筑紫広門

Last-modified: 2010-02-17 (水) 11:15:19

生まれ

つくしひろかど
1556~1623

どんな人?

戦国時代の武将

筑後の国人
備前の勝尾城の城主

父親が大友家に降伏し、その後すぐに死んでしまったので家督を継いだ

が、たびたび大友家に反抗していた

1586年に高橋紹運の次男・高橋統増?に娘を嫁がせて縁戚となってからは大友家に従うようになる

その後、島津家が攻め込んできため領地を奪われ、広門も捕らえられ幽閉されてしまった

が、その頃豊臣秀吉九州征伐が始まり、島津家は大変な大騒ぎに

その騒ぎの隙に脱出し、家臣を集め旧領を奪い返した

朝鮮出兵では小早川隆景の下について奮闘する

関ヶ原の合戦では西軍に与し、京極高次の守る大津城を攻めたため、戦後徳川家康によって改易されてしまう

広門は剃髪し、加藤清正を頼るが、加藤清正改易されてしまうと細川家?を頼ってそのまま死去した

逸話

●息子はその後大阪の陣で武功をあげたため、筑紫家は旗本として存続した

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