概要
作品名 | 作者 | 発表日 | 保管日 |
『G』 | 78-445氏 | 08/01/29 | 08/01/30 |
作品
学生の本分は勉強だという事は頭では理解している。まあ、それが本音と建前のどちらか、というのは改めて言わなくても皆さんなら解るだろうがね。
というわけで、ここ最近の俺の行動パターンは、憂鬱な授業はほぼ居眠りやり過ごし、放課後になると旧館三階の端っこの部室で、芳しいお茶で喉を潤しながらマッタリ、というパターンばかりだった。
さて、本日の放課後も、例によって部室へ辿り着き、俺がドアをノックしようとしたまさにそのタイミングで、長門が室内から出てきたのだった。
「よ、よう、長門。どうした、どこかに行くのか?」
「……コンピュータ研究会の部室」
そう答えた長門は、そのままじっと俺の方を眺めている様子で立ち尽くしていた。
つられて俺も長門の顔を見つめてしまう――って、なんだ、こんなところでにらめっこしてどうするんだ、俺たちは。
「……なあ、長門。ひょっとしてお前、俺が許可するのを待ってるのか」
「そう」
おいおい、そんなの一々俺の承諾を得る必要なんて無いぞ。長門の好きなときにいつでも行ってやれよ。
「了解した」
そう言って長門はコンピ研の部室の方へと歩みを進めた。一瞬だが、その瞳に安堵の色が浮かんだような気がするのだた、まあ、俺の目の錯覚だろう。
「ちわーっす。って、何だ、ハルヒ、お前だけか」
思わず溜息を吐いてしまう俺。そんな俺の様子にカチンと来たのか、ハルヒは、
「そんなの見れば解るでしょ。なによ、それともあたしがいることに文句でもあるわけ?」
と声を荒げて反応した。
そういう言い方されると、文句の一つ二つぐらいでっち上げたくなってくるな。まあ、俺はどちらかといえば平和主義者だと自分でも思うので、余計な事は言わないでおこう。
どうやら朝比奈さんも古泉の奴もまだ来ていないらしい。俺のささやかなティ・ブレークはもう暫くの間お預けのようだ。なお、退屈しのぎのボードゲームはこの際どうでもいい。
「ねえ、有希はどこに行ったの」
「コンピ研行くって言ってたけど、ハルヒ、お前は聞いてなかったのか」
「何にも。――って、キョン。何で有希はあんたにだけ教えてあたしには黙ってるのよ」
そんなことを俺に訊かれてもな。おおかたハルヒには言い出し辛かったんじゃないのか。そもそも、お前は最初コンピ研の部長に長門がスカウトされてたときにゴネてたじゃないか。
「今更決まったことには口出しはしないわよ、あたしは。いい、キョン。SOS団の団長たる者はそこまで狭い心なんかじゃ務まらないの!」
その割にはなんだかんだハルヒは口うるさいと思うがな――主に俺に対してだが。
「なによ。キョンの方こそ、あたしの命令に従わずに文句ばっかりじゃないの」
口を突き出してアヒルさん状態のハルヒである。
しかし、二人きりの空間で口喧嘩っていうのも不毛過ぎるな。やれやれ、ここは不本意だが俺の方から折れてやるか。
「解った。解ったから少し落ち着いてくれ。すまん、謝るって」
「ふんだ。なによその態度。全然反省の色が見られないわ。口先だけで謝ってもダメよ」
ヤバイな。本格的にハルヒはヘソを曲げてしまったみたいだ。こうなったら面倒くさい事この上なしだ。
「お前の言う通り、俺が悪かった。頼むから許してくれ。後で――帰りにでもコンビニで何か食い物奢ってやるから」
ハルヒは、ぷい、っとそっぽを向いたかと思うと
「ま、まあ、そこまで反省してるんだったら、許してあげない事もないわ。…………言っておくけど、別に、食べ物に釣られたとか、そんなんじゃないんだからね。キョン、いい?」
と、先程までの勢いはどこへ消失したのやら、なんとも恥ずかしそうな様子で応じた。
あのな、ハルヒ。それは『語るに落ちる』ってモンだと思うぞ。
と、丁度その時、ハルヒの襟元で何か茶色っぽいものが動くのを俺は見た。
最初、俺はそれが何なのか認識できなかった。時期が時期である。こんなクソ寒いのに、そんな奴が今頃いるわけ無い。
