「糸を切る」 (77-920)

Last-modified: 2008-01-26 (土) 02:14:28

概要

作品名作者発表日保管日
「糸を切る」77-796氏、920氏08/01/2608/01/26

お題

キョンのブレザーのボタンが取れかかっていたのを、みくるが見つけ
ボタンをつけてあげる。
 
そのシーンを目撃したハルヒがヤキモチ
 
次の日から、キョンの制服のボタンが毎日取れるようになる。
長門とみくるがボタン付けをしてくれる。
 
それを見てハルヒが、さらにヤキモチ
 
キョンの制服のボタンが、一気に全部取れる。(ぶちぶちぶち)
困り果てたキョンが、ハルヒにボタン付けを依頼。
 
ツン混じりでハルヒがボタン付けを承諾。
いそいそと鞄から裁縫道具を取り出す。
 
という少女マンガな電波を受信したのだが、誰かSSにしてくれないかな。

作品

「あ、キョン君袖口のボタン取れかかってますよ」
部室でいつものように古泉と時間を無為に潰していた時のことだった。
この世にこれ以上愛らしい方など存在しないに違いない、メイド・オブ・プリティメイズ朝比奈さんの言葉で俺は腕を見る。
なるほど、右手袖口のボタンは今にも外れて転げていきそうなほどよれよれの細い糸1本でぷらぷらと揺れている。
いつもハルヒが強引に引っ張りやがるせいだ。
「気づいてくれて助かりました。こりゃ帰るまでに千切れてたでしょうね」
無くならない内にむしっておいて家に帰ってから付け直しをお袋に頼むか。ボタン付けくらい俺だって出来ないわけじゃないが速さと出来上がりの丈夫さはやはり母親には敵わない。
「あの、もしよかったらあたしがおつけします」
は? 朝比奈さんがですか?
「うん、お裁縫セットならあるから。あんまり上手に出来ないかもしれないけど」
とんでもない。あなたにボタンをつけていただける栄誉に与れるとは。
朝比奈さんは自分の鞄から実に可愛くファンシーなミニ裁縫セットを取り出す。
本当にこういうのが似合う人だよなあ。恥ずかしそうにはにかんで。ああもう、何でそんなに可愛いんですか朝比奈さん。
「じゃあすいませんがお願いします。今ブレザー脱ぎますね」
「ううん、そのままで大丈夫。今日は寒いでしょう?」
このままやってくれるらしい。流れ的に針が刺さるくらいのアクシデントはあるかもしれないな。
だが誰あろう朝比奈さんが至近距離で俺のために一生懸命やってくれるというのだ。針が刺さることなどなんでもないね。
むしろ朝比奈さんの細く可憐なその指に針が刺さらないかそれだけが心配だ。
 
それから少しの間、北高1の美少女がメイド姿で俺のボタン付けをしてくれてるというのだからその場でフロイデと歌いだしたい気分だったね。
しかしやはりというか何と言うか。黙って見ていられず俺の至福に水を差して来るやつがいるのである。
「キョン! あんたそんなつまんないことでみくるちゃんを占有するんじゃないわよ。みくるちゃんはあたしのメイドさんなのよ!」
いつからお前専属のメイドになった。たまにはいいだろうこれくらい。
「よくないわよ鼻の下デレデレ伸ばして! みくるちゃんはあんたの慰み者じゃないって何回言ったらわかるのよ!」
違うっつの。朝比奈さんもこんな近いところで頬染めないでください。ハルヒの前だってのに反射的に抱きしめそうになっちまうじゃないですか。いや、しませんよ。しませんけどね。
「先輩からの好意を素直に受け取って何が悪い」
「こっ、好意って! みくるちゃんがあんたなんか相手にするわけ無いでしょうが! 正気に戻んなさい!」
正気に戻るのはお前だ。そう言う意味じゃねえしそんなことくらい俺だってわかってる。ほら、変なこと言うから朝比奈さんもう真っ赤じゃねえか。
「朝比奈さんはお前が言うメイドの心から来る奉仕活動ってやつを実践してるだけだろ。それの何が悪い」
「ぐ……そう言うことにしといたげるわ。でももうみくるちゃんを気軽に私用で使っちゃダメよ」
心がけとくよ。そうそうボタンなんて取れやしねーだろうしな。
 
