生まれ
ないとうきよなり
1555~1608
どんな人?
戦国時代~江戸時代の大名
徳川の家臣
おいたち年表
1555年 | 1歳 | 三河にて竹田宗仲の子として生まれる |
年 | 19歳 | 内藤忠政の養子になり家督をつぐ |
年 | 歳 | 徳川家康に召しだされ小姓となる |
1580年 | 26歳 | まだ2歳だった徳川秀忠の傅役になる |
1590年 | 36歳 | 徳川秀忠の供として上洛 |
1590年 | 36歳 | 家康関東へ移封。鉄砲隊を率いて江戸入り先陣を勤める |
1600年 | 46歳 | 関ヶ原の合戦 徳川秀忠に従い上田城攻めに参加 |
1601年 | 47歳 | 加増となり、21000の大名となる |
1606年 | 52歳 | 鷹狩り事件。徳川家康の怒りをかい、蟄居となる |
1608年 | 54歳 | 江戸にて病死 |
鷹狩り事件とは?
52歳の時に、蟄居させられた事件
家康が江戸近くの鷹狩りに言った際、禁猟であるはずの狩場に罠がしかけられていた。
これを許可したのが内藤清成と、青山忠成だとされている
本多正信らのとりなしにより、切腹は免れたが、以後、政治面から遠ざかるように
この事件は、徳川秀忠が二代目将軍になった翌年に起きたため、背景に何かしらの陰謀があるのではないか?とされている
逸話
●清成が江戸入り先陣を務めた際、広い屋敷を作った。これがのちに内藤新宿となる
●鷹狩り?の時に家康が「馬で乗り回した土地を全て与えよう」と言った。清成は白馬で乗り回しまくって、広大な領地をもらった
●
関連のある人々
父親・・・竹田宗仲
養父・・・内藤忠政
長男・・・内藤清次
次男・・・内藤清政
祐筆の人物批評
祐筆
●一番手・・・ハガクレ