ガムシロップ (134-623)

Last-modified: 2010-10-21 (木) 01:34:27

概要

作品名作者発表日保管日
ガムシロップ134-623(◆Yafw4ex/PI)氏10/10/2010/10/21

作品

 暦の上での予定を大幅に延長していた夏がようやく終わり、遅れてしまった分を取り戻そう
としているかの様な勢いで気温を下げ始めた――今はもう10月の終わり。
 昼休みを向かえ喧騒で埋まる教室の中、俺が普段と変わらぬ昼食を食っていた時の事だ。
「なあ……キョンよ」
 ん?
「いくらなんでもおかしいと思わないか?」
 ……ああ、エビフライに醤油をかける事か。
 丁度今朝はタルタルソースが切れてて仕方なく
「違う! ……俺のナンパが上手くいかないってのは、まあ時々はある事かもしれん。でもよ、
街を歩いてるのがカップルばっかりで声をかける事も出来ねぇってのはいくらなんでもやりす
ぎだろ?」
 黙々と弁当を口に運んでいた俺に谷口が振ってきた話題は、はっきり言ってしまえば限りな
くどうでもいい事だった。
 成功確率だけで考えれば、お前がナンパで失敗するのは規定事項だと言ってしまってもいい。
 そんな「宝くじが当たらなかった」みたいな話を毎日の様に聞かされる側の気持ちにもなっ
てみてくれないかね? もしかしたら、その気遣いこそがお前のナンパの成功率が上がらない
原因なのかもしれんし。
 リアクションを取るのも面倒なので黙っている俺を見て、谷口はそれを同意と取ったらしく
「まったく、いくら秋だからって適当な男と女でくっつきまくりやがって……もっと向上心を
持て、向上心をよ。声をかける相手すら居ないなんて初めての経験だったぜ」
 何やら力説している。
 生憎と俺は空腹を満たすのに専念していたので、箸を持った手で「適当に相手をしてやって
くれ」と国木田にブロックサインを送った。
「それって、昨日行くって言ってた公園の話?」
「おうよ。新しいデートスポットだって言うから見に行ってみたんだが、妙な猫の銅像とベン
チと時計台があるだけで全然面白くもなんともない。なのに回りにはカップルだらけでよけい
に面白くねぇ。俺が思うに、あれはすぐに廃れるな」
 興味が無さそうな顔をしつつも一応相槌だけは打ってくれる国木田に、谷口は何やら熱心に
解説を続けている。
 ――秋、か。
 四季の中で言えば、一年で一番過ごしやすい時期だとは思う。好きか嫌いかで言えば好きな
季節だろう。
 晩飯の内容は多少だがバリエーションが豊かになる気がするしな。それに、秋が終わればあ
の寒い冬が来てしまうだけに、毎年の様に長引いている冬の代わりにたまには少しくらい長く
たっていいんじゃないかとも思う。
 ……正直な所、俺は秋という季節に対してその程度しか思い入れしか無い。
 これまでに谷口が年中望んでる様なイベントがあった事も無いし、この先の事を考えてもハ
ルヒに振り回されてる間は恐らく無いんだろう。
 学食にでも行っているのか、今は不在のハルヒの席を眺めつつ俺はそんな事を考えていたの
だが――その予想は外れた。
 
 
 ガムシロップ
 
 
 天高く馬肥ゆる秋。
 過去にこの言葉を習った時、俺は何故空が高くなる事と馬が太る事に何の関係があるんだと
思った。だが実際にはその二つに共通点があるのではなく、それらの事象が重なるのが秋なの
だと
「ちょっとキョン、ぼーっと空なんか見てないでこっちを見なさい! まったく、たるんでる
んだから。……さあみんな! 今日も張り切って行くわよ!」
 人影疎らな駅前の広場、相変わらず無意味なテンションを維持した団長さんの高らかな宣言
が、俺の思考を断ち切りながら秋の澄んだ大気に広がってすぐに消えた。
 ……しっかし、夏も終わったってのに何でこいつはこうも元気なんだ?
 週末恒例、不思議探索。
 これまでに何度と無く繰り返し実施されてきたこのイベントは、俺達の貴重な休日を無意味
に浪費しただけでハルヒ的に喜びそうな成果があった事は一度としてない。
 そろそろ諦めたらどうだ?
 そうハルヒに言ってやる権利を、今なら缶コーヒー一本で譲ってやってもいいぞ。なんなら
タイヤキも付けてやってもいい。
 俺は今日の探索のペアになった古泉に、そんな破格の提案をしてみた。
「譲るって事は、僕にそう聞いてみろって事ですか?」
 ああ。
「俺がコーヒーを奢る、お前はハルヒの機嫌を損ねる。等価交換だろ」
 九割程度本気の俺に半笑いを返すと、
「辞退しておきましょう。それに、僕は今の状態に不満がありませんから」
 紅葉を終えた街路樹の葉が散乱したままの歩道へと視線を向けつつ、そんな意味不明な事を
言った。
 今のままでいいって、お前本気か。
「ええ」
 毎週毎週休みをハルヒの思いつきで潰されてるってのに?
「はい。機関の思惑は別として考えても、それは変わりません」
 やれやれ、悪いが俺には理解出来んね。
 谷口みたいに延々と玉砕だけを続けるナンパに勤しむ事が、現役高校生としてあるべき姿だ
とは思わないが、この不思議探索に休日を費やし続けるだけの価値があるとは思えん。
 そもそも、この不思議探索でいったい誰が得をするというのか。
「少なくとも、涼宮さんはこの不思議探索をとても楽しみにしているでしょう」
「……まあ、確かに集合した時は楽しそうな顔してるよな」
 古泉が言う様に、だ。不思議探索の日のハルヒは機嫌がいい。今日だって、駅前で卑猥な広
告の入ったティッシュを渡されても、その場で叩いて破裂させただけで投げ返さなかったしな。
 でも待てよ。
「あいつが探索を楽しみにしてるってのは解らなくもないが、組み分けが終わる頃にはいつも
不機嫌になってるだろ」
 ハルヒの機嫌を天気に例えて言うなら、集合時が快晴だとすれば、ペアが決まった時には雷
雨といった所だろうか。
 女心と秋の空じゃないが、もう少し変化には段階って物があって然るべきなんじゃないのか?
「おや? 涼宮さんが機嫌を損ねる理由はご存知だと思っていましたが」
 何だそのにやけ面は。
「解らんね、全然解らん。全員で行動したいんならそもそもグループ分けをしなければいいだ
けだろ。何でそう言い出してる本人が怒るんだ」
 あいつが言い出さなきゃ、誰も別れて行動しようなんて言い出さないと思うぞ。
 俺の返答は古泉にとって予想通りの内容だったんだろうか。
 困ったものです。とでも言いたげに肩をすくめて、古泉は苦笑いを浮かべた。
 ――そんな、俺からすれば極めて不快でしかない仕草も、恐らく一般人から見れば絵になっ
ているんだろうさ。こうして何気なく二人で歩いているだけでも、視界のあちこちで足を止め
てこちらを見ている女子の姿が見える。どっちを見てるかって? 言うまでも無い。
 フラストレーションにリミットゲージがあるのなら、とっくに三本とも満タンになってそう
な俺に
「このままの関係を続けるのも悪くありませんが、そうですね。ここは一つヒントを出しまし
ょう」
 古泉は人差し指を立て、無意味な笑顔を見せつつそう言った。
 ヒントだと。
「ええ。先程のお話にあった、涼宮さんがグループ分けの後、不機嫌になる理由についてです」
 ヒントも何も、別に興味無いんだが。
「まあそう仰らずに。簡単に言うと、それは神様が天邪鬼だからです」
 ……はぁ?
 古泉、お前ついに壊れちまったのか。今年の夏は暑かったもんな。
「すみません、例えが抽象的過ぎました。では、貴方は今こうして僕とペアになって散策して
いる状態を楽しいと感じていますか?」
 いーや。
「本人を前にしたら言えそうも無いが、まったくもって楽しくない」
 むしろ不満だ。
「それは残念です」
 本気で残念そうな顔を作った後、
「それでは、もしペアが僕ではなく朝比奈さんや長門さんだったらどうでしょう」
 聞く必要があるのか? それ。
「朝比奈さんと二人っきりなんてのは、俺にとってはもう人生の御褒美だ」
 思わず足を止め、俺はそう答えた。
 あの愛らしい方と例え短時間でもご一緒出来たなら、俺はその日一日笑顔で居られる自信が
ある。相手が長門の場合でもお前と一緒に居るよりは楽しいのは間違いない。
 古泉は俺のこの反応に満足そうに頷き、
「では、何故涼宮さんが不機嫌になるのかも解りますよね?」
 自信有り気にそう聞いてくるのだが……。
 ……何でだ?
 数秒だけ考えた後の返答に古泉はまた肩をすくめ、集合場所で待っていたハルヒはやはり不
機嫌そうだった。
 
