セリフ/【時と場合によるのだよ】

Last-modified: 2024-04-16 (火) 19:32:23

FF10

キノック老師の名言。
シーモア抹殺を命じられた直後「エボンの秩序のためだ」といってティーダ達を銃で殺そうとしたキノックに対し、
「教えに反する武器のようだが」と咎めたかつての友アーロンへ何の躊躇いもなくこの台詞を吐き教えで禁じられている銃を向けたシーン。

さらに場所はエボン教の総本山ベベルでありユウナの結婚式最中の出来事でマイカ総老師もいる。
この時点でキノックだけじゃなくエボン全体がワッカのような教えに忠実な民を尻目に裏切ってきたことがよく分かるシーン。
更にその後一息ついた所でも機械が出たので嫌でもプレイヤーの記憶にエボンの実態そのものが刻まれただろう。


『信』・『者』と書いて『儲ける』とはよく言ったものである。
こうやってエボンは長い間繁栄してきたのだからまさにシン様々だろう。

  • 機械文明の罪を説きながら、その文明同様に機械の楽さをのうのうと甘受しているわけだ。
    シンは機械の有無など関係が無いという真実を知っているからこその実態、後にワッカの疑問にリュックがズバッと言った「便利だから」が全てなのだろう。

勝てばいいと思っている下衆が言うような台詞。
キノックはこれ以外にも隠し玉を持っていたよう。
直後に抹殺されたことで闇に葬られたかに見えたが…

  • 実際悪党(特に俗にいう小物界の大物)が生殺与奪の権利を握っている状況で冥土の土産といわんばかりにその後も考えず本来露呈してはならない秘密を自分からバラすというのは一種のお約束である。
    FFシリーズにおいてはこの人も代表格といえるだろう。

銃ごときくたばるような方々ではあるまい」などと言ってはいけない。


罪過は数多いものの、思想一つで世界一つを治めなければならない労苦を思えば、こうも言いたくなる。
エボンの教えがなければ早々にスピラは滅び去っていただろうから。

が、世の中には「こいつだけは言ってはならない」ことがあるものだ。

  • マイカ総老師は(少なくとも主観的には)世界を安定させたいという意図があったのだろうが、キノックは純粋に出世欲・権力欲しかない。

これ以降、「優れた「死者」による指導は愚かな「生者」の支配に勝るのだ」「せいぜい祈れ」などなかなか印象に残るセリフを残す。
どれもエボンの真実をこれでもかと見せつけてくれる。

  • この台詞や、上の「公平な裁きを期待したいものだな」→「せいぜい祈れ」、「お前らの処分が決定した」→「処刑の間違いではないのか」→「親友を処刑するはずがなかろう」など、
    アーロンとキノックのやり取りは中々渋い掛け合いが多い。

幹部の方々はともかく、一般の兵士もいる場所で、これほど堂々と言われると、情報が漏れそうな気がするがな。
一種のマインドコントロールなのだろうか…

  • ベベルの僧官や僧兵達はみんな洗脳済みだろう。
    僧兵時代のアーロンがあの場にいたら動揺して食って掛かってるかもしれないが。

う…うらぎられた!!