ソ連 RankⅩ 中戦車 T-72B (1989)
概要
Update 1.11.0.26 “Frozen Front”にて実装されたソ連第3世代MBT。
T-72Aから新規砲弾や砲塔と車体に新型のKontakt-5 ERA*1の追加、装甲材とエンジンの変更など大幅改良を施されている。
車両情報(v2.25.0)
必要経費
| 必要小隊レベル | 0 |
|---|---|
| 車両購入費(SL) | 1,825,350 |
| レベルエース化(GE) | 780 |
| プレミアム化(GE) | 9,580 |
報酬
| SL倍率 | 2.3 |
|---|---|
| VE倍率 | 69.4 |
車両性能
| 項目 | 数値 |
|---|---|
| 砲塔旋回速度(°/s) | 38.4⇒45.2 |
| 俯角/仰角(°) | -5/13 |
| リロード速度(秒) (自動装填) | 7.1 |
| スタビライザー/維持速度(km/h) | 二軸 / 66 |
| 車体装甲厚 (前/側/後)(mm) | 135 / 85 / 45 |
| 砲塔装甲厚 (前/側/後)(mm) | 140 / 110 / 65 |
| 重量(t) | 44.5 |
| エンジン出力(hp) | 1,603 |
| 2,000rpm | |
| 最高速度(km/h) | 66/-5 |
| 視界(%) | 75 |
| 乗員数(人) | 3 |
武装
| 名称 | 搭載数 | 弾薬数 | |
|---|---|---|---|
| 主砲 | 125 mm 2A46M cannon | 1 | 45 |
| 機銃 | 12.7 mm NSVT machine gun | 1 | 300 |
| 機銃 | 7.62 mm PKT machine gun | 1 | 2000 |
弾薬*2
| 名称 | 砲弾名 | 弾種 | 弾頭 重量 (kg) | 爆薬量 (g) | 初速 (m/s) | 貫徹力(mm) | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 10m | 100m | 500m | 1000m | 1500m | ||||||
| 125 mm 2A46M | 3BK18M | HEATFS | 19.0 | 2.79 | 905 | 550 | ||||
| 3OF26 | HE | 23.0 | 5.24 | 850 | 42 | |||||
| 3BM22 | APFSDS | 4.83 | - | 1760 | 425 | 420 | 415 | 405 | 393 | |
| 3BM42 | APFSDS | 4.85 | - | 1700 | 457 | 454 | 445 | 431 | 419 | |
装甲*5
| 分類 | 場所 | 位置 | 対運動弾 | 対化学弾 |
|---|---|---|---|---|
| 複合装甲 | 車体 | 正面 | 450mm | 580mm |
| 爆発反応装甲 | 120mm | 450mm | ||
| 側面 | 120mm | 450mm | ||
| 複合装甲 | 砲塔 | 正面~側面 | 600~720mm | 670mm |
| 爆発反応装甲 | 120mm | 450mm | ||
| 防盾 | 砲塔 | 正面 | 150mm | 150mm |
| 分類 | 場所 | 位置 | 材料 | 装甲厚 |
| 外部装甲 | 車体 | 下部 | 均質圧延鋼装甲 | 20mm |
| 側面 | ラバースクリーン | 8mm | ||
所有能力
| 分類 | 場所 | 説明 |
|---|---|---|
| 発煙弾発射機 | 砲塔 | 向けた方向に煙幕を展開する 所持数8個 消費2個 |
車両改良
武器庫?