 
 ――とまあ、そんな実りは無く徒労だけを重ねた普段通りの休日を終えて、誰にも頼まれて
やしないのにまた平日がやってきていた。
 世間一般で言う所の月曜日である。
 週の始まりであり、長期休暇中や祝日でも無ければ学校へと足を運ばねばならないこの曜日
に対し、あまりいいイメージを持つ奴は居ないだろう。もちろん俺もその大多数に含まれる。
 これから週末まで続く学業を前に、周りを歩く生徒達と土曜に陰鬱たる気分で坂道を登って
いると
「……ぁっ…………あっ、キョンじゃない。おはよう」
 そう言いながら、誰かが俺の制服を軽く引っ張った。
 振り向くまでも無い聞き覚えのある声、いや声には聞き覚えがあるんだが
「珍しいな、お前がこんな時間にここを歩いてるなんて」
 俺の隣に姿を現したのは、いつもならとっくに学校についているはずのハルヒだった。
 っていうかお前の通学路じゃないよな、この道。
「道路工事でいつもの道が通れなかったの。うん、だから仕方なく遠回りしてきたわけ。仕方
なくね」
 なるほどね。
 何やらはきはきとした口調で答えたハルヒは、そのまま俺を置き去りにする訳でもなく、多
少無理した歩調で俺のペースに合わせて付いてきている。
 何となく歩幅を緩めつつハルヒの様子を見ていて気づいた、
「ハルヒ、風邪か」
「ふぇっ?」
 何だその声。
「お前の顔赤くなってるぞ」
 ついでに変な顔になってるし。
「さっ寒いからじゃない?」
 そうか? 俺には今朝は暖かく感じるんだが……ま、体感温度は人それぞれか。
「上着、要るか?」
 ハルヒが本当に必要ならとっくに奪い取られてるんだろうが、今は病人なのかもしれないし
な。早朝ハイキングコースで身体は暖まってたのもあり一応聞いてみた、すると
「あ、い、いい。大丈夫。ありがと」
 何故だろう、やけにご機嫌だ。
 っていうかまともな謝辞まで返ってくるなんて一大事だ。
 何が原因なのかは不明だが、我慢しているが堪え切れないといった感じで笑みを零しながら、
ハルヒは少し俯きながら俺の隣を歩いている。
 こいつもこうやってずっと笑ってればいいのに。そうして大人しくしてる分には……えっと、
その、何だ。古泉も安心していられると思うぞ?
 急に会話が途切れたせいか、何だか落ち着かない気持ちのまま俺は口を開いていた。
「あのさ」
「な、何」
 顔を上げ、自然と上目使いになるハルヒから視線を逸らしつつ
「昨日古泉と居た時に話してたんだが」
 まあ、お前からすればどうでもいい事なのかもしれんが。
「不思議探索でグループ分けした後、何でお前はいつも不機嫌になるんだ?」
 疑問を疑問のままにしておくのもどうかと思い、聞いてみた。
 返答は、
「ぅあ、あれは! その、つまり……」
 あんたには関係ないでしょ。ではなく、というかまともに返って来なかった。
 俺としてはそんなに困る事を聞いた覚えは無いんだが、ハルヒは沈黙したまま俯いてしまい、
そんなハルヒを眺めつつ俺が考えていたのは、昨日の古泉との会話の事だった。
 ペアになるのが古泉ではなく朝比奈さんや長門であれば、俺は楽しいと感じる。ならばハル
ヒが不機嫌になる理由も解るはず。古泉はそんな様な事を言っていた。
 そこから考えられるのは……ハルヒには、ペアになりたい奴がいるという事なのだろうか。
「……」
 考え事でもしているのか沈黙しているハルヒ、こいつが一緒に行動したい相手ってのはいっ
たい誰なんだろう。まあ、普段から引っ張りまわしてる俺じゃないってのは確かなんだろうが。
 っていうか、ハルヒが本当にそう考えているのだとすれば、自分で相手を指名すればいいだ
けじゃないのか? SOS団のメンバーでそれを断る奴なんて居ないだろ、多分。
 結局、ハルヒはそのまま口を閉ざしていて、いつしか視界の先に見慣れた学び舎の姿が見え
てきた。
 別にこのまま何も言わなくたっていい、無駄に厄介事を増やす意味など無い。俺自身が誰よ
りもそう思っていたはずなんだが……これが谷口が言う所の「涼宮がうつる」ってやつなんだ
ろうかね。
「……ハルヒ。たまにはさ、週末に不思議探索じゃなくてお前の好きな事をやってもいいんじ
ゃないか?」
 この暴君様相手に進言する必要など微塵も無い助言を、俺は口にしていた。
 意外そうな顔をしたハルヒが俺を見つめている。
「好きな事って……何よ」
 そいつは自分に聞いてくれ。
「お前がSOS団としての活動を大事にしてるってのは知ってるが、たまには息抜きをしたっ
ていいだろ」
 まあ、成果もなく街をぶらつくだけの不思議探索が息抜きでなければ何なのかとは自分でも
思うけどさ。
「たまには、適当に誰かを誘って遊びに行ってもいいんじゃないか?」
 お前が実は一緒に居たいって思ってる奴とかとさ。
 暫くの沈黙の後、
「かっ……考えておく」
 今日はやけに口数が少ないハルヒが答えたのは、それだけだった。
 