いや、待て。そういえばパソコンの中に巣を作って繁殖とか、聞いた事があるぞ。ここのところ、ハルヒは面倒くさがってパソコンの電源を付けっ放しにしていたし、筐体の中はそれなりに暖かいのであれば、寒さもやり過ごせるのかも。
ということで、ハルヒの首近くに取り付いたそいつが何なのか、皆さんはもうお解かりだろう。
そう、そいつは――『ゴキブリ』――だった。
その瞬間、何故俺がそんな行動をとったのかは、俺自身説明のしようがない。
ただ、その時、何もかもがスローモーションのように俺には感じられた。
一歩、ハルヒの方に踏み出し、俺は右手を伸ばす。
刹那、反応してハルヒの首の後ろ側に回り込もうとするターゲットG。
俺の突然の動きに、唖然とした様子のハルヒの表情。
ターゲットG、ハルヒのセーラーの襟から、背中に潜り込もうとする。
何の躊躇も無く、ハルヒ襟口から背中に自分の右手を突っ込む俺。
ハルヒの肌の温もり。そしてターゲットGの名状しがたい感触。
即座に右手を抜き取る俺。
瞬時に紅に染まるハルヒの顔。
俺の頬を捉えるハルヒの右の手のひら。
スッパ~ン!と、何とも切れ味のいい音が室内に響き渡った。
肩で息をしながら、ハルヒは
「バ、バカ~!い、い、いきなりなにすんのよ、このエロキョン!」
と叫ぶと、俺のネクタイを掴んで首を締め上げた。
俺は頬の痛みよりも、引っ叩かれた拍子に自分の右手の中で潰れてしまったターゲットGの感触を何とかしたくて仕方がなかった。
間の悪いことに、直後、朝比奈さんが部室に現れた。
「遅れちゃってすみませ~ん。え、あ、あれ?涼宮さん、どうかしたんですかぁ?――キョ、キョンくん!そ、そのほっぺた一体どうしたんですか?……あ、あのぅ、わたし、今、来ちゃったのって、ひょっとして、マズかったですかぁ?」
うむ、やはり朝比奈さんは何か誤解しているようだ。
「ちょっと聞いてよ、みくるちゃん。このケダモノキョンが、こともあろうに団長のこのあたしに――って、キョン。あんた、何か隠してるでしょ。その右手が怪しいわ。今すぐ見せなさい」
俺の右腕を抱え込んだハルヒは、、朝比奈さんの目の前で俺の握っている右手を無理矢理こじ開けた。
結果、見るも無残なグロ映像が俺の右手に展開される。
途端。
世界を静止させるために用意されたのではないか、と思われる呪文らしきシロモノが俺の左右からステレオ効果で鳴り響いた。
ハルヒは腰を抜かしたのか、その場にしゃがみ込んでしまった。
朝比奈さんは目を開けたまま気絶したのだろうか。そのまま後ろに卒倒――
「おっと。これは一体どうしたのですか?」
これ以上ないナイスタイミングで現れた古泉が、朝比奈さんを背中から受け止める。
「おや、気を失っているようですね。……僕はこれから朝比奈さんを保健室まで運んで行くことにしましょう。あなたは――涼宮さんをよろしくお願いします」
と、実に自然な様子で古泉は朝比奈さんをお姫様抱っこするが早いか、廊下に出て行ってしまった。
ああ、それはまるでいつぞやの映画のワンシーンの再現みたいだったな。
俺が古泉に続いてドアから外に出ようとすると、
「ちょ、ちょっと、待ちなさいよ、キョン。あんた、あたしを独りにして、どこへ行こうっての」
と、口調の割には必死そうな声で呼び止めてきた。
何処に行くも何も、俺は一刻も早く、この右手を浄化したいんだがな。
「バ、バカ!――とっとと行ってきなさいよ。いい?三十秒以内に戻ってこないと許さないんだから」
出来れば念入りに洗浄したいし、五分ぐらいはもらえないだろうか。
「いいからさっさと行ってくるの!」
俺が、一寸の虫の五分の魂を奪ってしまった穢れた右手の禊を済ませて戻ってくると、ハルヒはさっきのままの状態で床に座り込んでいた。
「なにしてたのよ。遅かったじゃないの」
これでも精一杯急いだんだがな。
「ハルヒ、立てるか?」
「ん……ダメみたい」
なんだ、同じ昆虫である蝉は平気なクセに、ゴキブリ様はさすがにハルヒでも苦手らしいな。
俺はハルヒを抱えて立ち上がらせると、手近なパイプ椅子に腰掛けさせた。
ハルヒは両手で自分を抱えて震えていたが、暫くして首を左右に捻ったり、肩を上下させたりしてモゾモゾと動いていた。
