淀殿

Last-modified: 2010-06-17 (木) 19:40:16

生まれ

1567年(永禄10年)

どんな人?

浅井長政お市の方の長女
幼名は茶々

おいたち年表

1567年0歳近江国小谷城浅井長政の長女として誕生
1573年7歳叔父である織田信長小谷城を攻める。父の浅井長政は自害し、
お市と、2人の妹とともに小谷城を出る 
1582年16歳母・お市柴田勝家再婚。茶々と2人の妹は柴田勝家の居城・北ノ庄城へ 
1583年17歳柴田勝家羽柴秀吉が争い、敗北。柴田勝家お市は自刃。
茶々と妹達は秀吉の元へ行く
1583年17歳秀吉の側室となる  
1589年23歳長男・鶴松を出産   
1589年23歳秀吉が茶々のために淀城という城を造る。以後、淀殿と呼ばれる 
1591年25歳鶴松が死去  
1593年27歳拾(のちの豊臣秀頼)を出産   
1598年33歳秀吉死去。淀殿は秀頼と大阪城に入る 
1600年35歳関ヶ原の戦い。秀頼の領地が徳川家康によって減らされる 
1603年38歳徳川家康の孫で妹・お江の娘・千姫秀頼が結婚
1605年40歳徳川家康の三男・徳川秀忠が二代目の征夷大将軍となる 
1614年49歳方広寺鐘銘事件が起きる   
1614年49歳大阪冬の陣   
1615年50歳大阪夏の陣。秀頼とともに自刃する 

逸話やその他の情報

●淀君(よどぎみ)という呼び方は江戸時代になってから。悪意をこめた呼び方
秀吉お市の方が好きだったので、お市の方に一番似ている茶々を側室にした。
秀頼は、淀殿と乳兄弟だった大野治長との間に出来た子供ではないかと言われている
●母・お市の方は戦国一の美女と言われており、淀殿も美女だったといわれている
秀吉の正妻ねねとは仲が悪かった
●京都三宝寺の秀頼・国松・淀殿三人の供養塔が「縁結びの塔」となっている
●大阪城で自刃しておらず、薩摩に落ち延びた生存伝説もある
●関西地方には淀殿が直したお寺がものすごく多い
●かなりのヘビースモーカー
●身長168センチという説がある
●清洲城に住んでいた時、疱瘡(天然痘)にかかり、あばた顔になってしまったという説もある。そのため、私が側室になるから妹たちは側室にしないでちゃんとしたところに嫁がせてほしいといったらしい。
●生年には異説もある

関連のある人々

浅井長政・・・父親
お市の方・・・母親

・・・2番目の妹 京極高次の妻
お江・・・三番目の妹 徳川秀忠の妻

豊臣秀吉・・・夫

鶴松・・・長男(死亡)
豊臣秀頼・・・次男

その他

織田信長・・・叔父

ねね・・・秀吉の正妻

松の丸殿・・・秀吉の側室

大野治長・・・乳兄弟

石田三成・・・家臣

片桐且元・・・家臣

祐筆の人物批評

愛・・・悲劇の女性というイメージがあったんですが、文献などを見ているうちに強い女性というイメージが出てきました

祐筆

●一番手・・・愛「はまってしまい、2時間くらいかかってしまいました」