 
 ――それからの一週間を一言で表すとすれば、不気味だった。
 何が不気味なのかと言えば、普段は退屈そうな顔を常時浮かべているはずのハルヒが、何故
か一日中ニヤニヤと笑っているのだ。俺を含めて誰が何を話しかけても「えっ? あ、なんで
もないのよ」と上の空で会話が成立しない。時々何かを思いついてはノートにペンを走らせて
いるだけで、休み時間にも教室を出て行かないで何やら笑っている。
「……おい涼宮、お前何を企んでやがる」
 あまりの様子のおかしさに谷口がそう聞いても、睨みも殴りもせずに笑っているだけ。まさ
に異常事態だ。
 ハルヒの変化は授業中だけに留まらなかった、放課後になると大急ぎで学校を飛び出してい
き、聞けば街中のあらゆる場所をうろついているのを目撃されているらしい。ゲームセンター、
市民球場、紳士服売り場、ファーストフードのチェーン店、果てには海岸沿いで目撃された事
もあるらしい。
 そんなハルヒの変化というか暴走に対して周りが選んだ選択は「触らぬ神に祟り無し」つま
り、いつもと同じ対応を選んだようだ。ハルヒが何かを企んでいるなら、それを未然に防ぐ事
は誰にも出来ないと経験則で理解してしまっているのかもしれない。
「じゃあ、涼宮さんは今日も……」
 ええ、真っ直ぐ家に帰ったみたいです。
 ハルヒを除くSOS団のメンバーが揃った放課後の部室。主が不在の席と、一人で部室に入
ってきた俺の姿を交互に見ながら、朝比奈さんは不思議そうな顔をしていた。
 こうしてハルヒの不参加を伝えにくるのも今日で何日目だろうか、今までにもたまにハルヒ
が部室に来ない日はあった。だが、これだけ長く顔も出さないってのは初めての事だ。
「あの……キョンくんはお休みする理由とか何か聞いてたりしませんか?」
 すみません、特に何も。
 教室で聞いてもまともな返事は返って来ませんし、メールも返事が来ないんです。
 席についた俺にお茶を持ってきてくれた朝比奈さんは、俺の横で足を止めて何やら考え込ん
でいる様だ。
「古泉。お前のバイトの方には何か変わりは無いか?」
 対面の席に座る自称超能力者は俺の質問に首を横に振る。
「いえ、閉鎖空間が発生しそうな予兆すらありません」
 って事は、ハルヒは不機嫌な訳じゃないって事か。
「それどころか、何か楽しそうな感情を抱いている様です」
 楽しそうだと?
「はい。具体的な事までは解りませんが、今の涼宮さんの感情は軽い興奮状態で安定していま
す。例えるなら、遠足を翌日に控えた小学生、といった所でしょうか」
 明日は遠足ではないし、あいつは小学生でもないんだがな。
 ともあれ、あいつが何か企んでるって事だけは確かな様だ。
「僕としては、涼宮さんの変化は貴方に原因があるとばかり思っていたのですが」
 ねぇよ。
 俺があいつに何かするとでも思うか?
「おや、そうでしょうか?」
 何やら自信有り気な古泉を適当に睨み、朝比奈さんのお茶で気分を落ち着かせようとした湯
飲みを手に取った時、ふと思い出していた。
 今週の始め、月曜日の朝。俺はハルヒに余計な事を言ってしまったんだった……な。
「たまには、適当に誰かを誘って遊びに行ってもいいんじゃないか?」
 ハルヒがこの台詞をどんな形で受け取ったのかは解らないが、考えてみれば確かにハルヒが
挙動不審になったのはこの後からだった様な……いや、でも待てよ。あいつの様子が変だった
のは俺がそれを言う少し前からだったはずだ。
 登校中に出会った時から何だか大人しかったし、いつもと違って可愛く見……えっと、いや
今考えるべきなのはそんな事じゃなくてだな。
 脳裏に浮かんだまま消えない上目使いのハルヒの顔を振り払いつつ、俺は視線を朝比奈さん
へと向けた。
「あの、朝比奈さんは先週の不思議探索の時にハルヒと長門と一緒だったんですよね?」
「はいそうです」
 朝比奈さんは一度長門を見てから頷いた。
「その時、何かハルヒにおかしな様子はありませんでしたか?」
 例えばその、駅前の掲示板に異星人の痕跡を見つけてハイテンションだったとか。箒に跨っ
て空を飛ぶ中年のおっさんを見かけたとか。
「えっ、掲示板、ですか? えっと……あの、特に涼宮さんが面白そうだって思いそうな事は
何もなかったと思います」
 何となく長門に視線を送ってみると、どうやら話は聞いていたらしく読書の合間を縫って同
意する様に一度頷いた。
 って事は……やっぱり古泉が言う通り俺の発言が原因って事なのか?
 そもそも古泉が何故その事を知っているのかも気にはなるんだが、それをこの場で追求する
のはやぶ蛇になりそうだ。
 楽しそうな古泉の視線と不安そうな朝比奈さんの視線を受けつつ、ハルヒの変化について俺
が考えを巡らせていると、
「……先週の日曜日。涼宮ハルヒが楽しそうにしていた事は無かったが、逆はあった」
 その場の沈黙を破ったのは、意外にも長門だった。
 逆って、つまり怒ったって事か?
「そうとも言える」
 同意する長門を見て、朝比奈さんは思い出した様に手を合わせた。
「あっ覚えてます。あれは確か、涼宮さんが駅の近くに時計台が完成したから見に行こうって
言った時の事ですよね?」
「そう」
 新しく出来た時計台……それって、もしかして猫の銅像があるって噂の。
「はい、その時計台がある広場にみんなで行ってみたんですけど……えっと、その広場には私
達みたいに見物に来ている人が大勢居て、その殆どが恋人同士だったんです」
 谷口が言ってた場所で間違いなさそうだな。
「結局、見たかった時計台の前まで行く事も出来なくて、あの……これは涼宮さんが部室に来
なくなった事とは関係ないかもしれないんですけど……」
 朝比奈さんは何故か照れた口調でそう前置いた後、
「その後、涼宮さんから……彼氏は作らないのって聞かれたんです」
 重要発言が飛び出した。
 とりあえず落ち着け、俺。それと期待するな、俺。
 反射的に椅子から立ち上がりかけていた腰を下ろし、深呼吸を繰り返すこと三回。
「それで、朝比奈さんは何て答えたんですか?」
 努めて平静を繕いつつ、俺は聞いてみた。
「今はまだって答えました」
 照れ笑いと共に返って来た返答に、俺が胸を撫で下ろしたのは言うまでもないだろう。
 ここで「実は彼氏が居るんです」なんて言われたらどうしようかと思ったぜ。いや、俺には
どうしようもない事は解ってるんだけどさ。
 ほっとする俺に向かって、
「私も聞かれた」
 長門はそう呟いた。一瞬、それが何の事なのか解らなくて固まってしまったんだが、
 聞かれたって、
「彼氏が居るのかって話か?」
「そう」
 ……なあハルヒ、それは長門に聞いても仕方ない話だと思うぞ。
 そもそも長門の場合、彼氏彼女の事情を把握しているのかすら怪しい。
「で、何て答えたんだ」
「質問の意味が解らないと答えた」
 ほれみろ。
 それは俺の意味予想通りの返答だったんだが、
「では、もし自分が気になっている相手が居る場合、私ならどうするかと聞かれた。その質問
の意味もよく理解出来なかった。でも、少しでも相手の事を知りたいと思う。そう答えた」
 俺に視線を固定したまま、長門は淡々とした口調でそう続けた。
 予想外だった。何ていうか、それはいい意味で予想外な発言だった。出会った頃からみれば、
長門は少しずつ変化しているとは思っていた。でもまさかこんな発言が聞けるようになるとは
思ってなかったぜ。
 自分に視線が集まっている理由が解らないのか、長門は不思議そうな顔をしていて、そんな
長門の事を俺と朝比奈さんは見守って
「僕は涼宮さんから彼氏が居るかどうか聞かれていません」
 古泉、少し黙れ。
 
