生まれ
にわながしげ
どんな人?
戦国時代の武将
丹羽長秀の長男
おいたち年表
1571年 | 0歳 | 織田信長の重臣・丹羽長秀の長男として誕生 |
1583年 | 12歳 | 賤ヶ岳の戦い |
1584年 | 13歳 | 小牧・長久手の戦い |
1585年 | 14歳 | 父親が死去。越前・若狭・加賀?二郡123万石を相続 |
1585年 | 14歳 | 佐々成政を征伐するため出陣。が、成政に内応しているとされ、若狭一国に減らされる。 また丹羽家の重臣・長束正家・溝口秀勝・村上義明も取り上げられる |
1587年 | 16歳 | 九州征伐。ここでも秀吉にイチャモンをつけられ、4万石にされてしまう |
1598年 | 27歳 | 豊臣秀吉死去。 |
1600年 | 29歳 | 関ヶ原の合戦。西軍に入り、東軍の前田利長と戦ったので改易される |
1603年 | 32歳 | 常陸古渡藩1万石を与えられて大名に復帰 |
1614年 | 43歳 | 大阪冬の陣に徳川方として参加 |
1615年 | 44歳 | 大阪夏の陣 |
1622年 | 51歳 | 陸奥棚倉藩5万石に加増移封 |
1627年 | 57歳 | 陸奥白河藩に加増移封ぜられて初代藩主となる |
1637年 | 67歳 | 死去 |
逸話
●父親が死んでからは、豊臣秀吉の「丹羽家?縮小作戦」をガンガンやられてしまった
●築城の名人でもあった
●丹羽家?は幕府から有力外様大名とされており、財力減らしのためにかなり工事などを命令された
●晩年は立花宗茂とともに徳川秀忠&徳川家光の御伽衆筆頭となった
●伊達政宗への備えということで奥州の城下町整備を幕府から命じられた。でも政宗とは仲良しだった
関連のある人々
主君
織田信長→豊臣秀吉→豊臣秀頼→徳川家康→徳川秀忠→徳川家光
父・・・丹羽長秀
母・・・織田信広の娘
兄弟
丹羽長正
藤堂高吉
蜂屋直政
丹羽長俊
丹羽長次
正室・・・織田信長の五女・報恩院
子
丹羽光重?
祐筆の人物批評
祐筆
●一番手・・・ハガクレ