| Level | 名称 | 購入費(SL) |
|---|---|---|
| 15 | 迫撃砲 | *** |
| 曳光弾ベルト | ||
| リロードシステム | ||
| 20 | 大口径 | *** |
| 装甲貫通ベルト | ||
| 濃煙 | ||
| 25 | 発煙弾 | *** |
| ステルスベルト |
迷彩
研究ツリー
解説
新開発の125mm 2A46M砲に9M119 ATGMと専用の1K13-49砲手用照準器、2E42-2二軸安定化システムや1A40-1射撃管制システムなどが追加されている。複合装甲の変更とKontakt-5を装備し、エンジン出力は1,603馬力の新型V-84-1ディーゼルエンジンへと換装されている。砲塔正面に搭載されていた発煙弾発射機は、爆発反応装甲を設置のため砲塔左側に集められている。
特徴
【火力】
主砲は2A46M砲へ換装され、最大貫徹力550mm・7.1秒固定の自動装弾で、俯角は-5°で砲旋回速度は45.2°/s。貫徹力はそこそこだが、砲旋回や装填速度は大半の西側MBTより遅い。
- 【弾薬性能】
最大貫徹457mmの3BM42や3BK18M、9M119が新たに使用可能。機銃は引き続き12.7mm NSVTを装備している。- 3BM42(APFSDS)
- 最大貫徹力457mm・ 砲口初速1700m/sとZTZ96AのType 1985-Iに微かに劣るが西側戦車と比べると高性能。また弾頭重量は4.85kgと非常に重く、余剰貫徹もあり加害は広範囲に及ぶ。
- 3BK18M(HEATFS)
- HEATFSトップの貫徹550mmを誇り、一部同格や格下を貫徹可能なほか、炸薬量2.84kgは96式やChallenger Mk.2を加圧により撃破可能。化学弾の特性上、遠距離でも貫徹力は変化しないが、複合装甲やERAに阻まれるため、同格以上では軽装甲以外に効果は薄い。また加圧を発生させるという点では3OF26の方が優れている。
- 9M119(ATGM)
- ダンデム弾頭は無いためERAに弱いものの、砲発射型ATGMにしては脅威の貫徹力700mmを誇り、炸薬量5.83kgで弾速470m/sなど総じて優秀な性能をしている。
- 3BM22(APFSDS)
- 最大貫徹力425mmで弾頭重量4.83kg・砲口初速1760m/sとLeopard 2A4やTTDの使用するAPFSDSより高く、60°傾斜への貫徹力が200mm未満と不安はあるが同格以下には十分通用する。
- 【砲駆動機構】
俯仰角は-5°/13°へ減少し、反対に砲旋回速度は45.2°/sへ上昇したものの依然遅め、変わらず2軸スタビライザーで最高速度まで維持。オーバーライド機能も変わらず非搭載。西側車両と比較すると俯仰角幅が狭く砲旋回速度も遅いが、装甲が比にならないほど厚くなったこともあり気にならない。 - 【装填速度】
変更なし。Leopard 2A4やChallenger Mk.2など装填速度6.0秒以下の車両が増えた為、撃ち負ける事が多くなった。
【防御】
装甲材の変更加えて、ソ連開発の第2世代ERA「Kontakt-5」が装備された箇所は貫徹されることは稀だが、弱点は200mm程度しかない。また、弾薬庫は東側MBTらしく床置きなので誘爆しやすい。
- 【装甲配置】
複合装甲の配置は変わらず、砲塔頬部分と天板、車体上部と一部側面に設置されたERA「Kontakt-5」は対KE120mm、対CE450mm相当の装甲として機能する。
砲塔の対KEは120mm DM23で防盾付近を除き約600~900mm。対CE約700~1300mm。砲塔頬周辺はERAが無くとも対KE700mm以上を発揮し、貫徹される事が無い。対CEはZT3A2?やAFT09?等を除けば基本的に防ぎ、ERAのない箇所でも貫徹力600mm以下のタンデムATGMであれば防御可能。
車体は120mm DM23で車体上部が操縦手バイザーを除き約620mm、対CE約1050mm。MBTでは薄いはずの車体も非常に強固で、対KEは貫徹力600mm以上で貫徹可能。対CEは通常ATGMや貫徹力600mm以下のタンデム弾頭AMGMであれば防御可能。弱点である防盾付近・車体下部・操縦手バイザーには複合装甲やERAが無く、ある箇所と比べるとかなり薄い。防盾部分は200mm、その横は300~400mm、車体下部は160mm程度の防御力しかない。防盾付近を抜かれた場合は砲手か車長どちらかの気絶で済む事が多いが、車体下部を抜かれるとほぼ確実に誘爆を起こす。操縦手ハッチは140mm程度しか無く、Strf 9040B?に貫徹される可能性がある。またERAは『一度被弾した箇所の防御力は以降低下しまう』や『タンデム弾頭ATGMに対しては効果が薄い』等の弱点がある。