 
 それから暫く四人で話してみたが、結局ハルヒの挙動不審の原因は解らなかった。
 でもまあ、現在朝比奈さんには彼氏が居ないって事は解ったし、長門に俺からすればいい変
化が起きている事が解ったのは有意義だったと言えるかもしれない。
 これで何事も起きないでいてくれれば最高なんだがな……そんな淡い期待を胸に秘めていた
俺だったが、やはりというかそれは叶わなかった。
 金曜の朝、俺が教室に辿り着いた時そこにはハルヒの姿は無く、その代わりなのか俺の机の
引き出しに入っていた一通の封筒。
 差出人、涼宮ハルヒ。
 封筒に書かれた見慣れた団長さんの名前を見ても、不思議な事に不吉な予感はしなかった。
 もしあいつがまた何か馬鹿な事をやろうとしてるんだったら、こんな形で知らせたりはせず
無通告でやるだろう。これまでの経緯を見る限り、あいつは事前通告なんて概念は持ち合わせ
ていないはずだ。
 となるとこれはいったい何だ?
 白い封筒には何の不審な点も無く、ついでに言えば宛名も無い。
 とはいえ、俺の机の引き出しに入ってたって事は俺宛なんだろうし……まあいい、開けてみ
よう。
 深く考えてもどうせ意味は無い、そう判断した俺はその場で封筒を開いてみた。
 中から出てきたのは一枚の便箋。
 その中央付近に書かれた文字。
『キョンへ
 土曜日の朝九時に何時もの場所に来なさい。
 それと、この事はみんなには秘密にしなさい。』
 宛名と命令文が二行のみ。
 果たし状か? これ。
 手紙にある「何時もの場所」ってのは多分、駅前の広場か部室の事だろう。指定しているの
が休日だって事を考えると、おそらく駅前の事を言っているんだと思う。だが、もう一つのみ
んなには秘密ってのは何なのだろうか。
 暫くの間考えてはみたものの答えは出ず、俺はとりあえずその手紙を制服の内ポケットにし
まった。ま、後でハルヒが来たら聞いてみればいいさ。
 そう安易に考えていた俺だったんだが――その日、ハルヒは学校に来なかった。
 
 
 ハルヒから謎の手紙を受け取った翌日、つまりは土曜日。
 俺は手紙で指定された場所へと向かうべく、自転車を漕いでいた。
 指示された通りみんなに今日の事は伝えていない。念の為に、ハルヒに土曜日の朝、駅前に
来るように言われたとだけは伝えておいたけどな。
 それを聞いた古泉と朝比奈さんは何故か嬉しそうで、長門は普段と変わらぬノーリアクショ
ンだった。
 さて……腕時計が示す現在時は八時半、駅前までは残り五分程の距離だ。万一、ハルヒが指
定していたのが部室だった場合も考えて早めに家を出たんだが、ハルヒは既に待ち合わせ場所
に居るんだろうか。
 いったいどんな顔でハルヒが待っているのかを考えつつ、やはり怒っているのだろうなと結
論付けながら、俺はペダルを漕ぐ足に力を入れた。
 ――それから数分後
「おはよう」
 駅の駐輪場に自転車を置き、駅前の広場に辿り着いた俺にハルヒが言ったのは、罵声でも文
句でもないごく在り来りな朝の挨拶で……えっと。
「な、何」
 いや、そのあれだ。
 そこで俺を待っていたのは、朝比奈さんが私服で着る様なワンピースに秋らしくカーデガン
を羽織ったハルヒの姿で、少し俯いているから表情はよく解らないが――とりあえず怒っては
いないようだ――その後頭部では可愛らしい尻尾が揺れている。
 普段、ハルヒはイベントでもない限り動きやすい服ばかり着ているだけに、こうして大人し
い服装をした所を見たのはこれが初めての事かもしれない。
「……」
 呼び出されたのは俺のはずなんだが、何故かハルヒはじっと黙ったまま何かを待っている。
 待たれても困るだけなんだが、今は俺よりハルヒの方が困った顔をしているようだ。
「……えっと……キョン。き、今日あんたを呼んだのはね?」
 ああ。
「呼んだのは、その……つまり」
 …………すまん、そこで黙られるても困るんだが。
 余程言いにくい用件なんだろうか、ハルヒはそれっきり落ち着かない様子で視線を彷徨わせ
ていて……そんな中、俺は俺で不思議と落ち着いていた様な気がする。
 通常、ハルヒがその場にいる場合、自然と主導権はハルヒの物になる。それは一人無駄に行
動力のあるハルヒに対し、周りにはイエスマンしか居ないのだから当然の事なのかもしれない。
 だが、今日のハルヒはいつもの行動力をどこかに忘れてきてしまったらしく、普段なら振り
回されてるだけの俺でも主導権を握れそうだと思ってしまった訳で……思わず口走ってしまっ
ていた。
「ハルヒ」
「なっ何」
 顔を上げたハルヒは真っ赤な顔色だったが、まあ今はそれを指摘するべきじゃないのだろう。
 自然と頬が緩むのを感じつつ、
「似合ってるぞ。その服と髪型」
 特に髪型が最高だ。
 口から出た台詞は普段の俺からは縁遠く、古泉辺りなら似合いそうな台詞で……それを聞い
たハルヒはまだ固まったまま、というか更に硬直してしまった感じだ。
 すまん、逆効果だったか。
 笑うなり馬鹿にするなりしてくると思ってたんだが……まあ、このままここに突っ立ってて
も仕方ないんだし、
「ここで立ち話もなんだし、どっか喫茶店にでも入らないか?」
 俺の提案に、ハルヒは無言のまま不器用に頷いた。
 そのまま何処かへ向かって歩き始めるハルヒ。多分、ついてこいって事なんだと思う。
 隣に追いついた後もハルヒは暫く無言だったが、歩道を歩く人の波が途切れた所でようやく
口を開いた。
「……い、意外だったわ」
 何が?
「あ、あんたが……あたしの服とか褒めるなんて思ってなかったから」
 隣を歩くハルヒは、視線を前方と俺の顔と慌しく動かしながらそう言った。
 まあ、確かに俺のキャラじゃないとは思う。
 自分でも言ってて恥ずかしかったしな。
 ちなみにハルヒが何処へ向かっているのか俺は知らない。そもそも目的地があるのかどうか
すら怪しい。
 っていうかこいつ本当にハルヒか? 実はハルヒの親戚だとかそんなオチじゃないだろうな。
「ねえ、キョン」
 ん。
 顔を向けた先にあったのは何か言いたそうで迷っているハルヒの顔で、
「えっと……やっぱり何でもない」
 そうかい。
 問い詰めたら答えそうな感じだったが止めておいた。特に理由は無い。
 