一体どうしたんだ、こいつ。
「なんでもな――くはないわね。さっきから、何だか背中が痒くてしょうがないの」
ゴソゴソ動き続けているハルヒだったが、やがて、呟くように言った。
「キョン――さっきは、ごめん。あたし、何だかわかんなくて、思い切り平手打ちしちゃったから……」
いや、今回はさすがに俺の方が悪かったんじゃないか。何の予告もなしに、女の子の服の中に手を突っ込んだんだからな。
「でも……キョンは、その――あたしのこと、助けようとしてくれたんでしょ?」
まあ、行きがかりとはいえそういうことになるのか、これは。
でもな、やっぱり男として俺はやっちゃいけないことをしてしまったんだ。簡単に許される事じゃない。
全く、お前の言う通り、本当にケダモノ並みだよな。暴走、もとい房総半島方で大量に繁殖してる奴らと一緒に駆除されても仕方ないかもって思うぞ。
「なによ、さっきから謝ってばっかりじゃない。キョンらしくないわよ」
一瞬、笑みを取り戻したハルヒは、またも顔を赤くすると俯いて言った。
「じゃ、じゃあ、許してあげる代わりに、あたしのお願いを、一つでいいから聞きなさいよ」
解ったよ。で、何をすればいいんだ?
「キョン――あたしの、背中……掻いて」
ハルヒは聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声で、俺にそう告げたのだった。
羽織っていたカーディガンを脱いで、腰掛けたまま前屈みになったハルヒの背中を、制服越しにガリガリと指で引っかいてやる。
ハルヒは相変わらずモゾモゾしていたが
「ああ、やっぱり服の上からじゃダメね。直接掻いてもらわないと効き目無いみたい」
といったかと思うと、何のためらいも無くセーラー服を脱ごうと裾部分を持ち上げ始めた。
「おい、ハルヒ!お前……」
俺は慌ててハルヒを制止する。もってけ、なんて言われても困るぞ、とかわけの解らないことを考えているあたり、俺の動揺の程を察して欲しい。
「だって、直に掻いてもらおうとしたら、脱がないと仕方が無いじゃない」
だからって、俺の前で脱ぐ事ないだろうが。お前には羞恥心ってモノが無いのかよ?
「なによ、背中見られるぐらい、あたしは全然平気よ」
あのなあ。お前は見られても平気かも知らんが、俺は全然平気じゃないぞ。なんていったって、ケダモノだぞ、ケダモノ。
「解った。だが、ちょっと待て。そもそも脱ぐ必要は全く無いだろうが」
俺はハルヒの持ち上げた隙間部分から背中に手を差し込んだ。
「あんっ!」
軽く悲鳴を上げるハルヒ。なあ、やっぱり、止めた方がいいんじゃないか?
「な、なんでもないってば。あんたの手がちょっと冷たかっただけよ。そのうち慣れるから」
やれやれ、覚悟を決めるしかないか。
俺はハルヒに命じられるまま、なるべく爪を立てないように、そのスベスベの肌の上をひたすら掻かされた。
「んぁ――そ、そこがいいわ」
何とも言えない調子の吐息と共に搾り出されるハルヒのセリフ。
「もうちょっと左……そう。も、もっと、続けて――」
うっかり指が下着のラインに触れてしまったり、ハルヒがその身体をピクリと捩る度に、俺は心臓が止まりそうな気がしてたまらなかった。今日一日で寿命がどれくらい縮んだことやら。
そうこうしているうちに数十分は経ったんじゃないだろうか。
ハルヒはグッタリとした様子で机に伏せたまま、ピンク色に頬を染め、繰り返し肩で息をしていた。
俺はカーディガンを背中に掛けてやったものの、どうしたらいいのかも解らずに、ハルヒの顔を呆然と眺めていることしかできなかった。
きっとこんなところを誰かに見られたら、絶対に誤解されるだろうな、とか、まさかこれも古泉あたりの陰謀なんじゃないのか、とか考えながら。
「おや、長門さん。ドアの前で何をしておいでなのでしょうか。――気のせいか、少々怒っていらっしゃるようにも見えますが」
「……憤慨しているわけではない。ただ、この場に発生した桃色空間にどう対処すべきかを検討しているだけ」
「ふえぇ、鍵が掛かっているわけでもないのに、部室の中に入れませんよぉ――」