千栗八幡宮
住所:佐賀県三養基郡みやき町大字白壁字千栗
主祭神:応神天皇、仲哀天皇、神功皇后
一宮:肥前国一宮
社格:県社、国幣小社、別表神社
主な祭礼:3月15日(粥祭)、9月15日(放生会)
↑鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
千栗八幡宮は、聖武天皇の神亀元年(七二四年)当時の肥前国養父郡司壬生春成が
御神託を蒙り創建したと伝えられています。
千栗八幡宮は、聖武天皇の神亀元年(七二四年)当時の肥前国養父郡司壬生春成が
御神託を蒙り創建したと伝えられています。
古来、宇佐神宮の別宮として聞こえ、平安時代には式外五所八幡別宮(大分宮、千栗八幡宮、藤崎八幡宮、
新田神社、鹿児島神宮)として朝廷からも篤い尊崇を享けていました。
また全国に一宮制が確立していくとともに、当宮も肥前一宮と称されるようになりました。
南北朝の時代になると当宮の西に千栗城が築かれ、戦国時代には神域も度々戦乱に巻き込まれ、
社殿も何度か焼失しましたが、天正十一年(一五七三年)龍造寺政家がこれを再興、
鍋島の代になると、藩祖鍋島直茂は慶長三年(一五九八年)に社領二百石を寄進、
また神社表坂下に現存する石造の肥前鳥居(町重要文化財)を慶長十四年(一六〇九年)に奉納、
以後、明治維新に至るまで鍋島家累代の尊崇を享けています。
明治三六年県社に、昭和十五年には国幣小社に昇格。
↑拝殿↑
↑お粥堂↑
↑摂社・武雄神社↑
後国養父郡司・壬生春成はこの山へ狩猟に訪れた際、一羽の白鳩が弓の先に止まったといいます。
これを八幡宮の神使であると喜び、この地に八幡宮を祀るべきか否か、物忌みの後に創建したといいます。
9月には秋季例祭(9月15日)や御神幸(9月15日に近い日曜日)が執り行われますが、
訪れた日はその祭日でしたので、神職の方はお忙しそうでした。お邪魔してすいませんでした。