どうもその時思っていたのは間違いだったらしい。
それが単なる偶然だったのか誰かの狙いだったのかはわからないが。
 
「綿繊維が度重なる摩擦により劣化している。数時間以内の胸部第2ボタンの脱落は必至」
体育の後、6組で着替え終わって廊下に出た時のことだった。
この世にこれ以上発言が信頼できるやつなど存在しないに違いない、万能超人長門の言葉で俺はブレザーを見る。
なるほど、ブレザーの第2ボタンは今にも千切れそうな1本の糸に頼りなくしがみついている。
ん? さっきまでボタンはちゃんとついてると思っていたが。
さっき着替えた時に一気に擦り切れたとでも言うのだろうか。
「付け直す」
なんだって、長門がか?
「そう、すぐ済む」
そういって長門は俺の取れかけたボタンに手を伸ばし、
「……失礼」
言うと同時にあっさりむしりとった。
「しかし直すったってお前今裁縫道具なんて持ってるのか?」
まあ長門なら制服のポケットが4次元に繋がってても俺は驚かんがな。
だが長門は俺の問いには答えず、左手に握ったボタンをじっと見つめる。おいおい、ボタンに穴開いちまうぞ。いや、元から開いてるけどさ。
左手のボタンから目を離さないまま長門は俺の胸、つい今までボタンがあった場所に右手の人差し指をあてた。
1秒ほど止めていた指を外したそこにはやっぱりというか何と言うか。
ボタンが既にそこにあった。初めからついていたとしか思えないくらい見事な縫製で。唯一違う点はボタンが新品になっているところか。
「ボタン自体の劣化も進んでいた為新品に置き換えた。……サービス」
とてもありがたいんだがな長門。そのお前がまだ左手に持ってるコピー元のボタンはどうするんだ。
「私が回収しておく。……第2ボタン」
「長門。風習が間違ってるぞ。それは卒業式とかの時に、好きな男に対してやるもんだ」
あとちなみに本来は学ランでやるもんだ。ブレザーの第2ボタンの位置じゃだと「心臓(ハート)に近いボタン」にはならんぜ。
そりゃ勘違いとはいえ長門に第2ボタンを欲しがられるのは悪い気分ではないけどさ。
「……駄目?」
いや、駄目じゃないぞ。駄目じゃない。
俺が持ってたってゴミ箱行きにしかならんし何に使うかは知らんが欲しいなら持っていけばいい。
「……そう」
それだけ言うと長門は踵を返して自分の教室へ入っていった。本当にあんなボタンどうすんのかね。
 
「あんた昨日の今日で性懲りもなく有希にまでちょっかい出してるわけ?」
振り向いた俺の目に入ったのは爛々と目を輝かせつつ笑顔を引きつらせ仁王立ちしたハルヒだった。ってか近えよ、ぶつかるだろ。
「みくるちゃんの次は有希にボタン付けを頼むなんてあんた雑用の癖に何様のつもりなのよ」
だから俺から要請したことなど一度もないというのに、相も変わらず話を聞かないやつだ。
「有希もいい子よねえ。新品と交換してあげるなんてさ。ボタン代と作業料を本来なら払うべきよ」
ってお前いつから見てやがった。長門が不思議パワーでボタンを作り出すのを見てはいないだろうな。
いや、俺の背中のおかげで見てないのか。ナイスセーブだ俺の背中。背中よ、今回の働きを俺が覚えてる間はお前を鉄壁と呼んでやろう。
「それで、第2ボタンって何よ」
え。その話広げちゃいますかハルヒさん。いや、それは長門が風習を勘違いしたまま……っ!
コラ! 胸ぐらをつかみあげるな。苦しいだろうが。襟元をつかんでそんなにしぼり上げんじゃねえよ。
「あんた有希が勘違いしてるのをいいことにゴミ押し付けた挙句に鼻の下伸ばしてたってわけ? 最低のエロキョンだわ」
エロキョンという単語を「エロ河童」みたいな感覚で使うんじゃねえ。汎用性が出たらどうしてくれる。
つうかいいかげんに放せ。他所のクラスの前で締め上げられてるなんざみっともないにも程がある。
ほらみんな見てるじゃねえか。お前らもニヤニヤしてないで止めてくれよ。この状況はお前らが思ってるほど楽しかねえぞ。
「ハル……ヒ、わかったから、放せって」
体育で疲れている時に呼吸困難に陥った俺がふらりと2,3歩下がるのを誰が責められようか。
そして俺とハルヒの間には若干とはいえ身長差、そして歩幅の差があるわけで。
 