 
「で、今日は何で俺を呼んだんだ?」
 駅近くの喫茶店に入り、奥まった席を確保した所で俺はあらためて聞いてみた。
 目的も無く連れまわされるのは馴れちまってるが、出来れば聞いておきたいんだがね。
「たまには息抜きしようって思っただけよ。それだけ」
 メニューを睨んでいたハルヒは、ラミネートされたA3サイズの紙の向こうから視線だけを
向けてそう答え、またメニューの向こうに消えていった。
「息抜き?」
「そう、ただの息抜き。この前あんたが言ってたでしょ? たまには……あ、あたしも遊んで
もいいんじゃないかって」
 やっぱりあれが原因だったのか。
「それでね? たまには、あたしもどうでもいい事をやってもいいんじゃないかって思ったの。
優先順位で考えたら全然今やる必要なんて無い事だけど、ま、まあ気晴らしくらいにはなるか
もって」
 そもそも、SOS団の活動自体が高校生活において優先順位が高いとは俺には思えないんだ
が……どうせ言っても聞かないんだろうし。
「で、いったい何をするつもりなんだ」
 ついでに、その目的ってのに今日のお前の服装が関係あるのかどうかも教えてくれるとあり
がたいね。
「……キョン、あんた新しく出来た時計台って知ってる?」
 再びメニューの上から顔を見せたハルヒは、真面目な顔でそう聞いてきた。
 ああ。
 行った事は無いが聞いた事なら。
「えっと、こ、この前の不思議探索の時にそこに行ったんだけど、ちょっとそこで不思議な光
景を見たの」
 不思議な光景?
 お前が不思議だと思うような事がもし街中であれば、そのままニュースにでもなってると思
うんだが。
「時計台が出来たのって少し広い広場なんだけど、そこに見物に来てたのは恋人同士ばっかり
で……その、みんな楽しそうだったの」
 ふむ。
「…………」
 え、それだけ?
「だっておかしいじゃない? 普通のカップルって言えば、デートの最中に喧嘩とか言いあい
とかしてる物でしょ」
 お前の中での恋愛ってのはそんなに殺伐としてるのか。
「そうじゃなくて、カップルがいっぱい居たら一組くらいはそうなってるって事」
 ああ、それならまあ解らんでもない。
「それでね? その後色々あって……ちょっと、ちょっとだけ興味が湧いたから試してみよう
って思って」
 何だか肝心な部分の説明が無い気がするんだが、
「何を」
「だから……その、つまり、えっと……」
 何かを言い淀んだまま、ハルヒの顔はまたメニューの向こう側へと消えていった。
 さて、ハルヒがここまで口に出すのを躊躇う用件ってのはいったい何なんだろう。取り合え
ずカフェオレを一つ頼み、それが届いてもまだハルヒからの返答は無かったので自分なりに考
えてみる事にした。
 今日は休日、この呼び出しはみんなには内緒。ハルヒは何故か気合の入った服装、そして途
切れたままになっているさっきの話題。
 この条件から連想される理由か……。
 正直、すぐに一つ思いついたんだが……それはあまりにもハルヒとは縁遠い理由で、確かめ
てみるまでも無い内容だった。だってありえないだろ? 恋愛感情なんて精神病の一種だなん
て平気で言い切る様な奴が、彼氏が欲しいとかそんな
「ねえ、あ、あたしと……付き合わない?」
 ……へ?
 目前に立っているメニュー越しに聞こえてきた声に、俺は思わず聞き返していた。
「だ、だから、あたしと付き合わないかって聞いてるの!」
 ようやくメニューを下ろした先で、真っ赤な顔をしたハルヒが俺を睨んでいる。
「べっ別に正式に付き合うとかそんなんじゃなくて……い、一日、今日一日だけの暫定的な恋
人だからね? 仮っていうかお試し期間っていうか、その」
 早口でそう言いきったハルヒは、当然の様に俺のカフェオレに手を伸ばすとそれを一気に飲
み干した。
 ……え、それってつまり。
「だから! ……あ、あたしと付き合いなさいよ」
 凄いジト目で睨まれてるんだが、どうやら俺は告白されているらしい。多分。
 
 
 涼宮ハルヒ。
 高校からの友人曰く、それは希代の変人である。
 自称某機関の一員曰く、それは神である。
 あるマンションの住人曰く、それは進化の可能性である。
 学業成績優秀、万事に対して有能であり、その溢れんばかりの才能を意味不明な行動に費や
し続けている問題児。
 平凡なはずだった俺の高校生活に、非日常というスパイスを業務用のダンボールごと投げこ
んだ張本人。
 そんなハルヒと――俺は、付き合う事になったらしい。
 いったい何故だって? それについては誰よりもまず俺が聞きたい。
「何よその顔。……ふ、不満でもあるの」
 別に。
 喫茶店を出た俺達は、とりあえずは目的も無く街を歩いていた。あのまま店の中に居る事も
出来なくはなかったんだが、変に意識してしまうせいか会話も無く、俺が先にギブアップした
訳だ。
 っていうか、何で俺なんだ?
 宇宙人、或いはそれに順ずる何かであれば、男だろうが女だろうが何でもいい。そんな特殊
にも程がある価値観を持つハルヒが俺を選んだ理由は何なのだろう。まさか、実は俺が宇宙人
だとか思ってるんじゃないだろうな。
「……ねえ」
 ん。
「迷惑、だった?」
 何が。
「……つ、付き合ってって、言われて」
 ああ、その事か。
 迷惑っていうより、
「驚いたよ」
 恋人とか付き合うなんてのは、お前の興味から遠い存在だと思ってたからな。
 それと、人選だ。
 恋人ごっこがしたいんなら古泉でも選べばいいだろうに。外見的にもお似合いだろうぜ?
「だ、だからこれはただの息抜き! か、勘違いしないでよね? ……別にあたしは、その」
「はいはい、今日だけだろ? 解ってるよ」
 ま、今日一日お前に振り回されるくらいは構わないさ。達成不可能な目的を前に一日歩き回
るのと迷惑度ではそれ程変わりやしない。
「……べ、別に今日だけじゃなくても……」
 ハルヒは俯いたまま何かを呟いている。
「で、俺はどうすればいいんだ?」
 その時俺は、このままさっき言ってた広場に連れて行かれるんだとばかり思っていたんだが、
「…………とりあえず、えっと。つ……繋ぎましょう、手」
 俺から視線を外しつつ、ハルヒは自分の右手を差し出してきた。
 数秒固まった後、これが握手ではないのだろうという事は解った。俺にしては理解が早かっ
たんじゃないかと思う。
 俺は一度出しかけた右手を戻し、左手で差し出されたままのハルヒの右手を掴んだ。
 ――ちなみに、半年振りくらいに掴んだハルヒの手は、やはり小さくて柔らかかった。この
手があんな腕力を生み出すんだからなぁ……。
 目に見える物が全てではない、そんな事を考えていた俺の隣で
「……」
 繋がった手を見つめているハルヒは、何やら楽しそうにしている。
「で、お次は」
「……あ、歩きましょ? 適当に」
 へいへい、仰せのままに。
 歩道の車道側をゆっくり歩き始めた俺に手を引かれて、ハルヒは歩き始めた。
 
 
「状況を説明します。目標の街の住人、及び救出に向かった警官隊は既に全員グールと化して
います」
 ……公僕は哀れだな。上の連中にくだらないプライドさえ無ければ無駄死にしなくても済ん
だろうに。
「現在はバリケードで現場一帯を封鎖中、破られるのも時間の問題です。先程、衆知事は非常
事態宣言を発令、この事件の管轄を警察から貴方達ヘ――」
 熱弁を続ける深刻な顔をした警官に向けられる銃口、躊躇いなく引かれた引き金によって画
面は暗転し、ロード中という文字が浮かんだ。
「おいハルヒ、ストーリーを見ておかなくてもいいのか?」
 銃口を画面に向けたままのハルヒは首を横に振り、
「いいの、どうせ敵が来るから撃つだけよ」
 いやまあ、確かにそうだろうけどさ。
 ゲームを楽しむ上で、感情移入ってのは大事だと思うんだが。
「それよりほら、始まったみたい!キョンも早く構えなさい」
 へいへい。
 楽しそうに指示するハルヒに従い、やけに顔色の悪い元街の住人達が所狭しとうごめく画面
に、俺も銃口を向けた。
 ――目的も無く街をぶらついていた時、ふと目に入ったこのゲームセンターに入ろうと言っ
たのも、またこのゲームをやろうと言い出したのもハルヒだった。店に入ってから真っ直ぐこ
のゲームへと向かった所をみると、実は最初からその予定だったのかもしれない。
「キョン! そっちの赤いの倒して!」
 あいよ。
 狙いは正確なのだがすぐに弾切れを起こすハルヒをフォローしつつ、クリーチャーに向かっ
て引き金を引く事数分。ゲームの舞台は街の奥にあった教会へと移っていた。
 敵の数が増え、指が疲れてきたので左手に銃を持ち替えようかと考えていると、それまで続
いていた怪物の群れが途切れ、いかにもボスといった感じの曲が静かに流れ始めた。
 ちなみに二人のライフはハルヒが三で俺が二、初めてプレイしたゲームにしては上出来なの
ではないだろうか。
「ねえキョン、どこからボスが来ると思う?」
 画面は祭壇の前で止まり、奥の壁の上の方には巨大なステンドグラスが見える。
「上からじゃないか?」
 ガラスを割ってドーンってさ。
「それっぽいわね」
 何となく、二人で画面の上方を見つめていると……ガラスの割れる音に続いて何かが降って
きた。殆ど同時に引き金を引いていたが、ハルヒの方が僅かに早かったらしい。画面に無数の
弾痕が表示された瞬間――
「えっ? あ! 違う?」
 ハルヒのライフが一つ減っていた。
 気付いた時はもう手遅れ、俺達が撃ってしまったのは街の住人だったらしい。更に、二人揃
って弾切れを起こしたのを待っていたかの様なタイミングで
「あーっ! ずるい!」
 ボスが祭壇の下から姿を表した。
 
