内藤清成

Last-modified: 2010-02-04 (木) 10:53:21

生まれ

ないとうきよなり
1555~1608

どんな人?

戦国時代~江戸時代の大名

徳川の家臣

おいたち年表

1555年1歳三河にて竹田宗仲の子として生まれる
19歳内藤忠政の養子になり家督をつぐ 
徳川家康に召しだされ小姓となる 
1580年26歳まだ2歳だった徳川秀忠の傅役になる  
1590年36歳徳川秀忠の供として上洛   
1590年36歳家康関東へ移封。鉄砲隊を率いて江戸入り先陣を勤める  
1600年46歳関ヶ原の合戦 徳川秀忠に従い上田城攻めに参加  
1601年47歳加増となり、21000の大名となる   
1606年52歳鷹狩り事件。徳川家康の怒りをかい、蟄居となる   
1608年54歳江戸にて病死   

鷹狩り事件とは?

52歳の時に、蟄居させられた事件

家康が江戸近くの鷹狩りに言った際、禁猟であるはずの狩場に罠がしかけられていた。
これを許可したのが内藤清成と、青山忠成だとされている
本多正信らのとりなしにより、切腹は免れたが、以後、政治面から遠ざかるように

この事件は、徳川秀忠が二代目将軍になった翌年に起きたため、背景に何かしらの陰謀があるのではないか?とされている

逸話

●清成が江戸入り先陣を務めた際、広い屋敷を作った。これがのちに内藤新宿となる
鷹狩り?の時に家康が「馬で乗り回した土地を全て与えよう」と言った。清成は白馬で乗り回しまくって、広大な領地をもらった

関連のある人々

父親・・・竹田宗仲
養父・・・内藤忠政
長男・・・内藤清次
次男・・・内藤清政

祐筆の人物批評

祐筆

●一番手・・・ハガクレ