「きゃっ」
「おわっ」
 
小さくとはいえ、ハルヒが「きゃ」なんて声をあげるのは希少だったかもしれん。誰か録音とか――してるわきゃねえよな。
おっとなんのことかまだ飲み込めてない人もいるかもしれんので状況説明に戻ろう。
簡単だ、俺とハルヒの足がもつれたのだ。
たたらを踏みつつも俺は何とか倒れずにこらえたのだが、ハルヒはそうもいかなかったようだ。
床と身体との衝突を防ぐ為に藁にすがったのだ。
そう、ハルヒが掴んでたのは俺の襟元。
聞かせてやりたいくらい気持ちいい音がしたとも。ぶちぶちぶちぶちっとね。
 
後になって思う。素直に倒れてりゃ被害は少なかったのかね。
 
さて、ちょっと話を変えて確認しておきたい。学生服がブレザーだったことが1度でもある人達にだ。
まず君達は体育の後、制服に着替える時にネクタイをきっちり締めるか?
締めるやつには「お前はきっちりしてるな」と褒め言葉を贈ってやりたい。
なぜかって? そりゃ俺はきっちりしてないものぐさ人間だからさ。
次に、寒い季節にかいた汗を放っておくのは風邪を引く恐れがあることは君らも知っているだろう。
着替えの時にはタオルなんかで汗を拭くのが望ましいんだがその日はタオルがないとする。
肌着のシャツをタオル代わりに使ってそのまま体操服袋に放り込んだことはないか?
拭かない? それじゃ気持ち悪いし風邪引くかもじゃねえか。
汗なんてかかないだって? 俺はこれでも真面目に授業受けてるんだよ。
なんでタオルが無いかだって? 言ったろ。俺はきっちりしてないんだって。
 
さあ、話がずれてしまってすまん。
ここまで言えば今の状況は察してくれると思う。
なに、ちゃんと言えって? 断る。……と言いたいんだが、そうもいかねえよな。
ああ畜生。
ハルヒは俺の襟元を掴んでたおかげで倒れはしなかった。けどハルヒが今握ってるのは襟じゃない、裾だ。
ハルヒの馬鹿力は俺のYシャツのボタンを引き千切ってしまった。
俺の胸から腹にかけてが、ハルヒの目の前で全開になっていた。
ハルヒの目の前に俺の自慢出来ない胸板がある。おい、固まってないで目とか逸らせよ。ギャラリー、お前らもだよ。見世物じゃねえぞ。
漫画の表現みたいにわかりやすくハルヒが赤くなる。だから目を逸らせって。
「ばっ……ばっ……」
ば……なんだ? まあなんて続くかはもうわかりきっちゃいるんだが。
「この、馬鹿キョン!! エロキョン!!!」
ほら予想通り。俺が悪いみたいに言うな! お前がやったんだろうが。
「団長に対してわいせつ行為を働くなんて不敬にも程があるわよ!」
だから俺のせいじゃない。そもそもお前自分の着替えに関しては無頓着じゃねえか。しかも水着とかになった時に見てるだろう。
「それとこれとは別よ! いきなりなんて驚くじゃないの!」
じゃあゆっくり脱いだらいいのか。そう言う問題じゃないだろう。
「ああ、もういい。とにかく早く何とかさせてくれ。寒いだろ」
責任の所在で言い争っても何も得るものはないんだからな。
さてどうするか。このままってわけにもいかん。
もう一度体操服を着るか。いや、汗で湿ったやつなんて2度は着たくないぜ。風邪引きたくもないしな。
ボタンをつけようにも俺は裁縫セットなんて持ち歩いたりしないしな。この姿で購買に買いに行くのも嫌だ。
かといって……。
「……つ、付け直してあげよっか?」
小声でつぶやきつつアヒル口で睨んできた。ちなみに顔は真っ赤なままだ。
胸ポケットに手を入れて取り出したのは片手サイズの針ケースと糸。また似合わない物持ち歩いてんだなお前。
「朝比奈さんや長門に頼むのは禁じられたんじゃなかったか? 団長様ならいいのかい?」
声を掛けられる前のモノローグの続きを声に出して言う。朝令暮改は見苦しいぜ。
「あ、あたしのせい……とまでは言わないけど、ほっとくのも悪いじゃない。特例よ特例、ありがたく思いなさい」
へいへい。助かりますよ。
「じゃあ頼めるか?」
「団長への不敬を謝罪した上でお願いしなさい。雑用が団長に針子をさせるって自覚が足りないわよ」
……やれやれだ。
「悪かったよ。ボタン、つけてくれるか?」
「仕方ないわね。やってあげる」
嫌なら別に針と糸だけ貸してくれれば自分でやるんだがな。とは言わないことにした。
だから見物すんな、ニヤニヤすんなって。今までの何が面白いってんだ。
 
