FF8
アーヴァイン | 「あのさ… SeeDは任務に関して『なぜ』って 質問しないって本当か?」 |
スコール | (知りたくなる時だってある。 たとえば…今がそうだ。 でも……) |
「知ってどうする?」 | |
アーヴァイン | 「例えばさ、敵がすっげえ悪い奴だと わかればバトルにも弾みがつくだろ?」 |
スコール | (…敵が悪い奴?) (おそらく… 敵と俺たちを分けているのは善悪じゃない。 お互いの立場が違うだけ。) (どっちも自分が善いと思ってる。 善い奴と悪い奴がいるわけじゃない。 敵と、敵じゃない奴がいるだけだ) |
デリングシティにて魔女狙撃ミッション前の、アーヴァインとスコールの会話。
のちのバラム封鎖イベントの雷神&風神とのバトル後には
「誰が敵で誰が味方になるかなんて、流れの中でどうにでもなってしまう」
ガルバディアガーデン交戦時には「この先にいるのは『敵』だ。『敵』の名前なんか忘れてしまえ。
『敵』と自分の関係とか…『敵』の事情とか考えるのはやめろ。
『敵』は戦うことを選んだから俺たちの『敵』になった。俺たちも戦うことを選んだ」
と似たようなことを言っている。
立場の違いで見知った人と戦わなければならない自分に、そう言い聞かせているように聞こえる。
こういうテーマを題材としている作品は、
残念ながらうまくスコールのように言葉で言い表せないで完結する作品が多い。
- 17歳でここまで悟っていいのか、かえって悲観論者になりそうなのだが
- 悟りきれてないからこんな不完全な文章になって出てくるのだろう。
現にこの後に「迷ってるのは俺じゃないのか?」見たいな事を言ってるし。
- 悟りきれてないからこんな不完全な文章になって出てくるのだろう。
- F.H.でのイベントでのセリフもそうだが、バトルに関してのスコールの考え方はしっかりとしたものが多いと思う。
- スコールって年齢の割に達観してると思う。
そして魔女のパレードが始まり、スコール達も動き出した矢先、処刑された(とスコール達は聞かされていた)はずのサイファーがイデア(にジャンクションしたアルティミシア)の手先として生きていたことが判明。
この事実を受けたスコールはサイファーとバトルする可能性が出てきたことに対し、モノローグで(敵を選べないSeeDの宿命か)と悟る。思えばこのモノローグも後の上にある「誰が敵で誰が味方になるか~」というセリフに続いていたのだろう。
- 2度目にサイファーと戦うときもスコールは彼に対して「俺たちの気持ちをぐらつかせようとしてもムダだ。あんたは何者でもない。あんたはただの敵だ。あんたの言葉は届かない」とか言ってたしな。
ある意味、この世の真理である。
善も悪も主観に過ぎない。また、悪を自覚する者ですら「悪の正義」を以って戦う。
- わかりやすく言うとお互いに正義があるから戦争が起こる。
- しかし、この時のスコールの発言は「逃げ」である。
彼は「敵」のことを何も知らず、知ろうともしてない。- この「逃げ」に関しては後のイベントで自身も認めている。
上記にある「この先にいるのは『敵』だ。『敵』の名前なんて忘れてしまえ」の後、
「そういうことを考えながら戦えるほど、少なくとも俺達は強くない」というセリフがその証拠。
如何にガーデンの指揮官を任せられ、後に伝説のSeeDとして名を残すことになるスコールといえど、
彼とてまだ10代の少年に過ぎないのだ。 - 弱いのは少年だからではない。
「人は弱い生き物だ」
そのことをスコールは、SeeDは知っているのだろう。
誰が敵になるかわからない戦場で戦う、傭兵として。
- この「逃げ」に関しては後のイベントで自身も認めている。