砲塔天板の「Kontakt-5」は、トップアタック方式のTOW-2Bや天板狙いの砲弾に対しても効果を発揮。加えて車体側面はERA込で対KE140mm、対CE340mmを発揮する。105mm HEATFSや40mm以下の機関砲なら真横からでも防ぐ事が可能なほか、入射角60°程度の120mm DM23もこの様に防御可能。しかし履帯裏は80mmの垂直装甲であり、少しでも傾けると40mm 以下のAPDSにも抜かれるため注意が必要。
File not found: "1000004206.png" at page "T-72B (1989)"[添付] - 【携行弾数】
変化なし。 - 【防護装置】
煙幕数はT-72Aの2×6発から2×4発へ減少。更にERA配置によって砲塔左側に寄せられた結果、継戦能力・展開範囲が劣化している。
【機動性】
重量増加に伴い、エンジンをV-46-6からV-84-1ディーゼルエンジンへ換装。エンジン出力は1,603hpへ向上したが重量が41.0tから44.5tへ増加した為、出力重量比は36.3hp/tから36.0hp/tと僅かに低下している。また後退速度が変わらず-5km/hであり、出過ぎた時のリカバリーや飛び出し撃ち、修理する際の撤退等がしにくくなっている。また超信地旋回も不可能なので立ち回りや撤退する際には注意が必要。しかし撤退などそもそも許されないため特に影響はない。
史実
ソ連軍機甲局は、期待通りに開発作業の進まないT-64戦車の行く末に大きな不安を感じていた。
ソ連軍の次期MBT(後のT-64戦車シリーズ)の開発チームには、第2次世界大戦以来の伝統ある中戦車設計局=A.A.モロゾフ技師率いるハリコフのV.A.マールィシェフ工場の第60設計局を選定していたのに対し、一種の保険としてL.N.カルツェフ技師率いるニジニ・タギルのウラル貨車工場(UVZ)の第520設計局に1961年頃、T-62中戦車のさらなる改造による新型MBTの試作を発注した。
第520設計局は早くも1957年に、次期MBT開発を巡る第60設計局の対抗馬として滑腔砲搭載試作MBTオブイェークト140の開発を手掛け、その後もT-55中戦車を改修した暫定的な滑腔砲搭載MBTであるT-62中戦車の開発を担当してきた実績があったのである。
第520設計局はT-62中戦車の基本車体を用いながら足周りとエンジン、動力伝達機構等の改変を行った新型MBTの設計を開始し、1963年までに少なくとも3種類の車両が試作された。
1961年に製作された最初の試作車であるオブイェークト167は、砲塔や基本車体はT-62中戦車と同一であったが足周りに大幅な変更が加えられていた。
オブイェークト167の足周りは従来のソ連軍中戦車に用いられてきた片側5個の大直径転輪に代えて、後にT-72戦車シリーズに採用される片側6個のアルミニウム製中直径転輪と、片側3個の上部支持輪を組み合わせたものが採用されていた。
履帯はT-55中戦車やT-62中戦車と同じドライピン連結式のものが用いられており、エンジンは大戦中のT-34中戦車以降名を上げたV型ディーゼル・エンジンの出力向上型である、V-26 V型12気筒液冷ディーゼル・エンジン(出力700hp)を搭載していた。
全体として、既存の技術に裏付けられた堅実な設計であるといえた。
続いて1961年に製作されたのが、オブイェークト167の砲塔後部に9M14「マリュートカ」(赤ん坊)対戦車ミサイルの発射機を3基装備したオブイェークト167sPTURである。
さらに1963年には、オブイェークト167にガスタービン・エンジンを搭載したオブイェークト167T(別名:オブイェークト167sGTD)が試作された。
搭載されたエンジンはGTD-3T(GTD-800とする資料もある)ガスタービン・エンジンで、出力800hpを発揮した。
その他の諸元は、オブイェークト167と変わるところは無い。
しかしオブイェークト167シリーズはソ連軍機甲局を満足させるものではなく、T-72戦車シリーズに至るまでの習作の域に留まった。
1964年にハリコフの第60設計局が開発したT-64戦車(制式化は1966年)は、T-62中戦車の主砲を分離薬莢式に改修した55口径115mm滑腔砲D-68Tに、新たに開発された6ETs10「コルジーナ」(籠)自動装填装置を組み合わせて搭載していたが、この「コルジーナ」自動装填装置は装填不良を起こし易く、砲弾の装填時に乗員を巻き込む事故も引き起こす不完全なものであった。