 
「あれって絶対撃つのを狙ってたわよね。だってあの曲であの登場の仕方よ? 撃たない方が
おかしいじゃない」
 ま、そうかもな。
 ――結局、辛うじてボスは倒せたものの、次のステージに進んだ所で二人ともあっさり罠に
はまってゲームオーバーとなった。
 今もカウントを続ける画面の前で、銃型のコントローラーを持ったままハルヒは眉間に皺を
寄せている。
 もしかして、まだ続きがやりたいのか?
「だって、こんな中途半端な所じゃ終われないじゃない」
 気持ちは解るけどさ、それこそ製作者側が狙ってる事だと思うぞ。
「正直、もう指が限界だ。今度来た時にまたやろうぜ」
 痛みを訴える右手を振り、無駄だとは思いつつも現状を訴えてみると
「……じ、じゃあ今度でいい」
 意外にもハルヒはあっさりと引き下がるのだった。しかも笑顔で。
 なあ、いったい今日のハルヒはどうしてしまったんだ?
「次はあれ! あれやろう?」
 あ、ああ。
 ――その後、配管工を続けて二十数年のおやじが運転するカートゲームで順位を争ったり
「キョン……あんたこのゲームやり込んでるわね?!」
「この俺に精神的動揺によるミスは無いと思っていただこう」
 普通にミスするけどな。
 ――音楽に合わせて降ってくるキャラクターを二人でボタンを分担して叩いたり
「ハルヒ」
「え? 何」
「お前がさっきから叩いてるのはボタンじゃなくて俺の手だ」
「うっ嘘?!」
 とまあ……俺達はそんなごく普通の遊びを楽しんでいた。
 普段のハルヒなら「こんな普通の遊びをしてる暇なんか無いの!」とでも言いそうな気がす
るんだが、この楽しみようを見ると本音ではやってみたいと思っていたという事なんだろうか。
 今だって、さっきUFOキャッチャー取ってやった青い……犬? のぬいぐるみを嬉しそう
に眺めているし……。
「どうかした?」
「別に」
 ま、いいさ。ハルヒの本心がどうあれ、だ。
 今のハルヒは楽しそうなんだからそれでいいんじゃないのかね。
「で、次は何をする?」
「カラオケ! カラオケ行こう? いつの間にかお昼も過ぎちゃってるし、ご飯も食べれて丁
度いいでしょ?」
 ごく普通に腕を絡ませてきたハルヒに連れられ、俺達はゲームセンターを後にした。
 
 
「――退室の際にはマイクとこのカードを忘れない様にしてください。では、失礼します」
 部屋の説明を終えて店員さんが出て行き、俺とハルヒは防音処理がされた二畳程の広さの個
室の中に取り残された。
 まあ、カラオケに来たんだからそれが普通だよな。うん。
 しかし……だ。
「それが普通だよな」では済まされない問題が一つこの部屋にはあると思うんだが……。
「どうかしたの? 早く座りましょうよ」
 そう言いながらハルヒは部屋に置かれたラブソファーの上に座る。俺が問題にしているのは、
この部屋にあるソファーがそれ一つしかないという事だ。
 俺の知る限り、カラオケボックスってのはソファーや椅子がいくつかあるはずだ。
 いくら何でも部屋に一つしかソファーが無いってのは普通じゃない。
 ハルヒだってそれは解っているはずなのに、店員に文句の一つも言わないどころか鼻歌混じ
りで曲検索を始めていたりする。
 無駄に狭い部屋、一つしかないソファー……俺も健全な男子高校生だし、これがカップル用
の部屋なんだろうなって事くらいは想像がつく。
 そして、だ。店の受付にあった部屋を選択するパネルで、端っこに表示されていたこの部屋
をハルヒは自分から選んでいた。
 ……つまりはまあ、確信犯だって事なんだろう。
 座ったまま俺にちらちらと視線を送るハルヒ。さて、いったいこいつは何を考えているんだ?
 選択肢は一つしか思い浮かばないものの、それを選べないまま立ち尽くしていると
「……」
 無言のまま、ハルヒが俺の服の袖を軽く引いていた。
 その力は弱かったが自然と身体は動いていて……気づけば俺は、ハルヒの隣に座っていた。
 二人で座るには狭すぎるだろうと思っていたソファーは、やはりというか狭かった。俺とハ
ルヒの二人で座るには、このラブソファーはぎりぎり幅が足りていない。
 ……いやまあ、この椅子の用途からすればこの寸法こそが適正なのかもしれないが。
 否が応にも密着せざるを得ない状態に混乱する中、
「ね、ねえ、何歌う?」
 何となくぎこちないハルヒの声が、すぐ横から聞こえる。
 っていうか近い、本当に近い。接触回線で会話してる様な気すらする。
「……いや、まだ決まらないから先に入れてくれ」
 その距離の近さを意識しない振りをしつつ、やはりというかぎこちない俺の返答。
「えっと……じゃ、じゃあ……えっと」
 この、谷口辺りに知られたら半年は話のネタにされそうなやりとりは暫くの間続き――結局、
俺達が入った部屋に音楽が流れ始めたのはそれから十分程後の事だった。
 