ボタンを拾ってクラスの席まで戻って。
ハルヒと向かい合ったまま黙ってるのはなんだか落ち着かない。
Yシャツを着たまま、はだけたまんまハルヒにボタンをつけてもらってるのだ。恥ずかしくないと言えば嘘になる。
なぜかと言えばYシャツを脱いでしまうと俺の上半身は裸にネクタイとブレザーと言うどっかの大サーカスの団長もかくやと言わんばかりの格好になってしまうからな。
そういやあの人この市内の出身者だった。ま、今となってはこの市内で「団長」と言えば有名人よりも有名な団長様が君臨されてしまってるからな。
イマイチ印象が薄くなるのも無理は無い。
……とかどうでもいいことを考えてなければなんか妙なことを考えてしまいそうだ。
ハルヒもなんか喋れよ。黙々とボタンつけてないで。
しかしなんだかんだ言ってやっぱりこいつは器用だよな。手際はいいし運針も速くて正確だ。俺は家庭科もハルヒに敵わんのか。
ふと見るとハルヒの手が止まっている。なんだ、見事にボタンはついてるように見えるが。
「……あんたハサミ持ってないの?」
妹がよく借りに来るせいで俺はハサミなんぞ用も無く学校に持ってきたことは無い。それがどうした。
「そう、じゃあ仕方ないわね」
この時、なぜそんなことを聞くのか常識的に考えればすぐにわかったはずなのである。だから不意打ちは防げたはずなのだ。
ハルヒはすっと止める間も無く俺のはだけた胸に顔を寄せ、その見事なまでに白い歯で玉止めした糸を噛み切ったのだ。
素肌の胸に当たったのはハルヒの額であり、髪であるわけだ。
どきりと、全世界中に響くんじゃねえかって位心臓が鳴ったね。不覚……つーかありゃ反則だ。
ハルヒは真っ赤な顔で髪を掻き揚げながらにやりと見上げてくる。だから今は上目遣いはやめろって。
「なに生唾飲み込んでんのよ。いやらしい」
「っ……そんなんじゃねーよ。単純にびっくりしただけだ」
我ながら苦しい言い逃れだね。
しかしハルヒ。お前もうちょっと考えて行動してくれ。クラス中の視線が痛いじゃねえか。
谷口のやつが何事か泣き喚きながら走り去ったぞ。あいつは後で記憶がなくなるまで殴っておこう。
国木田。なにニヤニヤしながら肩をすくめる。お前は古泉か。
阪中。お前はお前でさっきからなんで携帯のカメラをこっちに向けている。「凄いの撮れちゃったのね」だと? 肖像権って何か知ってるか? 盗撮は犯罪だぜ。こら、他の女子に見せんな。消せよ! いや消してくれ、消してください。頼む、300円あげるから。
「ほらキョン。ボタンまだ3つも残ってんのよ。じっとしてなさい、早くしないと授業始まっちゃうでしょ」
ハルヒが今つけたのは第4ボタン。つまりこれからだんだんと高さが上がってくると言うことだ。首まで。
そんなとこまで口使って糸切る気か? 誰か、俺にハサミを貸してくれ。
まだしばらく続くことが確定しているこの羞恥プレイに俺は天を仰ぐことしかできないのだ。やれやれ。
「なあハルヒ」
「なによ」
「その、もう時間無いしあんまりきっちりつけてくれなくてもいいぜ。ちゃちゃっと適当に頼む」
 
ハルヒの流麗に動く整った指先を見ながら俺は、次にボタンが取れるのはいつだろうかとぼんやり考えていた―――。