ニジニ・タギルの第520設計局でも、前述のオブイェークト167に115mm滑腔砲D-68Tと「コルジーナ」自動装填装置を組み合わせて搭載する試みを行っていたが、この装置は性能不足で装填手を減らすことはできないことが明らかになった。
このためカルツェフ主任技師はコヴァリョフとビストリツキーの設計局に対して、新型の自動装填装置の開発を依頼した。
そして1967年頃にペトロフ設計局において新型の51口径125mm滑腔砲2A26(D-81T)が開発され、T-64戦車への搭載が決定された際、第520設計局でもこの砲と前述の新型自動装填装置を組み合わせたシステムの開発作業が自主的に進められた。
1967年11月、輸送機械工業大臣S.ズヴェレフがUVZを訪問した際に、カルツェフは125mm滑腔砲と新型自動装填装置を組み合わせた試作システムを披露した。
これを見たズヴェレフはハリコフのT-64戦車へのあからさまな挑戦と受け取り、カルツェフを非難した。
だがカルツェフはT-64戦車の「コルジーナ」自動装填装置が性能不足であることを指摘し、西側の新型MBTに対抗するためには自分たちのシステムが必要なことを力説した。
結局カルツェフは、この試作システムをT-64戦車に搭載する試作車を6両製作する許可を取り付けた。
またカルツェフは、この車体にチェリャビンスクのトラシューチン設計局の新型エンジンを搭載することもズヴェレフの了承を取り付けた。
なお、この新型自動装填装置6ETs15「カセートカ」(カセット)は、「コルジーナ」に比べて装填動作がスムーズで完成度が高かったため、後にハリコフのT-64戦車にも採用されることになる(T-64A戦車以降)。
T-64戦車に125mm滑腔砲と「カセートカ」自動装填装置を組み合わせたシステムと、新型エンジンを搭載した車両には「オブイェークト172」の開発番号が与えられ、1967年にUVZで試作車の製作が開始された。
ここまでの進行はソ連軍機甲局の積極的な関与無しに、T-64戦車の改良に名を借りてこっそりと行われたようである。
しかしカルツェフは、オブイェークト172に独自の新型変速・操向機を取り付けることも考えていた。
この試みを察知したズヴェレフは1968年1月にカルツェフをモスクワに呼び出し、問いただした。
だがカルツェフはT-64戦車の走行系統の不具合を説明し、結局2種類の試作車を製作することを了承させた。
なおオブイェークト172の開発が行われている最中の1969年春、カルツェフはソ連軍機甲局科学技術委員会の議長に任命されたため、新たに第520設計局の主任技師としてV.N.ヴェネディクトフが就任した。
彼はその後、一貫してT-72戦車シリーズの発展に力を尽くすことになる。
オブイェークト172は2種類の試作車が製作されたが、その1つはT-64戦車に対する変更を最小限に留めたもので、1968~70年にかけて試作作業が行われた。
この車両はT-64戦車の車体をそのまま採用し、125mm滑腔砲と「カセートカ」自動装填装置を組み合わせたシステムと、トラシューチン設計局が開発したV-45 V型12気筒液冷スーパーチャージド・ディーゼル・エンジン(出力780hp)を搭載したものであった。
エンジンの冷却装置については、ハリコフで設計されたT-64戦車用のものがそのまま用いられた。
もう1つの試作車はカルツェフの意見を反映させたもので、元々第520設計局で開発していたオブイェークト167の走行系統を採用した。
エンジンはやはりV-45ディーゼル・エンジンが搭載されたが、冷却装置は第520設計局で設計されたものに変更された。
この試作車には、ニジニ・タギルの所在する地方名を採って「ウラル」(Ural)という愛称が与えられた。
これは取りも直さず、ハリコフに対抗する意識が表れた名称でもあった。
オブイェークト172ウラル(「オブイェークト172-2」と呼ばれていたとする資料もある)の試作車は1968年にモスクワ南方のクビンカ試験場で試験が始められ、1969年には砂漠地帯での試験も行われた。
試験の結果は良好だったが重量増加に伴うパワー不足が明らかになったため、新型のV-46 V型12気筒液冷スーパーチャージド・ディーゼル・エンジン(出力780hp)への換装が行われた。
こうして1969年11月には、V-46エンジン搭載の先行生産型「オブイェークト172M」が製作された。
オブイェークト172Mは1970年2月にザバイカル地方で寒冷地試験に供されたが、試験の結果は満足すべきものであったという。