 
 ――まさか、トイレに行くだけでこんなにほっとする事があるなんてな。
 遠くから聞こえる誰かの歌声を聞き流しつつ、俺は洗面所の鏡に映った自分の疲れた顔を見
て苦笑いを浮かべていた。
 何も知らない他人から見れば、俺がこうして疲れきっている理由は解らないんだろうな。
 あれ程の美人と二人きりで何の不満がある? そう思う奴も居るだろうさ。だが、実際の所
のハルヒはそれだけじゃない訳で……ん?
 どうしたんだろうか、いつもならすぐに浮かんでくるはずのハルヒへの不満が出て来ず……
変わりに出てくるのは今日の大人しいハルヒの顔ばかりだった。
 というか、何で俺はこんなに疲れてるんだ?
 俺がハルヒと二人っきりになるのはこれが初めての事じゃないんだし、ハルヒが挙動不審な
のだってよくある事だ。
 ハルヒが俺を一日だけの恋人にしたのだって、特に深い意図があるとは思えん。
 ……そう、あるはずがない。
 万が一にも無いその予想を頭に浮かべたまま、蛇口から流れる冷水に手を浸していると
「おや、奇遇ですね」
 ここに居るはずのない奴の顔が鏡の中に映っていた。
 ……聞くまでも無い気がするが、一応聞いてやろうか。
「古泉。何でお前がここに居る」
 振り向くのも面倒なので鏡越しに聞いてみると、
「実は今、機関の親睦会の最中なんです」
 そうかい、誰が来てるのか知らないがよろしく言っといてくれ。
 蛇口を閉め、持ってきた覚えの無いハンカチを一応探していると、古泉が何かを差し出して
きた。
「ハンカチなら要らんぞ」
 いざとなれば上着で拭く。
「いえ、違います。念の為にと思いまして」
 そう言いながら古泉が俺の上着のポケットに入れたのは、ハンカチではなく白い封筒だった。
「ボーナスでもくれるのか?」
 まあそれは無いだろうと思いつつ封筒を開けてみると、
「はい」
 本当に現金が入っていた。しかもまたすげー福沢諭吉だった。
 この厚みで頬を殴ったらその場で殴り返されるんじゃないかと思う程の金額だ、っていうか
これは何だ?
「ですから、これはボーナスです。領収書も返済も不要ですので」
 あのなぁ……。
「その説明でこれだけの大金を受け取れと?」
 俺は機関ってのに入社した覚えは無いぞ。
 欠片の邪気も感じさせない営業スマイルが、俺を見つめている。
「いざという時に現金がないと困りますし、ここは一つ何も言わずに受け取って下さい」
 ……待て、いざという時にだと?
 こいつがここに居るって事はつまり、ハルヒもここに来てる事は承知の上だろう。それを踏
まえて考えると……おい。
「古泉」
 ……ちょっと、頭冷やそうか。
 ここは洗面台もあるしちょうどいい。
「あくまで、念の為です。考えてもみて下さい、もし涼宮さんがそのつもりだった場合、現金
はあっても邪魔にはならないでしょう?」
 そう言いながら、古泉はトイレを出て行こうとしている。
 引き止める気にもならず見送っていると、
「ああそうそう、これは個人的な見解ですが……何事も、計画的になされた方がよろしいかと」
 ドアを閉める時、古泉は何か言っていた様な気がするが、多分空耳だろう。
 
 
「――あ、お帰り」
 部屋に戻った時、ハルヒはマイクを机に置いたままソファーに座っていた。
 防音処置のされた室内は静かで、モニターを見ると俺が予約した曲の番で止まったままにな
っている。
「待たなくても良かったのに」
 俺の下手な歌なんて聴いてもしょうがないだろ。
「一人で歌いたいだけならカラオケに誘ったりしないわよ」
 ま、そりゃそうか。
 最初よりは意識せずにソファーに座れたんだが……意図せずハルヒの匂いを感じだけで、ま
た思いっきり意識してしまったのは言うまでも無い。
 というか、さっきの古泉の発言のせいでもある。
 思い出してみれば、俺がハルヒと二人だけの世界に閉じ込められた時もあいつは余計な助言
をしてくれたんだったっけ。
 再び落ち着かなくなってしまった俺とは違い、ハルヒはこの状況に順応してきたらしい。
「歌わないんならあたしが歌うわよ?」
 そうしてくれ。
 ソファーに座ったまま軽くリズムを取りながら、ハルヒはどこかで聞いた気がする歌謡曲を
歌い始めた。
 ……これって何の曲だっけ。
 聞き覚えはあるが、どうにも思い出せない。新譜だったら何か説明でも書いてないだろうか
と曲の本を捲っていると
「今の月9の主題歌」
 間奏の合間を縫ってハルヒはそう教えてくれた。
「お前、ドラマとか見てるのか」
 前に興味ないとか言ってなかったか。
「全然」
 じゃあ何で主題歌だって知ってるんだ。
 曲は期待通りにサビを向かえ、俺一人の拍手を受けながらハルヒはマイクの電源を切った。
「――この曲、みくるちゃんが教えてくれたの」
 なるほどね。
 あの愛らしい方なら、毎週同じ時間にテレビの前に座り、ありきたりな展開をはらはらしな
がら見ている御姿も容易く想像できる。
 ……っていうか。
 こうしてあらためて見てみると、今日のハルヒの格好って……朝比奈さんっぽいような?
 駅前で見た時も思ったが、この服の選び方はやはりハルヒらしくない気がする。
 俺の視線に気づいたらしく、
「こ、この服も……みくるちゃんに選んでもらったの」
 ああ、やっぱりなのか。
「……変?」
「まさか」
 最初に見た時も言ったが、似合ってると思うぞ。
 そう、こうやって大人しい系の格好で、今みたいに大人しくしてたら、男なら誰だって……。
「……」
 男なら誰だって――その先に連想してしまった言葉に自分で戸惑っていると、不意に横を向
いたハルヒと目があってしまった。
 ハルヒの瞳の中に、自分が映っている様な気がする。
 その自分が少しずつ迫ってくるのを見て、というか、無意識に俺が近づいているのだと気づ
いて動きを止めた時、ハルヒの顔はすぐ目の前に迫っていた。
「……ぁ……」
 小さく声を漏らしたものの、ハルヒも動きを止めてじっとしている。
 息を殺し、視線もそらさず、まるで……何かを待っているかのように。
 そんなハルヒを見るのは、これで二度目だろうか。
 思い出したのはあの時のハルヒの表情だけではない、掴んだ肩が想像以上に華奢だった事も、
その場で殴られても後悔しないだろうと本気で思った――あの唇の感触も。
 一度は静止していた俺の身体が再び接近を始め、さて、今度も俺は目を閉じるべきなのかと
考えている間も、その距離は縮ま
 ――プルルルルル――プルルルルル――ガチャ。
「退室十分前となりましたが、延長はいかがされますでしょうか」
 えっと、無しでいいです。はい……どうも。
 ――ガチャ。
 何とも言えない空気の中、俺は通話の終わった受話器を壁に戻した。
 
