伏木神社

Last-modified: 2013-10-05 (土) 15:19:43
 

伏木神社
ふしきじんじゃ
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(参拝日:平成25年1月5日)
住所:富山県高岡市伏木東一宮17-2mapionlogo.gif
主祭神:天照皇大御神、豊受大御神
主な祭礼:5月15日(伏木曳山祭)
webサイト伏木神社

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↑鳥居↑
(由緒:パンフレットより)
当社の御鎮座は社伝によれば、奈良時代・聖武天皇の御代、天平四年(七三二年)九月に海岸に奇端あり、
神明宮として伊勢神宮から布師浦の蔵ヶ浜(今の石油基地の沖合い辺り)に勧請され、
海岸鎮護・住民の守護神として創祀されました。

万葉の歌人・越中国守大伴家持卿が在任した天平の頃、当社を崇敬したと伝えられています。
その後、社地は波浪の浸食を受けて幾度か遷り、江戸時代の末期、文化十年(一八一三年)九月二十四日、
現在の地(八幡社に合祀、国府別館の跡地、字大館、館ヶ丘)に遷座しました。
この時、神幸供奉として伏木曳山が造られ、勇ましい曳山行事となって現在に至り、益々神賑わいを極めています。
近郷十一ヶ村の惣社として崇敬され、氏子の繁栄につれて御神輿の渡御が行われ、そのお供として母衣(武者行列)、
花笠、行燈などが作られて賑わいました。明治十六年八月、伏木神社と改称されました。

約三百年にわたる武家政治に代わって、新しい近代国家が生まれようとする頃、その原動力となったものは、
勤王による国家的自覚と庶民階級の台頭でした。
一年に一度、伏木神社の祭礼に港の若人が、威勢よく山車を曳くことにって、益々その活力を蓄えたのでした。

明治の人々はこの勇壮な囃子によって「イヤサー、イヤサー」と弥栄えに栄え、港や町の発展の為に協力し、
現在にその心が受け継がれています。

社宝として、鎌倉時代のものと思われる狛犬一対と、寛文六年(一六六六年)の浦高札があります。

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↑拝殿↑
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↑参道↑
(以下、余談)
神社の目の前の道をJR氷見線の線路が通っています。伏木駅も徒歩圏内にありますね。
伏木は北前船が寄港し、八軒問屋に代表されるような船問屋が発達し、渡海船119艘を持つまでになりました。

江戸中期の明和・安政期には近隣の放生津城端などの諸町で曳山を造る気運が高まったことから、
現在の「伏木曳山祭り」に受け継がれてきた曳山が造られることとなりました。

平成25年は当社が創祀されてから1280年、現在地に遷座してから200年の節目の年にあたります。
記念大祭の斎行が予定されています。その祭事を見れないのが残念ですが、記念すべき日になるのではないでしょうか。