オブイェークト172Mは用兵者側に大きな満足をもって迎えられ、1973年に「T-72主力戦車」(Osnovnoy Tank T-72)としてソ連軍に制式採用された。
T-64戦車までソ連軍はMBTを「中戦車」(Sredniy Tank)と称していたが、本車から「主力戦車」という呼称を使用し始めたのである。
これは、T-72戦車に対するソ連軍当局の期待も込められていたといえよう。
別名「ウラル」と呼ばれたT-72戦車の初期生産型は最小限の改良と装備の追加を施され、1974~76年にかけて量産された。
特徴的な装備は車体側面に追加された片側4枚のエラ型補助装甲で、前進攻撃時に60度の角度で展開し、前側面方向からのHEAT(対戦車榴弾)や対戦車ミサイル等の成形炸薬弾から側面装甲を守る役割を持っていた。
これは同時期のT-64戦車シリーズにも装備されたが、後にメッシュ・ワイアー入りの合成ゴム製サイドスカートに取って代わられた。
車体前面と砲塔前半部には複合装甲が導入されており、APFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)など運動エネルギー弾に対する抗堪力はRHA(均質圧延装甲板)に換算すると410mmに匹敵した。
主砲は、T-64A戦車に採用された51口径125mm滑腔砲2A26の改良型である2A26M2を搭載しており、当時のMBTの中では最高レベルの火力を誇っていた。
FCS(射撃統制システム)は基線長式測遠機と弾道計算機、アクティブ式暗視装置を標準装備にしていた。
その他、4発/分の発射速度を持つ改良型の6ETs40「カセートカ」自動装填システムを持っていた。
これは砲塔底部に中心をぐるりと取り巻く形で装薬と砲弾を上下各11セット、総数で22発分をトレイ式に配置したもので、砲尾部にある取り出し装置が選択された弾種を装薬とセットして拾い上げ、砲尾に自動的に装填するようになっていた。
砲弾と装薬はその他に17発を搭載しており、人力装填も可能であった(この場合の発射速度は2発/分)。
なおソ連軍のみで使用され輸出が行われなかったT-64戦車シリーズと異なり、T-72戦車シリーズはワルシャワ条約機構加盟国や中東の友好国に供与されることになり、輸出向けに性能を落としたタイプの開発が行われた。
ウラル戦車の輸出型は複合装甲の代わりに、通常の防弾鋳鋼(砲塔前面で厚さ400mm)や圧延防弾鋼板(車体前面は3層式で合計厚205mm)が用いられ、これは1975年より量産が開始され1970年代後半には早くもインド、シリア、リビアなどのソ連友好国に供与されて西側を驚かせた。
この内シリア軍に供与されたものは、1983年のイスラエル軍によるレバノン侵攻の際に同軍の新型MBTメルカヴァ(105mmライフル砲搭載の初期型)と交戦し撃破されているが、これがT-72戦車と西側MBTとの初対決であった。
輸出型の量産が開始されると同時に、国内向けには装甲防御力をさらに強化した「ウラル1」(オブイェークト172M1)戦車の生産が1975~79年にかけて行われた。
これは複合装甲の各層の厚さを増したものと思われ、RHAに換算した対APFSDSでの防御力は砲塔前面で500mm、車体前面で420mmに達した。
ウラル1戦車はやがてレーザー測遠機を搭載したT-72A戦車の量産が開始されると、基線長式測遠機を降ろしてレーザー測遠機を搭載する改造が実施されている。
改造されたウラル1戦車は、基線長式測遠機の右側レンズの開口部が鋼板で塞がれていることで識別できる。
モスクワのNII(科学開発研究所)スターリでは、化学エネルギー(CE)弾と運動エネルギー(KE)弾のどちらにも有効な第2世代のERAが開発され、これは「コンタークト5」と名付けられた。
「コンタークト5」ERAは1985年にまずT-80U戦車に装着されたが、この新型ERAをT-72B戦車にも導入することになり、「オブイェークト187」と呼ばれる試作車が製作されて試験に供された。
試験の結果が良好だったため、1985年から「コンタークト5」ERAを装着したタイプのT-72B戦車の部隊配備が開始され、「T-72BM」の呼称が与えられた。
ちなみに「コンタークト5」ERAの防御力はKE弾に対してRHA換算で250mm、CE弾に対して600mmに相当するという。
「コンタークト5」ERAは砲塔装着用と車体前面用、それにサイドスカート前半部装着用で形態が異なっている。
砲塔用は座布団型のブロックを上下で前に突き出すように組み合わせてあり、車体前面上部には縦長のブロックを数セット装着、サイドスカートには増加装甲板状のものを片側3~4セット装着するようになっている。
