいつか……いつか、誰かを助けられるようなヒーローになれるのかな」
「たゆまぬ努力と、諦めない心があれば、きっと」

 

こころは、自分の中に未だヴェノムの力が残っているのを感じ、庭に出て太陽を見上げた。
かつて憧れたようなヒーローは、この街には確かに実在している。
それがたまらなく嬉しく、同時に己もまたその一員であるということを心に刻む。

 

「……強くなりたい」

 

ぽつりと零した独り言を、自分で否定し、改める。

 

「強くなる!」

 

天に拳を突き上げて、こころは宣言した。
きっといつか、誰かに憧れるようにヒーローになるために。


END