 
 いつの間にか日は落ちていたらしく、カラオケボックスを出た俺達を待っていたのは冷え切
った大気だった。
 それでも、さっきまでいた部屋の温度と、その室温以上に高まっていた体温のおかげでそれ
程寒さは苦痛ではなく、
「…………」
 無言のまま歩くハルヒに手を引かれながら、俺は何処かへ向かって歩いていた。
 ハルヒは何も言わないが、何となく目的地は想像できている。歩いている方向的に考えても
間違いないだろう。
 頬を撫でる風の寒さは、さっきの自分の行動が勢いによる物だったのかどうかを考えるのに
ちょうどよかったが、やはり少し寒すぎる気がする。
 俺は何も言わないまま、繋いでいたハルヒの手を引いて自分の上着のポケットに入れた。
 そうした理由? 聞かないでくれ、答えは準備出来ていないんだ。まだ。
 ハルヒは何か言いたそうにしていたが、結局何も言わないまま、また歩き始めた。
 さっきより、少しだけゆっくりとした歩幅で。
 そうしている間も辺りには少しずつ夜の帳が降りていき、街灯が照らす明かりが歩道に見え
隠れしはじめる。外気温はますます下がっていたはずだったが、不思議と、寒さはあまり感じ
なくなっていた。
 ――それから数分後、歩道にはカップルの姿が増え始め、やがて周りにはカップルの姿しか
見えなくなった頃、ようやく俺達はその場所に辿り着いた。
 ……なるほど、これは谷口がキレるのも解る。
 その広場で俺が見たのは、敷地の中央に鎮座する向かい合って立つ二匹の猫が掲げた時計と、
その下で待ち合わせをしているらしい人の姿。そして、周辺に適当に並べられたベンチに座る
大勢のカップルの姿だった。
 駅の近くにしては無駄に広い敷地の中には、他には街灯が立っているだけで店も何も無い。
 それどころか、街灯の明かりが弱いせいか街中だってのに薄暗いくらいだ。
「……」
 広場に辿り着いたハルヒは、猫の像が持っている時計を見て何やらほっとした顔をしている。
 ふと見れば、周りのカップル達も猫の持つ時計を気にしだしている、ベンチに座っていたカ
ップルまで立ち上がり始めた。
 時刻はもうすぐ十八時だが、いったい何が始まるんだ? っていうか、別にあの猫の時計を
見なくたって自分の携帯か何かを見ればいいんじゃ……あれ?
 何となく取り出してみた自分の携帯は、既に十八時を過ぎてしまっていた。
 待ち合わせ場所なのに時計が間違ってるって……。
 もう一度時計台を確認しようと顔を上げた時、猫の持つ時計の短針だけが、長針を残したま
まゆっくりと回り始める。それと同時に、まるで街灯から街灯へと繋いでいく様な光の線が夜
空に一気に延びていった。
 その光の線が何かを描き出した頃、長針と短針は時計の頂上で重なり、どこからともなく響
き始めたクリスマスソングが、広場を埋め尽くして――
「……この広場には、ちょっと不思議な噂があるのよ」
 少し音量が大きすぎるクリスマスソングをBGMに、ハルヒは口を開いた。
「週末の午後六時から始まるこのライトアップを一緒に見た恋人は、それからずっと幸せで居
られるんだって」
 ハルヒにつられて街灯を見上げると、そこではLEDの光が緩やかな明滅を繰り返し、どこ
となく幻想的な雰囲気を作り出し
「馬鹿みたいな話よね。そんな事でみんな幸せになれるんだったら誰も苦労なんてしてないわ」
 全否定か。
 本当にそう思ってるにしても、それは現地では口にしない方がいい。
「つまり、その噂が本当なのか確かめる為に俺に恋人役をさせたって事か」
 効果はあったかい?
 ハルヒはイルミネーションに視線を向けたまま、
「……ちょっと、違う」
 首を横に振ると、握ったままになっていた俺の手を強く握った。
「どうせ嘘だろうけど、もしかしたら……ちょっとくらいは効果があるかもしれなから頼って
みようって思ったの」
 頼るって?
「……いっぱい調べたの。どこで遊ぶのが楽しいのとか、どんな風に接したら嬉しいのとか、
どんな髪型や服が好かれるのかとか……でも、やっぱり限界はあるから」
 そこまで言った所で、ようやくハルヒは俺の顔へと視線を向けた。穏やかな黄色い間接照明
の中でも解るくらい、ハルヒの顔は赤くなっていた。
 迷うように動いていたハルヒの口が、開く。
「む、昔、あたしに告白してきた奴の事、あたしずっと馬鹿にしてた。何でこんなに普通でつ
まんない奴ばっかりなのって。……でも、今はちょっとだけ違う。少なくとも、あいつ等はこ
んなに勇気が要る事をやれたんだもん。そこだけは、尊敬してる」
 その時のハルヒは、二人っきりの世界で神人が迫る中、俺に訴えかけてきていた時みたいな
顔をしていて――ここに来てようやく、俺はハルヒが何を言おうとしているのかに気づいた。
「……キョン、あ、あたしね? ……えっと……好きなの」
 最初の告白は、俯きながら。
「あっあんたの事が、その、ずっと前から……好き」
 二回目は、顔を見ながら。
「なんでだか解らないけど……いつも気になってて、ずっと気の迷いだって思ってたけど、そ
うじゃないみたいで……今日だって、手を繋いでくれて、二人で遊んでくれて、また遊ぼうっ
て言ってくれて、キス……しそうになって。どんどん好きが大きくなっていって……も、もう
止まらないのよこのバカぁ!」
 三回目は抱きつきながら胸元で、気づけばハルヒは腕の中にいた。
 俺の胸元で顔を上げるハルヒから伝わる、鼓動と熱。
 素直に認めるしかない、俺は今それを愛しいって思ってるって事に。
「……あのさ」
「うん」
「知ってるだろうけど、俺ってこういう経験なんて無いからさ」
「そ、その方がいい」
 ハルヒが何度も頷く度に、後頭部の尻尾が揺れて俺の頬を緩ませる中、
「だからこんな返答でいいのか解らんのだが……今日のお前も素敵だし、その髪型も反則的な
までに似合ってるのは事実なんだが……ハルヒ、俺はいつものお前も好きだぜ。正直、甲乙付
け難いくらいにな」
 我ながらどうかと思う俺の告白は、終わった。
 もし……俺がハルヒと初めてキスしたあの時、俺が自分の部屋に戻らずあの場所でハルヒと
居たのなら、恐らく今と同じ事を言ってたんだと思う。
 ――そして、俺はきっとこうしたんだろう。
 大勢の恋人達が溢れる広場の中で、俺を見上げたままでいるハルヒの影に……静かに俺の影
が重なっていった。
 
 
 ――また面倒な事になっても困るから、そう思ったからこそ事情を話しておこうと思ったん
だが……
「もしよければ、その先の事も聞いてもいいですか?」
 翌日、つまりは日曜日。またしても俺とペアになった古泉は、昨日の顛末を話し終えた俺に、
何やら楽しそうな顔でそう聞いてきた。
「古泉。質問を質問で返して悪いが、その先ってのは何だ?」
 時刻は正午間近、駅前の集合場所を目指して歩く中、俺は古泉の前に封筒を差し出した。
「これは?」
「ボーナスだ、大事に使え」
 受け取ろうともしない古泉の服のポケットに、適当に封筒をねじ込む。恐らく封筒の中では
福沢諭吉が大変な顔になっていることだろう。
「……これを返されるという事は、僕の心配は杞憂に終わったという事でしょうか?」
 さあね、ご想像に任せる。
 というかそもそも答えてやるつもりもない。
「……さて、これはどうなんでしょうね。僕としては、涼宮さんと貴方の仲がもっと進展する
だろうと思っていたんですが、どうやらそうはならなかった様ですし」
 だから好きに想像してろよ。
 半眼で睨んでも効果無し、この営業スマイルを引き攣らせる方法ってのは無いんだろうか。
「実際問題、今日の不思議探索は中止になると思っていましたからね。今朝、集合場所で涼宮
さんを見た時は驚きましたよ。昨日とは打って変わって普段の服装でしたし、雰囲気も以前と
同じに。いったい何があったんです?」
 ええい、
「お前はこれまで通りが良かったんだろ? だったらそれでいいじゃねぇか」
 これ以上はノーコメントだ、黙秘権を行使させてもらう。
 ――だんまりを決め込む俺を古泉は楽しそうに疑いの目で見ているが、恐らく気づかれる事
は無いだろう。
 そっと上着の上から手で確かめる、内ポケットに入れたハルヒからの手紙の感触。
 手紙に書かれている内容は……秘密だが、概略だけで言えば、不思議探索の後にデートをす
る事になっている。もちろんみんなには秘密でな。
 視界の先に見えてきた駅前の交差点、恐らくハルヒはすでに集合場所で待っているのだろう。
 怒っているか笑っているか、まだ集合時間には数分残っているがさてどっちだろうな。
 苦笑いで溜息をつきつつ、俺は止まっていた足をまた前に進めた。
 ――気を抜くとつい緩みそうになる口元を隠しながら、ゆっくりと。
 
 
 ガムシロップ 〆