丹羽長重

Last-modified: 2009-12-21 (月) 13:52:49

生まれ

にわながしげ

どんな人?

戦国時代の武将
丹羽長秀の長男

おいたち年表

1571年0歳織田信長の重臣・丹羽長秀の長男として誕生
1583年12歳賤ヶ岳の戦い 
1584年13歳小牧・長久手の戦い  
1585年14歳父親が死去。越前若狭加賀?二郡123万石を相続  
1585年14歳佐々成政を征伐するため出陣。が、成政に内応しているとされ、若狭一国に減らされる。
また丹羽家の重臣・長束正家溝口秀勝村上義明も取り上げられる  
1587年16歳九州征伐。ここでも秀吉にイチャモンをつけられ、4万石にされてしまう  
1598年27歳豊臣秀吉死去。   
1600年29歳関ヶ原の合戦。西軍に入り、東軍の前田利長と戦ったので改易される   
1603年32歳常陸古渡藩1万石を与えられて大名に復帰   
1614年43歳大阪冬の陣に徳川方として参加  
1615年44歳大阪夏の陣   
1622年51歳陸奥棚倉藩5万石に加増移封   
1627年57歳陸奥白河藩に加増移封ぜられて初代藩主となる   
1637年67歳死去  

逸話

●父親が死んでからは、豊臣秀吉の「丹羽家?縮小作戦」をガンガンやられてしまった
●築城の名人でもあった
丹羽家?は幕府から有力外様大名とされており、財力減らしのためにかなり工事などを命令された
●晩年は立花宗茂とともに徳川秀忠徳川家光御伽衆筆頭となった
伊達政宗への備えということで奥州の城下町整備を幕府から命じられた。でも政宗とは仲良しだった

関連のある人々

主君
織田信長豊臣秀吉豊臣秀頼徳川家康徳川秀忠徳川家光

父・・・丹羽長秀
母・・・織田信広の娘
兄弟
丹羽長正
藤堂高吉
蜂屋直政
丹羽長俊
丹羽長次
正室・・・織田信長の五女・報恩院

丹羽光重?

祐筆の人物批評

祐筆

●一番手・・・ハガクレ