小ネタ
さて、ソビエト戦車(特にT-72系列)は人命が軽視されていると言った俗説があるが、これは間違いである。確かに、貫通されれば死を意味する極狭、劣悪な車内レイアウトからは想像もできないが、西側諸国よりも人命を重視した設計となっていた。
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まず、砲弾や弾薬が車体下部に配置されている点が挙げられる。これは、被弾する可能性の高い砲塔からできるだけ遠ざけた結果である。
アメリカ陸軍の研究によると、戦車の正面で被弾する可能性が1番高いのは砲塔、次に車体上部、最後に車体下部である、とのデータ・研究結果がある。それを考えながらT-72を見てみよう。被弾しやすい砲塔はできるだけ小さく、可燃物(砲弾や弾薬)は配置しないことを徹底している。西側戦車は「ブローオフパネル」で弾薬が誘爆した際の爆圧や熱を乗員区画に回らないようにしているのに対し、ソ連戦車はそもそも誘爆させないことを前提に設計されているのがお判りいただけるだろう。
次に、車高の低さだが、これも上記と同じ理由である。前面投影面積が小さければ小さいほど、被弾する面積も減るし、被発見性に優れるのだ。大型トラックと軽自動車が草原にいた際、遠くから視認されやすいのは大型トラックの方で、軽自動車は見つかりにくいのと同じ事。
湾岸戦争では、M1エイブラムスに一方的に撃破された例があるが、その際に使用されたT-72は輸出用のモンキーモデルであり、各種性能がオリジナルと比べてかなり低く抑えられていた。また、APFSDSの弾芯はタングステンや劣化ウランなどの重金属では無く、単なる鉄が使用されており跳弾しやすく貫通力も低かった。
湾岸戦争の事例ではイラク軍のT-72が3両で完全な待ち伏せを決め、M1エイブラムスに対して先制攻撃を与えた。しかし、第3世代MBTの中でも屈指の防御力を持つM1に対して上述の砲弾ではかすり傷も与える事が出来ず、逆にM1の砲弾はT-72の正面装甲を簡単に貫徹した。結果、T-72は各個撃破されていき、内1両は遮蔽物ごと車体を撃ち抜かれて撃破されている。これは戦車の性能差が露骨に現れた事例であり、ロシア製兵器の名声は地に落ちることになった。
しかし、成就したようにイラク軍が使用したT-72はあくまでモンキーモデルに過ぎず、本国仕様のT-72とはかなりの性能差が存在していた。恐らく本国仕様のT-72が相手ならここまで一方的な展開にはならなかっただろう。結局、被弾面積を減らす事で生存性を高めたソ連戦車と、被弾した際の生存性を求めた西側戦車の比較であり、コンセプトが根底から異なっている。また、もし弾薬庫に命中すれば西側戦車でもビックリ箱になってしまう事からも、ロシア戦車を人命軽視と言うのは誤っている。
上記小ネタにもあるが、T-72は意外と先進的な設計の戦車であった。しかしながら、劣悪で使い物にならないとレッテルを貼られた理由のもう一つに、超信地旋回ができないことが挙げられる。
超信地旋回とは、右側の履帯と左側の履帯をそれぞれ別方向に回転させることで、同じ場所にいながらターンできる技術のことである。任意のタイミングで履帯の回転を止めることで、好きな方向へ転換できる。
これは画期的なシステムだが、大きなデメリットが存在する。
トランスミッションの複雑化だ。
通常、戦車のトランスミッション(変速機)は、エンジンとともに一体化され、パワーパックとして戦車に搭載される。
例えばレオパルト2戦車は、パワーパックをユーロ仕様で統一することで、ドイツだろうがポーランドだろうが、交換する設備さえあればどこでもいつでも交換を可能としている。これは兵站上の大きなメリットでもある。*6
しかし、誰でも簡単に整備できるわけでもなく、特に整備できる環境にない場所ではこれが致命的となることもある。特に複雑な部品ほど故障時に大きな範囲を巻き込んで故障することが多い。*7
また、戦車という鉄の塊の大重量のものを移動させるためには、ギアの多段化など、より複雑な機構にして対応することが多いが、これも複雑にしたが故の故障の原因になることもある。
そこでソビエトの技術者たちは、とにかく正面を向けることを前提に、後退用のギアを極力少なくすることで、変速機内部の構造を簡略化し、故障のリスクを減らしたのだ。こうすることで超信地旋回はできなくなるが、故障のリスクを減らせる、合理的な判断だったというわけだ。
外部リンク
コメント
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